死の目覚まし時計
◆
ジリリリリリリリリリ!
駅の構内で聞こえるはずのない目覚まし時計に音に、私は足を止める。
スマートフォンから聞こえてくる電子音じゃない。鐘をハンマーで鳴らすレトロな目覚まし時計の音。それが耳のすぐ横で鳴っているような爆音で響いてくる。
両耳を押さえても一向に小さくならない。
――アレだ。
私は耳を塞いだまま辺りを見渡した。
今日はみんなと一緒に帰る日じゃなくて良かった。前は一緒にいるときに遭遇したから、なんで耳を塞いでいるのかと不思議がられた。
耳鳴りが多いとか言って誤魔化しているけど、何度もあったら変に思われるに決まってる。
私にしか聞こえない、目覚ましの音。耳を塞いだってなんの効果もないけど、それでも塞がずにはいられない。
耳を塞ぎながら、音の出所を探る。見たところで何も変わらない。でも、確かめずにはいられなかった。
――いた。
流れていく人ごみの中で、私は頭の上に目覚まし時計を乗せている人を見つけた。
グレーのスーツを着た背中を丸めて、杖をついて歩いているおじいさん。そのおじいさんの薄くなった頭頂部に、ちょこんと目覚まし時計が乗っていた。
朝のテレビ番組のキャラクターみたいな目覚まし時計。丸い文字盤に丸い金が二つ付いたシルエットはコグマか何かにも見えてくる。その目覚まし時計の鐘が音の出所だった。
頭の真上で目覚まし時計が爆音で鳴っているのに、おじいさんは気にする素振りもなくよたよた歩いている。
おじいさんの頭が左右に揺れるたび、おじいさんの頭に乗った目覚まし時計も左右に揺れている。まるで目覚まし時計を吸盤で頭皮にくっつけているみたいな姿は滑稽なのに、私は笑えない。
誰もおじいさんの頭に目覚まし時計が乗っていることに気づいてない。この音も聞こえていない。みんなおじいさんを景色の一つとして気にも留めずに歩いている。
私はおじいさんの行き先が私の行き先と反対方向なのを確認すると、耳から手を離して歩き始めた。
私がホームへの階段を駆け下りると同時ぐらいに、おじいさんが歩いて行った方が騒がしくなった。
――死んじゃった。
目覚ましの音は聞こえなくなっていた。
あの年だし、病気か何かかな。もしかしたら、足を滑らせて階段を落ちたりしたのかもしれない。死因はなにかわからない。でも、死んだ。死を告げる目覚まし時計の音が鳴って、止んだから。
六年前、私が願ったのは自分が死ぬ時を知ることだった。
なのに、神様は私に人の死を知る力を与えた。
死んだ田中くんが買いに行った目覚まし時計が、私にそれを教えてくれる。
もうすぐ死が訪れるよと頭上で鐘を鳴らし、死が訪れると沈黙する。
誰の耳にも聞こえない、録音にも残らない鐘の音。鏡にも映らない写真にも残らない目覚まし時計の姿。
誰にも話せない、証明できない私の呪い。
初めてその存在に気が付いたのは、田中くんが死んだ翌月。腸閉塞で入院したおじいちゃんのお見舞いに行った時だった。
おじいちゃんのベッドの隣のベッドのおじさん。なんであんな時計を頭の上に乗せているんだろうって不思議に思ってた。病気の治療の道具なのかなって思って、あんまりジロジロ見るのも失礼だろうって、知らんぷりしていた。
一週間ぐらいで退院できるだろうって話をお父さんとおじいちゃんがしていたとき、その音は鳴り響いた。
ジリリリリリリリリリ!
あまりの音量に声も出せずに耳を塞いだ。あの時計の音だと思って振り返ると、ナースコールを握りしめて背中を丸めたおじさんの頭の上で、鐘の間のハンマーが震えていた。
でも、六人部屋の他の誰もおじさんを見ていなかった。すぐ横のベッドのお父さんもおじいちゃんも、気にしないで話を続けている。私にはもう鐘の音に遮られて、すぐそばの二人の声もよく聞こえないのに。
なにかが可笑しいことに気がつくと、看護師さんが部屋に飛び込んできてようやく皆はおじさんの様子がおかしいことに気が付いた。ベッドの周りのカーテンが閉められても、音は一向に収まらない。お医者さんもやってきて、にわかに部屋が騒がしくなる。
お父さんにうながされて、自分の声も聞こえない中でおじいちゃんにバイバイをした。
リリリ……
鐘の音が鳴りやんで、耳が痛い気がした。
お医者さんの怒鳴り声みたいな指示が聞こえて、一段と病室が騒がしくなる。お父さんに手を引かれて、私は病室を後にした。
一週間後、おじいちゃんが退院するとき、隣のベッドには別のおじさんが眠っていた。時計のおじさんはって聞いたら、おじいちゃんもお父さんも変な顔をした。そんなもの、つけてなかったよって。ただ、あの時のおじさんは助からなかったと教えてくれた。
それから時折、あの時計を見かけるようになった。
時計を頭に乗せている人を見かけたから後を付けて、鐘の音が鳴り響いたと思ったら交通事故を目撃した。鐘が鳴りやんだと思ったら心臓マッサージが始まって、AEDが到着したけど電気ショックは不要と判断されたらしい。どういうことかよくわからなかったけど、到着した救急隊の様子からしてとても良くない状況だったらしい。
学校の集会中に先生が倒れてAEDが使われたときは、目覚まし時計は現れてなかったし、鐘も鳴らなかった。AEDでの電気ショックを受けて、救急車で運ばれて、また学校に顔を出してくれた。
遭遇する機会はそう多くはなかったけど、あれは死を告げる時計なんだと私は察していた。
久々に遭遇したソレに、無意識にため息が出る。
地下鉄の窓ガラスに映る表情は暗くて、なんだか老けて見える気がした。
こんなんじゃいけないと、唇を持ち上げる。今日は、友達とは帰らない日。今日は『金田さん』に会える日だった。
金田さnとは大学のオープンキャンパスで出会った。そこの学生だって聞いて、連絡先を交換して、こうしてたまに会ってる。
窓ガラスを鏡にして、髪の毛を整える。
鏡とかこういう窓に映った物には、あの時計が映らないから余計なものを見てしまう心配がなくてよかった。
遭遇する頻度はそう高くなくても、やっぱり人の死に触れるのは気持ちが疲れてしまう。
音の方はどうしようもないけど、せめて視界だけでも安心したかった。
ジリリリリリリリリリ!
駅の構内で聞こえるはずのない目覚まし時計に音に、私は足を止める。
スマートフォンから聞こえてくる電子音じゃない。鐘をハンマーで鳴らすレトロな目覚まし時計の音。それが耳のすぐ横で鳴っているような爆音で響いてくる。
両耳を押さえても一向に小さくならない。
――アレだ。
私は耳を塞いだまま辺りを見渡した。
今日はみんなと一緒に帰る日じゃなくて良かった。前は一緒にいるときに遭遇したから、なんで耳を塞いでいるのかと不思議がられた。
耳鳴りが多いとか言って誤魔化しているけど、何度もあったら変に思われるに決まってる。
私にしか聞こえない、目覚ましの音。耳を塞いだってなんの効果もないけど、それでも塞がずにはいられない。
耳を塞ぎながら、音の出所を探る。見たところで何も変わらない。でも、確かめずにはいられなかった。
――いた。
流れていく人ごみの中で、私は頭の上に目覚まし時計を乗せている人を見つけた。
グレーのスーツを着た背中を丸めて、杖をついて歩いているおじいさん。そのおじいさんの薄くなった頭頂部に、ちょこんと目覚まし時計が乗っていた。
朝のテレビ番組のキャラクターみたいな目覚まし時計。丸い文字盤に丸い金が二つ付いたシルエットはコグマか何かにも見えてくる。その目覚まし時計の鐘が音の出所だった。
頭の真上で目覚まし時計が爆音で鳴っているのに、おじいさんは気にする素振りもなくよたよた歩いている。
おじいさんの頭が左右に揺れるたび、おじいさんの頭に乗った目覚まし時計も左右に揺れている。まるで目覚まし時計を吸盤で頭皮にくっつけているみたいな姿は滑稽なのに、私は笑えない。
誰もおじいさんの頭に目覚まし時計が乗っていることに気づいてない。この音も聞こえていない。みんなおじいさんを景色の一つとして気にも留めずに歩いている。
私はおじいさんの行き先が私の行き先と反対方向なのを確認すると、耳から手を離して歩き始めた。
私がホームへの階段を駆け下りると同時ぐらいに、おじいさんが歩いて行った方が騒がしくなった。
――死んじゃった。
目覚ましの音は聞こえなくなっていた。
あの年だし、病気か何かかな。もしかしたら、足を滑らせて階段を落ちたりしたのかもしれない。死因はなにかわからない。でも、死んだ。死を告げる目覚まし時計の音が鳴って、止んだから。
六年前、私が願ったのは自分が死ぬ時を知ることだった。
なのに、神様は私に人の死を知る力を与えた。
死んだ田中くんが買いに行った目覚まし時計が、私にそれを教えてくれる。
もうすぐ死が訪れるよと頭上で鐘を鳴らし、死が訪れると沈黙する。
誰の耳にも聞こえない、録音にも残らない鐘の音。鏡にも映らない写真にも残らない目覚まし時計の姿。
誰にも話せない、証明できない私の呪い。
初めてその存在に気が付いたのは、田中くんが死んだ翌月。腸閉塞で入院したおじいちゃんのお見舞いに行った時だった。
おじいちゃんのベッドの隣のベッドのおじさん。なんであんな時計を頭の上に乗せているんだろうって不思議に思ってた。病気の治療の道具なのかなって思って、あんまりジロジロ見るのも失礼だろうって、知らんぷりしていた。
一週間ぐらいで退院できるだろうって話をお父さんとおじいちゃんがしていたとき、その音は鳴り響いた。
ジリリリリリリリリリ!
あまりの音量に声も出せずに耳を塞いだ。あの時計の音だと思って振り返ると、ナースコールを握りしめて背中を丸めたおじさんの頭の上で、鐘の間のハンマーが震えていた。
でも、六人部屋の他の誰もおじさんを見ていなかった。すぐ横のベッドのお父さんもおじいちゃんも、気にしないで話を続けている。私にはもう鐘の音に遮られて、すぐそばの二人の声もよく聞こえないのに。
なにかが可笑しいことに気がつくと、看護師さんが部屋に飛び込んできてようやく皆はおじさんの様子がおかしいことに気が付いた。ベッドの周りのカーテンが閉められても、音は一向に収まらない。お医者さんもやってきて、にわかに部屋が騒がしくなる。
お父さんにうながされて、自分の声も聞こえない中でおじいちゃんにバイバイをした。
リリリ……
鐘の音が鳴りやんで、耳が痛い気がした。
お医者さんの怒鳴り声みたいな指示が聞こえて、一段と病室が騒がしくなる。お父さんに手を引かれて、私は病室を後にした。
一週間後、おじいちゃんが退院するとき、隣のベッドには別のおじさんが眠っていた。時計のおじさんはって聞いたら、おじいちゃんもお父さんも変な顔をした。そんなもの、つけてなかったよって。ただ、あの時のおじさんは助からなかったと教えてくれた。
それから時折、あの時計を見かけるようになった。
時計を頭に乗せている人を見かけたから後を付けて、鐘の音が鳴り響いたと思ったら交通事故を目撃した。鐘が鳴りやんだと思ったら心臓マッサージが始まって、AEDが到着したけど電気ショックは不要と判断されたらしい。どういうことかよくわからなかったけど、到着した救急隊の様子からしてとても良くない状況だったらしい。
学校の集会中に先生が倒れてAEDが使われたときは、目覚まし時計は現れてなかったし、鐘も鳴らなかった。AEDでの電気ショックを受けて、救急車で運ばれて、また学校に顔を出してくれた。
遭遇する機会はそう多くはなかったけど、あれは死を告げる時計なんだと私は察していた。
久々に遭遇したソレに、無意識にため息が出る。
地下鉄の窓ガラスに映る表情は暗くて、なんだか老けて見える気がした。
こんなんじゃいけないと、唇を持ち上げる。今日は、友達とは帰らない日。今日は『金田さん』に会える日だった。
金田さnとは大学のオープンキャンパスで出会った。そこの学生だって聞いて、連絡先を交換して、こうしてたまに会ってる。
窓ガラスを鏡にして、髪の毛を整える。
鏡とかこういう窓に映った物には、あの時計が映らないから余計なものを見てしまう心配がなくてよかった。
遭遇する頻度はそう高くなくても、やっぱり人の死に触れるのは気持ちが疲れてしまう。
音の方はどうしようもないけど、せめて視界だけでも安心したかった。