死の目覚まし時計
◆
駅の改札をくぐると、金田さんが手を上げて合図をしてくれる。
明るすぎない髪色に、ふんわり優しい笑顔。手足が長くて、芸能活動しているって聞いても不思議じゃない。
「じゃあ、行こうか」
私がたどり着くと、自然と手を握ってエスコートしてくれる。
少しひんやりしてさらりとした大きな手のひらに、自分の手のひらが汗ばんでないか心配になってしまう。
今日は一緒にいつものカフェへ行く約束をしていた。いつものカフェっていうぐらい、金田さんとは頻繁に会っていた。大学生だったら、女の子とこういう時間に二人っきりで出かけるのも普通なのかな。聞いてみた気もするけど、怖かった。どういうつもりで、私と一緒にいてくれるんだろう。
――私は、もちろん……
胸の中の熱を感じながら引かれるがまま歩いていると、目的のカフェにはすぐに到着した。
半地下の落ち着いた雰囲気のカフェは隠れ家っぽいからか、いつも待たずに座れてゆっくりと話が出来る。
金田さんは大学の話、私は高校の話、勉強の相談にも乗ってもらっていた。もちろん、金田さんと同じ大学に入るために。
「飲み物はいつものでいいかな?」
いつもみたいに聞かれて、私は頷く。たまには違うものも飲んでみたい気がしたけど、最初に金田さんがおすすめしてくれたハーブティーだから。
珍しい青色のハーブティーで、レモンを入れるとピンク色に変わる。お砂糖を入れて飲むのも美味しくて、私も気に入っていたからそれでよかった。
金田さんはホットコーヒーで、他愛もない話をして過ごす。
一秒たりとも無駄にしたくない時間だけど、どうしても会話を中断して席を外すしかない瞬間もある。
私は金田さんに断ると、飲みかけのバーブティーを置いてお手洗いに立った。
簡単にお化粧も直して席に戻る。
手に取ったハーブティーは青紫っぽく色が戻ってしまっていた。
「時間がたったからかな? 味も変わってるかもしれないから、お砂糖を足したら?」
私がカップを眺めていると金田さんがお砂糖を足してくれて、私はそれを飲み干した。
ジリリリリリリリリリ!
カップの底がソーサーに当たった瞬間、鼓膜を突き破る鐘の音が鳴り響いた。
顔を上げた私と目が合って、金田さんが微笑む。
――よかった。金田さんじゃなかった。
金田さんの頭上に時計が現れていなかったことにホッとしながら、私はカフェの中を見渡した。
誰が死ぬのかなんて知ったところでどうしようもないけど、それでも確認せずにはいられなかった。
でも、私の目にいつもの目覚まし時計の姿は映らなかった。
目に映るのは、カフェの壁にあるシックな掛け時計だけ。
お店のお客さんにも、カウンターのなかの店員さんにも、頭上の異変はない。
こんなこと、初めてだった。鐘が鳴り始める前に時計に気がつくか、先に鐘の音が聞こえてもさっきみたいに見渡せばすぐ近くに時計はあった。
さっき聞いたばかりの鐘の音が耳に残っているだけ? でも、方向感覚もわからなくなるような大きな音。もともと私にしか見えない聞こえない幻のようなものだとわかっていても、今聞こえているこの音に音源となるあの時計がないとは思えなかった。
「もう出ようか?」
私の様子がおかしいことに気が付いたのか、金田さんが腰を浮かせて聞いてくる。
私は頷いて、来た時と同じように金田さんに引かれるがままカフェを出る。私がお手洗いに行っていた間に会計を済ませていてくれたらしくて、とてもスムーズだった。
スマートな姿にときめきを覚えながらも、頭が痛くなるような音にそれどころじゃなかった。
手を引かれて歩きながらも、すれ違う人の頭上を見ていく。誰も彼も頭上には何もない。あっても、帽子ぐらいだった。私が求める時計の姿はない。
誰の頭上にも時計はない。誰も死なないのならそれで良いじゃないって思うのに、不安で仕方がない。胸がドキドキして、足取りもおぼつかなくなる。
幻覚に幻聴に、自分がおかしくなってしまったと思った。それでも、一定の法則性に落ち着きを取り戻していた。それが乱れて、一生この鐘の音につきまとわれるのではないかという不安に青ざめ俯く。
手を引かれるがまま、鐘の音に怯えながら足だけを動かす。
「大丈夫?」
そう言って立ち止まった金田さんに合わせて足を止める。金田さんに視線を向けた時、周囲から人影が消えていることに気が付いた。
ビルの裏手に挟まれた薄暗い路地に、二人立って居た。
ジリリリリリリリリリ!
今も鐘の音が鳴り響いて、金田さんの声がよく聞こえない。金田さんは、私を見下ろしながら笑っていた。
繋いでいない方の手が、私の腕をつかんだ。
「やっと、吞んでくれたね」
青色に、色が戻ったバーブティー。
「二人っきりになれて、嬉しいよ」
ジリリリリリリリリリ!
貼り付けたような笑顔で私を見下ろしてくる。
金田さん。
私は、この人の下の名前も知らなかった。
ジリリリリリリリリリ!
鐘が鳴る。
命の終わりを告げる鐘が鳴る。
今も、金田さんの頭に時計はない。
周囲に、人影もない。
ここには、私と金田さんだけ。
頭上に現れ、鏡にも映らない時計。
その時計が今も鳴り響いている。
どこで時計が鳴っているのか、私はやっと理解した。
確かに、神様は私の願いを叶えてくれていた。
了
駅の改札をくぐると、金田さんが手を上げて合図をしてくれる。
明るすぎない髪色に、ふんわり優しい笑顔。手足が長くて、芸能活動しているって聞いても不思議じゃない。
「じゃあ、行こうか」
私がたどり着くと、自然と手を握ってエスコートしてくれる。
少しひんやりしてさらりとした大きな手のひらに、自分の手のひらが汗ばんでないか心配になってしまう。
今日は一緒にいつものカフェへ行く約束をしていた。いつものカフェっていうぐらい、金田さんとは頻繁に会っていた。大学生だったら、女の子とこういう時間に二人っきりで出かけるのも普通なのかな。聞いてみた気もするけど、怖かった。どういうつもりで、私と一緒にいてくれるんだろう。
――私は、もちろん……
胸の中の熱を感じながら引かれるがまま歩いていると、目的のカフェにはすぐに到着した。
半地下の落ち着いた雰囲気のカフェは隠れ家っぽいからか、いつも待たずに座れてゆっくりと話が出来る。
金田さんは大学の話、私は高校の話、勉強の相談にも乗ってもらっていた。もちろん、金田さんと同じ大学に入るために。
「飲み物はいつものでいいかな?」
いつもみたいに聞かれて、私は頷く。たまには違うものも飲んでみたい気がしたけど、最初に金田さんがおすすめしてくれたハーブティーだから。
珍しい青色のハーブティーで、レモンを入れるとピンク色に変わる。お砂糖を入れて飲むのも美味しくて、私も気に入っていたからそれでよかった。
金田さんはホットコーヒーで、他愛もない話をして過ごす。
一秒たりとも無駄にしたくない時間だけど、どうしても会話を中断して席を外すしかない瞬間もある。
私は金田さんに断ると、飲みかけのバーブティーを置いてお手洗いに立った。
簡単にお化粧も直して席に戻る。
手に取ったハーブティーは青紫っぽく色が戻ってしまっていた。
「時間がたったからかな? 味も変わってるかもしれないから、お砂糖を足したら?」
私がカップを眺めていると金田さんがお砂糖を足してくれて、私はそれを飲み干した。
ジリリリリリリリリリ!
カップの底がソーサーに当たった瞬間、鼓膜を突き破る鐘の音が鳴り響いた。
顔を上げた私と目が合って、金田さんが微笑む。
――よかった。金田さんじゃなかった。
金田さんの頭上に時計が現れていなかったことにホッとしながら、私はカフェの中を見渡した。
誰が死ぬのかなんて知ったところでどうしようもないけど、それでも確認せずにはいられなかった。
でも、私の目にいつもの目覚まし時計の姿は映らなかった。
目に映るのは、カフェの壁にあるシックな掛け時計だけ。
お店のお客さんにも、カウンターのなかの店員さんにも、頭上の異変はない。
こんなこと、初めてだった。鐘が鳴り始める前に時計に気がつくか、先に鐘の音が聞こえてもさっきみたいに見渡せばすぐ近くに時計はあった。
さっき聞いたばかりの鐘の音が耳に残っているだけ? でも、方向感覚もわからなくなるような大きな音。もともと私にしか見えない聞こえない幻のようなものだとわかっていても、今聞こえているこの音に音源となるあの時計がないとは思えなかった。
「もう出ようか?」
私の様子がおかしいことに気が付いたのか、金田さんが腰を浮かせて聞いてくる。
私は頷いて、来た時と同じように金田さんに引かれるがままカフェを出る。私がお手洗いに行っていた間に会計を済ませていてくれたらしくて、とてもスムーズだった。
スマートな姿にときめきを覚えながらも、頭が痛くなるような音にそれどころじゃなかった。
手を引かれて歩きながらも、すれ違う人の頭上を見ていく。誰も彼も頭上には何もない。あっても、帽子ぐらいだった。私が求める時計の姿はない。
誰の頭上にも時計はない。誰も死なないのならそれで良いじゃないって思うのに、不安で仕方がない。胸がドキドキして、足取りもおぼつかなくなる。
幻覚に幻聴に、自分がおかしくなってしまったと思った。それでも、一定の法則性に落ち着きを取り戻していた。それが乱れて、一生この鐘の音につきまとわれるのではないかという不安に青ざめ俯く。
手を引かれるがまま、鐘の音に怯えながら足だけを動かす。
「大丈夫?」
そう言って立ち止まった金田さんに合わせて足を止める。金田さんに視線を向けた時、周囲から人影が消えていることに気が付いた。
ビルの裏手に挟まれた薄暗い路地に、二人立って居た。
ジリリリリリリリリリ!
今も鐘の音が鳴り響いて、金田さんの声がよく聞こえない。金田さんは、私を見下ろしながら笑っていた。
繋いでいない方の手が、私の腕をつかんだ。
「やっと、吞んでくれたね」
青色に、色が戻ったバーブティー。
「二人っきりになれて、嬉しいよ」
ジリリリリリリリリリ!
貼り付けたような笑顔で私を見下ろしてくる。
金田さん。
私は、この人の下の名前も知らなかった。
ジリリリリリリリリリ!
鐘が鳴る。
命の終わりを告げる鐘が鳴る。
今も、金田さんの頭に時計はない。
周囲に、人影もない。
ここには、私と金田さんだけ。
頭上に現れ、鏡にも映らない時計。
その時計が今も鳴り響いている。
どこで時計が鳴っているのか、私はやっと理解した。
確かに、神様は私の願いを叶えてくれていた。
了