転生聖職者の楽しい過ごし方
第15話 舞踏会
‘コンコンコン’とノックの音がして、リナさんが扉を開けると、普段とは全く違った制服姿のオリヴィエ参謀が入ってきた。
「兄さん、ちょっと座って待ってて。」
リナさんが軽く言うと、
「特別儀礼服は、シワになりやすいんだ。立って待ってる。」
「そう?分かった。」
オリヴィエ参謀は壁に寄りかかりながら、手持ち無沙汰なのかサーベルをいじっている。
アナスタシアさんは私の髪の毛を一生懸命セットしてくれている。
「そんな緊張されなくても、大丈夫でございますよ。」
鏡に映るアナスタシアさんの瞳を見る。彼女は優しく笑う。私は無意識にため息を吐いていたようだ。
「この世界に来る前も、私はこんな晴れがましい集まりに出席したことはなかったので・・・本当に苦手で。」
リナさんは、頬の辺りをブラシで撫でる。
「リオ様。出来ました。」
ケープ代わりのタオルをアナスタシアさんが取ってくれ、リナさんが手を差し出してくれた。
∴∵
「まぁ。いいわ。これで。リンデル、お茶。」
「はい。救世主トシコ様。」
利子は姿見に映る自分の姿を満足そうに眺める。ぬるくなった紅茶をリンデルが差し替える。
「今日の私、会場で一番の美人よね。そうでしょう?美しいでしょ?リンデル。」
「はい。救世主トシコ様。」
「ありがとう。」
「はい。救世主トシコ様。」
∴∵
里桜は馬車の中で、無意識に長いため息を吐いていた。内心、馬がもう少しちんたらと走ってくれれば良いものを・・・と思っていたが、今日はいつもの馬車ではなく、王レオナールの紋章付き馬車で、どの貴族の馬車も道をあけて通すので、この分では王宮にすぐ到着してしまいそうだった。
「大丈夫か?」
「突然、カドリーユとやらを踊らなくてはいけないと言われて・・・猛勉強したんですけど、全く自信がなくて。しかもワルツは全員が踊る中で踊るって聞いていたのに、カドリーユは四人だけが踊るって言うし・・・」
「ぷっ。はははははっ。」
「何で笑うんですか!本当に困って、本当に胃が痛むんですよ。」
シルヴァンは窓枠に肘を乗せ、頬杖をつきながら今も笑っている。
「いや、いや。市井で働きたいと言っていたときは、随分ハキハキとした娘さんだと思っていたんだけれどな。意外にも気弱なところもあるのだなと。」
「人には向き不向きな仕事ってものがあるんですよね。人に見られるって事が私は苦手なので・・・」
里桜は、自分の胸に手を当てて、必死に落ち着こうとするが、逆にどんどん緊張で手足が震えてくる。
「大丈夫だ。俺も、陛下もいらっしゃる。」
「はい。・・・って、その王様が突然一週間を切ってからダンス増やしたんですよね?もぅ。・・・あっ私の虹の力ならどうにか出来ますかね?もう舞踏会が終わったと皆に催眠をかけるとか。それか・・・」
里桜が一人考えにふけっていると、
「おいっ。自分が思っている以上に悪い顔してんぞ。」
「えっ?」
二人でひとしきり笑ったところで、馬車が王宮の馬車回しに到着した。
「さっ。行くぞ。今日は一人にはしないから。とにかく安心して。それにお目付役にアナスタシア嬢もカンバーランド公爵令嬢として来るから。安心しろ。」
先に降りたシルヴァンが、手をそっと差し出す。それを取り、一歩を踏み出した。
∴∵
里桜とシルヴァンが到着すると、王宮の従僕が、恭しく案内してくれた。長い廊下を歩き、控え室らしき部屋に通された。
そこには護衛のための騎士と世話をするための従僕が何人か控えていた。中央に置かれたソファを薦められたが窓際の椅子の方に腰をかけた。
置かれた調度がすべて日本ではチューダー様式と言われるような重厚なデザインで、王宮の客間に少しの間住んでいたが、この厳めしい造りがどうにも里桜とは相性が悪い。
自然と何度もため息を吐いていたようで、シルヴァンは耐えきれずに笑い出した。
「オリヴィエ様。笑わないで下さいませ。」
小さな声で里桜が抗議する。
「悪い。いや、俺もこんな場は好きでなくていつも断っているんだが、君といると、自分の憂鬱も吹っ飛ぶな。」
「それは、自分よりお酒が弱い人と一緒に飲むと、酔うに酔えないみたいな感覚でしょうか?」
「うん?・・・まぁ。そんなものかな。」
シルヴァンは愉快そうに笑った。
「国王陛下、救世主様お見えでございます。」
その場にいるシルヴァンを含む騎士は最高位の礼をする。その他の男性は顔を俯かせる。里桜はカーテシーで出迎えた。
「顔を上げられよ。」
その言葉で、皆が姿勢を戻す。利子はソファにどかりと座ると、側の従僕にお茶を淹れるよう指示をした。その場にいた最高位のシルヴァンが挨拶を述べようとすると、レオナールは“挨拶はよい”と笑顔で返し、里桜とシルヴァンの方へ近寄る。
「初めまして、渡り人殿。私がこの国の王。レオナール・エレイクロンだ。この度我が国に来て頂けたこと有り難く思う。今宵は楽しまれよ。」
「お言葉、恐悦至極に存じます。」
「ところで、渡り人殿、だいぶ、無理してダンスの練習時間を作っていたようだが、体は平気か?」
里桜は聞き覚えのある質問に、一拍返事が遅くなった。
「はい。お気遣い頂きまして、有り難く存じます。しかし私は、何もかもが未熟でございますので、人より多くの練習が必要なのでございます。陛下のお心、痛み入ります。」
「ふっ。返答も全く同じか。次はもう少し独創性を持った返答を期待する。」
里桜は言われていることの意味が分からず、顔を伏せたままで、シルヴァンの方を見た。シルヴァンも分からないと言った顔をしている。
それから恐る恐るその声の方を見て、目を大きく開いた。一時停止した里桜の姿を見て、レオナールはおかしそうに笑う。
里桜がシルヴァンの方を見ると、状況が全く分からないシルヴァンは“何だ?”と言いたげな顔をする。
「陛下、まもなく入場のお時間でございます。」
レオナールの侍従がよく通る声で告げた。レオナールはソファに座っていた利子にそっと手を差し伸べる。今まで視界に入っていなかった利子のドレス姿を見て里桜は言葉を失った。伺うような視線をシルヴァンに向けると、少し困った様な顔をしていた。
∴∵
「シルヴァン・オリヴィエ男爵、渡り人・リオ様。」
シルヴァンのエスコートで会場の真ん中近くまで進み、二人で礼をする。里桜自身笑顔が引きつっている感じはしているが、それが自分でもどうにもならないのも感じていた。
「凶悪な笑顔してるぞ。」
隣に立つシルヴァンが小声で話しかけてくる。
「知っています。私、昔から無理に笑おうとすると悪役みたいになってしまうんです。」
「無理に笑わなくても大丈夫だぞ。」
「お気遣い、有り難く存じます。でももう無理。この表情で固まってます。」
「国王陛下、救世主トシコ様。」
扉が開き、二人が登場するとその場が騒然とした。
そこかしこで、婚約は何時されたのかなどと囁かれている。里桜はそんな囁きも耳に入れないように努めた。
練習の時に何度か使ったオペラの音楽が鳴った。里桜はそこから無心にカドリーユのステップを踏む事だけを意識した。
∴∵
音楽が終わり、カーテシーで挨拶をすると続いてワルツが流れる。それを合図に人々が手を取り合ってホールの中央に進んでくる。里桜もシルヴァンに向ってカーテシーをして、ワルツを踊り始めた。
「あの、ずっと思っていたのですが、私の名前って、ずっと渡り人・リオなんでしょうか?」
「Iris様って呼ばれたいのか?」
「いえ、そうではなくて。ファミリーネームは早崎って言うんです。私のフルネームは育った国で言うと、早崎里桜なんですよ。」
「この国の言葉を話す者にとって、はやさきはとても発音がし辛いな。」
「そうみたいですね。オリヴィエ様も発音出来ていませんから。」
「笑うな。」
「はい。申し訳ございませんでした。まぁ。名前なんて一種の記号みたいなものだと思っているので、私だと分かるのでしたら何でも良いんですが・・・」
「その考えは、何となく貴女らしい。」
シルヴァンは優しい顔で笑い、里桜もつられて笑顔になった。里桜は当初持っていた緊張感や憂鬱な気持ちをすっかり忘れ、シルヴァンとのダンスを心から楽しんだ。
「兄さん、ちょっと座って待ってて。」
リナさんが軽く言うと、
「特別儀礼服は、シワになりやすいんだ。立って待ってる。」
「そう?分かった。」
オリヴィエ参謀は壁に寄りかかりながら、手持ち無沙汰なのかサーベルをいじっている。
アナスタシアさんは私の髪の毛を一生懸命セットしてくれている。
「そんな緊張されなくても、大丈夫でございますよ。」
鏡に映るアナスタシアさんの瞳を見る。彼女は優しく笑う。私は無意識にため息を吐いていたようだ。
「この世界に来る前も、私はこんな晴れがましい集まりに出席したことはなかったので・・・本当に苦手で。」
リナさんは、頬の辺りをブラシで撫でる。
「リオ様。出来ました。」
ケープ代わりのタオルをアナスタシアさんが取ってくれ、リナさんが手を差し出してくれた。
∴∵
「まぁ。いいわ。これで。リンデル、お茶。」
「はい。救世主トシコ様。」
利子は姿見に映る自分の姿を満足そうに眺める。ぬるくなった紅茶をリンデルが差し替える。
「今日の私、会場で一番の美人よね。そうでしょう?美しいでしょ?リンデル。」
「はい。救世主トシコ様。」
「ありがとう。」
「はい。救世主トシコ様。」
∴∵
里桜は馬車の中で、無意識に長いため息を吐いていた。内心、馬がもう少しちんたらと走ってくれれば良いものを・・・と思っていたが、今日はいつもの馬車ではなく、王レオナールの紋章付き馬車で、どの貴族の馬車も道をあけて通すので、この分では王宮にすぐ到着してしまいそうだった。
「大丈夫か?」
「突然、カドリーユとやらを踊らなくてはいけないと言われて・・・猛勉強したんですけど、全く自信がなくて。しかもワルツは全員が踊る中で踊るって聞いていたのに、カドリーユは四人だけが踊るって言うし・・・」
「ぷっ。はははははっ。」
「何で笑うんですか!本当に困って、本当に胃が痛むんですよ。」
シルヴァンは窓枠に肘を乗せ、頬杖をつきながら今も笑っている。
「いや、いや。市井で働きたいと言っていたときは、随分ハキハキとした娘さんだと思っていたんだけれどな。意外にも気弱なところもあるのだなと。」
「人には向き不向きな仕事ってものがあるんですよね。人に見られるって事が私は苦手なので・・・」
里桜は、自分の胸に手を当てて、必死に落ち着こうとするが、逆にどんどん緊張で手足が震えてくる。
「大丈夫だ。俺も、陛下もいらっしゃる。」
「はい。・・・って、その王様が突然一週間を切ってからダンス増やしたんですよね?もぅ。・・・あっ私の虹の力ならどうにか出来ますかね?もう舞踏会が終わったと皆に催眠をかけるとか。それか・・・」
里桜が一人考えにふけっていると、
「おいっ。自分が思っている以上に悪い顔してんぞ。」
「えっ?」
二人でひとしきり笑ったところで、馬車が王宮の馬車回しに到着した。
「さっ。行くぞ。今日は一人にはしないから。とにかく安心して。それにお目付役にアナスタシア嬢もカンバーランド公爵令嬢として来るから。安心しろ。」
先に降りたシルヴァンが、手をそっと差し出す。それを取り、一歩を踏み出した。
∴∵
里桜とシルヴァンが到着すると、王宮の従僕が、恭しく案内してくれた。長い廊下を歩き、控え室らしき部屋に通された。
そこには護衛のための騎士と世話をするための従僕が何人か控えていた。中央に置かれたソファを薦められたが窓際の椅子の方に腰をかけた。
置かれた調度がすべて日本ではチューダー様式と言われるような重厚なデザインで、王宮の客間に少しの間住んでいたが、この厳めしい造りがどうにも里桜とは相性が悪い。
自然と何度もため息を吐いていたようで、シルヴァンは耐えきれずに笑い出した。
「オリヴィエ様。笑わないで下さいませ。」
小さな声で里桜が抗議する。
「悪い。いや、俺もこんな場は好きでなくていつも断っているんだが、君といると、自分の憂鬱も吹っ飛ぶな。」
「それは、自分よりお酒が弱い人と一緒に飲むと、酔うに酔えないみたいな感覚でしょうか?」
「うん?・・・まぁ。そんなものかな。」
シルヴァンは愉快そうに笑った。
「国王陛下、救世主様お見えでございます。」
その場にいるシルヴァンを含む騎士は最高位の礼をする。その他の男性は顔を俯かせる。里桜はカーテシーで出迎えた。
「顔を上げられよ。」
その言葉で、皆が姿勢を戻す。利子はソファにどかりと座ると、側の従僕にお茶を淹れるよう指示をした。その場にいた最高位のシルヴァンが挨拶を述べようとすると、レオナールは“挨拶はよい”と笑顔で返し、里桜とシルヴァンの方へ近寄る。
「初めまして、渡り人殿。私がこの国の王。レオナール・エレイクロンだ。この度我が国に来て頂けたこと有り難く思う。今宵は楽しまれよ。」
「お言葉、恐悦至極に存じます。」
「ところで、渡り人殿、だいぶ、無理してダンスの練習時間を作っていたようだが、体は平気か?」
里桜は聞き覚えのある質問に、一拍返事が遅くなった。
「はい。お気遣い頂きまして、有り難く存じます。しかし私は、何もかもが未熟でございますので、人より多くの練習が必要なのでございます。陛下のお心、痛み入ります。」
「ふっ。返答も全く同じか。次はもう少し独創性を持った返答を期待する。」
里桜は言われていることの意味が分からず、顔を伏せたままで、シルヴァンの方を見た。シルヴァンも分からないと言った顔をしている。
それから恐る恐るその声の方を見て、目を大きく開いた。一時停止した里桜の姿を見て、レオナールはおかしそうに笑う。
里桜がシルヴァンの方を見ると、状況が全く分からないシルヴァンは“何だ?”と言いたげな顔をする。
「陛下、まもなく入場のお時間でございます。」
レオナールの侍従がよく通る声で告げた。レオナールはソファに座っていた利子にそっと手を差し伸べる。今まで視界に入っていなかった利子のドレス姿を見て里桜は言葉を失った。伺うような視線をシルヴァンに向けると、少し困った様な顔をしていた。
∴∵
「シルヴァン・オリヴィエ男爵、渡り人・リオ様。」
シルヴァンのエスコートで会場の真ん中近くまで進み、二人で礼をする。里桜自身笑顔が引きつっている感じはしているが、それが自分でもどうにもならないのも感じていた。
「凶悪な笑顔してるぞ。」
隣に立つシルヴァンが小声で話しかけてくる。
「知っています。私、昔から無理に笑おうとすると悪役みたいになってしまうんです。」
「無理に笑わなくても大丈夫だぞ。」
「お気遣い、有り難く存じます。でももう無理。この表情で固まってます。」
「国王陛下、救世主トシコ様。」
扉が開き、二人が登場するとその場が騒然とした。
そこかしこで、婚約は何時されたのかなどと囁かれている。里桜はそんな囁きも耳に入れないように努めた。
練習の時に何度か使ったオペラの音楽が鳴った。里桜はそこから無心にカドリーユのステップを踏む事だけを意識した。
∴∵
音楽が終わり、カーテシーで挨拶をすると続いてワルツが流れる。それを合図に人々が手を取り合ってホールの中央に進んでくる。里桜もシルヴァンに向ってカーテシーをして、ワルツを踊り始めた。
「あの、ずっと思っていたのですが、私の名前って、ずっと渡り人・リオなんでしょうか?」
「Iris様って呼ばれたいのか?」
「いえ、そうではなくて。ファミリーネームは早崎って言うんです。私のフルネームは育った国で言うと、早崎里桜なんですよ。」
「この国の言葉を話す者にとって、はやさきはとても発音がし辛いな。」
「そうみたいですね。オリヴィエ様も発音出来ていませんから。」
「笑うな。」
「はい。申し訳ございませんでした。まぁ。名前なんて一種の記号みたいなものだと思っているので、私だと分かるのでしたら何でも良いんですが・・・」
「その考えは、何となく貴女らしい。」
シルヴァンは優しい顔で笑い、里桜もつられて笑顔になった。里桜は当初持っていた緊張感や憂鬱な気持ちをすっかり忘れ、シルヴァンとのダンスを心から楽しんだ。