雪あかりに照らされて
4-8 たどり着く場所
それから二年後の二月、とある日の午後──。
「ユキー。どこ行くん?」
「うわ出た、クロンチョ」
NORTH CANALを出て中央橋付近を歩いていると、案の定、大輝に捕まった。彼は昨年、翔子と結婚し、数ヶ月後、翔子は妊娠した。今は実家に戻っているけれど、子育てが落ち着いてから、俥夫に復帰する予定らしい。
「こないだ翔子ちゃんからLINE来て、赤ちゃん黒かったらどうしよう、って心配してたわ」
「ええ? うわー。そんな……」
大輝は少々凹んでいるけれど、雪乃の話は嘘だ。大輝と話している時間はないので、適当に話を切り上げて小樽駅のほうへ向かう。大輝が何か言っているのが聞こえたけれど、無視して坂を上る。
ロータリーまでは上らずに、雪乃は途中で南に進路を変えた。何回か角を曲がったところに建っているのは、晴也が暮らすアパートだ。
雪乃が部屋を訪ねるより早く、晴也は外に出てきてくれていた。
「寒いから中で待っててって言ったのに」
「うん──でも、どうせ降りるし、早く会いたかったし」
雪乃と晴也は、交際を始めて一年半が経った。もちろん、どちらの両親も反対はせず、晴也の実家には挨拶をかねて遊びにも行った。雪乃が仲良くしていた俥夫たちにも、いつの間にか情報が共有されていた。
二人は花屋に寄ってから、夏鈴の墓参りに行った。買ったのはもちろん、夏鈴が大好きだった花だ。
墓石を掃除して花を供え、線香をあげた。晴也の両親は雪乃が夏鈴のことをどう思うか気にしていたけれど、雪乃は前向きだった。過去は変えられない。だから晴也が望むことに応えてあげるだけ。
「あれ、もしかして──小野寺さん?」
墓地から出ようとしていると、反対に入ってくる女性がいた。墓参りらしき荷物を持って、小学生くらいの男の子を連れている。雪乃と晴也は彼女に見覚えがあった。男の子は、昇悟だろう。
「今から、夏鈴さんのところに……。今日は昇悟に話そうと思います」
母親が、首を傾げている昇悟を晴也のほうに向かせると、晴也は昇悟の目線に合わせてしゃがんだ。
「昇悟君。大きく、元気な子になれよ」
「うん!」
母親は礼をしてから、夏鈴の墓のほうへ向かった。ときどき昇悟が振り返りながら、母親のほうを見た。きっと「あのお兄ちゃん誰?」と、聞いているのだろう。
墓地を出て、雪乃と晴也は雪あかりの路に寄った。まだ少し明るいけれど、観光客は既にいっぱいだ。
「雪乃、うだつ、って知ってる?」
「うだつ? あの、屋根の壁?」
うだつとは、日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁のことだ。もともとは隣の家から火事が燃え移るのを防ぐために作られていたが、江戸時代になると、装飾的な意味が追加されている。相当な費用がかかったため、裕福な家でないと上げられなかったらしい。小樽にはうだつのある建物が、今も残っている。
「そう……」
雪乃ははじめ、夏鈴のことを話しだすのかと思ったけれど。
「僕も、上げるから。不自由させへんから──結婚してください」
雪乃は少し考えてから、素直に「はい」と返事をした。晴也は雪乃の手袋を外し、用意していた指輪をつけた。雪乃の視界は滲み始め、やがて見えなくなった。
「ただいまー」
雪乃がNORTH CANALの玄関を開けると、居間から賑やかな声が聞こえた。今日はいつもの常連客が到着する日なので、食事を待ってくれているのだろう。ベビーカーが置いてあるということは、モモとノリアキは子供を連れて来ている。
「おー雪乃ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりですー。去年、会えなかったですもんね」
雪乃が居間に入りながら、四人と挨拶をする。既に鍋の材料は温まっているようで、部屋も暖かい。見渡す限りでは、子供の姿はない。寝ているのだろうか。
「こんにちは、お邪魔します」
「こんに──え? セイヤさん?」
雪乃の後ろから姿を見せた晴也に、常連客たちは驚いた。今日は久々に集まるからと、律子が晴也を夕飯に誘っていた。
「え……雪乃ちゃん、一緒に来たの?」
「もしかして結婚したとか?」
雪乃と晴也が答えずにいると、律子が否定した。
「違うよー、付き合ってるけどなー。今日はデート」
「いえ、実は──」
さっきプロポーズしてOKもらいました、と晴也が言うと、今までで一番くらい賑やかになった高松家。律子は二人の結婚を希望していたのか、喜んだ以外は特に騒ぎはせず、常連客達のほうが食事どころではなくなった。詳しく教えて、とか、結婚式はいつ?、とか、湯気に混じって質問がたくさん飛ぶ。
けれど、
「シーッ! 騒いだら、子供が起きる!」
ノリアキの一声で、急に静かになって……。
雪あかりに照らされて、たどり着くのは幸せな未来。
「ユキー。どこ行くん?」
「うわ出た、クロンチョ」
NORTH CANALを出て中央橋付近を歩いていると、案の定、大輝に捕まった。彼は昨年、翔子と結婚し、数ヶ月後、翔子は妊娠した。今は実家に戻っているけれど、子育てが落ち着いてから、俥夫に復帰する予定らしい。
「こないだ翔子ちゃんからLINE来て、赤ちゃん黒かったらどうしよう、って心配してたわ」
「ええ? うわー。そんな……」
大輝は少々凹んでいるけれど、雪乃の話は嘘だ。大輝と話している時間はないので、適当に話を切り上げて小樽駅のほうへ向かう。大輝が何か言っているのが聞こえたけれど、無視して坂を上る。
ロータリーまでは上らずに、雪乃は途中で南に進路を変えた。何回か角を曲がったところに建っているのは、晴也が暮らすアパートだ。
雪乃が部屋を訪ねるより早く、晴也は外に出てきてくれていた。
「寒いから中で待っててって言ったのに」
「うん──でも、どうせ降りるし、早く会いたかったし」
雪乃と晴也は、交際を始めて一年半が経った。もちろん、どちらの両親も反対はせず、晴也の実家には挨拶をかねて遊びにも行った。雪乃が仲良くしていた俥夫たちにも、いつの間にか情報が共有されていた。
二人は花屋に寄ってから、夏鈴の墓参りに行った。買ったのはもちろん、夏鈴が大好きだった花だ。
墓石を掃除して花を供え、線香をあげた。晴也の両親は雪乃が夏鈴のことをどう思うか気にしていたけれど、雪乃は前向きだった。過去は変えられない。だから晴也が望むことに応えてあげるだけ。
「あれ、もしかして──小野寺さん?」
墓地から出ようとしていると、反対に入ってくる女性がいた。墓参りらしき荷物を持って、小学生くらいの男の子を連れている。雪乃と晴也は彼女に見覚えがあった。男の子は、昇悟だろう。
「今から、夏鈴さんのところに……。今日は昇悟に話そうと思います」
母親が、首を傾げている昇悟を晴也のほうに向かせると、晴也は昇悟の目線に合わせてしゃがんだ。
「昇悟君。大きく、元気な子になれよ」
「うん!」
母親は礼をしてから、夏鈴の墓のほうへ向かった。ときどき昇悟が振り返りながら、母親のほうを見た。きっと「あのお兄ちゃん誰?」と、聞いているのだろう。
墓地を出て、雪乃と晴也は雪あかりの路に寄った。まだ少し明るいけれど、観光客は既にいっぱいだ。
「雪乃、うだつ、って知ってる?」
「うだつ? あの、屋根の壁?」
うだつとは、日本家屋の屋根に取り付けられた防火壁のことだ。もともとは隣の家から火事が燃え移るのを防ぐために作られていたが、江戸時代になると、装飾的な意味が追加されている。相当な費用がかかったため、裕福な家でないと上げられなかったらしい。小樽にはうだつのある建物が、今も残っている。
「そう……」
雪乃ははじめ、夏鈴のことを話しだすのかと思ったけれど。
「僕も、上げるから。不自由させへんから──結婚してください」
雪乃は少し考えてから、素直に「はい」と返事をした。晴也は雪乃の手袋を外し、用意していた指輪をつけた。雪乃の視界は滲み始め、やがて見えなくなった。
「ただいまー」
雪乃がNORTH CANALの玄関を開けると、居間から賑やかな声が聞こえた。今日はいつもの常連客が到着する日なので、食事を待ってくれているのだろう。ベビーカーが置いてあるということは、モモとノリアキは子供を連れて来ている。
「おー雪乃ちゃん、久しぶり」
「お久しぶりですー。去年、会えなかったですもんね」
雪乃が居間に入りながら、四人と挨拶をする。既に鍋の材料は温まっているようで、部屋も暖かい。見渡す限りでは、子供の姿はない。寝ているのだろうか。
「こんにちは、お邪魔します」
「こんに──え? セイヤさん?」
雪乃の後ろから姿を見せた晴也に、常連客たちは驚いた。今日は久々に集まるからと、律子が晴也を夕飯に誘っていた。
「え……雪乃ちゃん、一緒に来たの?」
「もしかして結婚したとか?」
雪乃と晴也が答えずにいると、律子が否定した。
「違うよー、付き合ってるけどなー。今日はデート」
「いえ、実は──」
さっきプロポーズしてOKもらいました、と晴也が言うと、今までで一番くらい賑やかになった高松家。律子は二人の結婚を希望していたのか、喜んだ以外は特に騒ぎはせず、常連客達のほうが食事どころではなくなった。詳しく教えて、とか、結婚式はいつ?、とか、湯気に混じって質問がたくさん飛ぶ。
けれど、
「シーッ! 騒いだら、子供が起きる!」
ノリアキの一声で、急に静かになって……。
雪あかりに照らされて、たどり着くのは幸せな未来。