転生聖職者の楽しい過ごし方
第19話 神様の振ったサイコロ 光
離宮の広い応接間で、利子はリリアンヌから魔術訓練を受けていた。しかし、水すらも調節して出すことが出来ずリリアンヌを大いに手こずらせていた。
「トシコ様の魔力はお強いですが、加減が利かない部分がございますので、明日からはそこをもう少し訓練致しましょう。」
リリアンヌは利子に優しく諭す。
「強いものをわざわざ弱く使う必要はないでしょう?私は救世主なんだから、白や赤の魔力で済ませられることは私以外の人がやることで、私がやることではないもの。今日は疲れたわ。少し横になりたい。リンデル。」
「はい。救世主トシコ様。」
「リリアンヌ先生お帰りよ。お送りして。」
「はい。救世主トシコ様。」
リリアンヌは気付かれない様に軽くため息を吐いた。
∴∵
「リオ様、少しお休み下さい。」
リナは、負傷兵用のベッドの間を急ぎ足で歩く里桜に話しかける。この言葉を何度言い、何度無視されているだろう。里桜はくるっと振り向いて、リナに向って笑った。
「ありがとう。リナさんまだ、私は大丈夫です。あと、少しですから。」
そう言って、里桜は運ばれてきたばかりの兵士のベットへ近づく。
「シメオンさんも現地へ行っていたのね。」
「リオ聖徒・・・」
この、話すのも苦しそうな青年は、背丈がシルヴァンと近いために、里桜のダンスレッスンに付き合ってくれていた一人だった。柔らかそうなダークブロンドの髪は泥や血で汚れている。止血のために巻かれていた包帯や布をリナと一緒に全て取ると、右頬と右肩から左腿まで対角線に深い傷があった。里桜は思わず目を逸らした。
「・・申訳・けありません・・・。」
シメオンの声に里桜は下唇を強く噛んだ。
「・・・こちらこそごめんなさい。直ぐに治しますから。少し我慢して。」
里桜が治癒の魔術をかけるとシメオンの傷口をなぞるように発光した。そして、少しずつ傷口は治っていく。
「シメオンさん、私の魔力は普通の聖徒様より強いから、急激に魔力を与えると拒否反応を起こすみたいなの。だから、少し時間はかかるけれど、終わったら直ぐに起き上がれる様になりますから。」
そう話しているうちに全ての傷口は塞がった。最後に頭部の不調を探る。
「目を開けて下さい。」
シメオンは言われた通りゆっくりと目を開ける。すると、明るい笑顔を見せた。そして、上体を起こす。
「リオ聖徒、もうどこも痛くありません。ありがとうございます。」
「ううん。お礼なんて言わなくて良いです。シメオンさんこそ、皆のために戦ってくれてありがとう。治ったと言っても、今日はもうこれ以上動いたらダメですからね。」
リナが出してくれたぬるま湯でタオルを濡らしてシメオンの髪や顔の汚れを拭う。首や肩も血や泥で汚れている。それを優しく拭き取っていく。
「ありがとうございます。あとは、自分で出来ますので。」
はにかんで手を差し出したシメオンに濡れタオルを手渡す。そこへアナスタシアがやって来た。
「リオ様、一旦これで終わりです。この後他の聖徒と尊者が診療をしますので、一度お部屋へ。」
「私はもう少し大丈夫。働けます。」
「リオ様がお続けになるならば・・・それでは、私も診療に戻ります。」
里桜は踵を返すアナスタシアに“ちょっと待って”と声を掛ける。里桜にはアナスタシアの魔力の量が少なくなっていることが感じられている。
「やっぱり、疲れたので少し休むことにします。」
アナスタシアもリナもにっこりと笑って頷く。
「その代わり、お二人もきちんとお休みして下さいね。今日は私の世話はしなくてもよいので。」
∴∵
空が薄く白けてきた頃、寮の庭を里桜は一人歩いていた。昨夜は夜遅くまで寮を人が出入りする音がしていた。今もあのベルの音を思い出すと心拍数が上がる気さえする。
整えられた庭の花を見ていると、簡素な馬車が到着するのが見えた。王宮と寮は徒歩ではかなりの距離があり、みな馬車を使って移動する。きっといつもならこの時間の馬車は不審に思うだろうが、今は緊急事態なのでそう気にもせず関心は既に違う物に移っていた。
里桜は深くため息を吐いた。今日は、早く起きてしまったのではなく、一睡も出来なかったのだ。食べ物も喉を通らず、無理矢理に飲み込めばすぐにトイレへ駆け込む羽目になった。目を閉じれば血まみれで苦しそうにする兵士たちの姿が浮かぶ。傷や病は重い程、魔力の強さと量を必要とする。そのせいで、里桜の所には重傷の兵士だけが運ばれてきていた。
日本では一般企業の事務担当をしていた里桜にとって、ぎりぎり腕が繋がっている様な傷や、骨まで見えそうな程の切り傷など今日が初めてだった。
ジャスミンの香りを一吸いして、目を閉じると静かに涙が零れた。落ち着かせる様にゆっくりと呼吸をする。その度にジャスミンの香りが鼻孔をくすぐる。
「リオ?」
思いがけず名前を呼ばれ、反射的に振り向いてしまった。そこに立っていたのはレオナールだった。
見つめ合ったのは実際には数秒の出来事なのだろうが、涙を見られた気まずさが時を長く感じさせていた。里桜は袖口でくいっと涙を拭きながら何でもない事の様に努めて言った。
「・・・なんで陛下がこんな所に?」
「いや、少しこの庭が見たくなって。」
レオナールは、下手な言い訳だと、自身でも分かっていた。会議室から執務室へ向うところで里桜とすれ違った。救護所の帰りだと言っていたがレオナールが今まで見たことのないほど元気がなかった。それがどうにも気になって仕方がなかったのだ。
「あぁ陛下。お借りしていた古記録、読み終わりましたのでお返ししますね。少しだけお待ちください。」
里桜は、そっと部屋に繋がるガラス扉を開け、部屋の中に消えた。
「お待たせ致しました。お借りしていた古記録です。」
差し出したのは、紙袋だった。レオナールは不思議そうに袋を見た。
「あぁ、日に焼けてしまったらいけないと思って、紙袋に入れました。」
「さっき、泣いていた様に見えたけど?」
「まだ、薄暗いですから見間違いでは?」
「それにしても、元気がない。」
「今日は皆さんお疲れでしょう?陛下もこんな時間まで起きていらっしゃる。」
「それでは、リオもやはり眠れなかったのだな?」
黙ってしまった里桜に‘んっどうした?’とレオナールが問いかける。その口調があまりにも優しくて、
「何でそんな優しい言い方・・・」
里桜は涙を堪えようとするが、不甲斐ないほどに声が震えてしまっていた。もう涙は堰き止めるのも難しいくらいに目にたまり、レオナールの姿を滲ませる。涙が零れることを恐れて、俯くことも踵を返すことも瞬きすらも出来ない。
「多くの兵士が負傷したと聞いた。」
話しながら、一歩ずつ里桜に近づく。
「リオも治療に出ていたのだな。尊者ではないと治せない怪我もリオが治したと聞いた。ありがとう。」
まるで、野良猫を手懐けようとしているかの様にゆっくり、ゆっくりと里桜に近づき、紙袋を受け取るとそのままそっと里桜を胸に抱いた。
ジャケットを羽織らずシャツのままのレオナールの胸に里桜の涙は吸い取られていく。力強く抱きしめられるのではなく、優しく包み込む様に抱きしめられ、ゆっくりと頭を撫でられる。
「リオ。ありがとう。以前約束した通りこの国の兵士を助けてくれて。そして済まなかった。優しいお前にとって身近な者が傷つく姿を見るのは耐え難いだろう。」
「陛下。離してください。」
里桜は小さな声で訴えるが、その身体は小刻みに震えていて、まだ泣いているのが見なくても分かる。
「今、体を離したら、俺に泣き顔を見られるぞ。この出来事は終わったら全て忘れると約束する。だから思いっきり泣けば良い。泣いているリオをここに置いて帰るほど冷淡な人間にはなれない。一緒にいさせて欲しい。」
「トシコ様の魔力はお強いですが、加減が利かない部分がございますので、明日からはそこをもう少し訓練致しましょう。」
リリアンヌは利子に優しく諭す。
「強いものをわざわざ弱く使う必要はないでしょう?私は救世主なんだから、白や赤の魔力で済ませられることは私以外の人がやることで、私がやることではないもの。今日は疲れたわ。少し横になりたい。リンデル。」
「はい。救世主トシコ様。」
「リリアンヌ先生お帰りよ。お送りして。」
「はい。救世主トシコ様。」
リリアンヌは気付かれない様に軽くため息を吐いた。
∴∵
「リオ様、少しお休み下さい。」
リナは、負傷兵用のベッドの間を急ぎ足で歩く里桜に話しかける。この言葉を何度言い、何度無視されているだろう。里桜はくるっと振り向いて、リナに向って笑った。
「ありがとう。リナさんまだ、私は大丈夫です。あと、少しですから。」
そう言って、里桜は運ばれてきたばかりの兵士のベットへ近づく。
「シメオンさんも現地へ行っていたのね。」
「リオ聖徒・・・」
この、話すのも苦しそうな青年は、背丈がシルヴァンと近いために、里桜のダンスレッスンに付き合ってくれていた一人だった。柔らかそうなダークブロンドの髪は泥や血で汚れている。止血のために巻かれていた包帯や布をリナと一緒に全て取ると、右頬と右肩から左腿まで対角線に深い傷があった。里桜は思わず目を逸らした。
「・・申訳・けありません・・・。」
シメオンの声に里桜は下唇を強く噛んだ。
「・・・こちらこそごめんなさい。直ぐに治しますから。少し我慢して。」
里桜が治癒の魔術をかけるとシメオンの傷口をなぞるように発光した。そして、少しずつ傷口は治っていく。
「シメオンさん、私の魔力は普通の聖徒様より強いから、急激に魔力を与えると拒否反応を起こすみたいなの。だから、少し時間はかかるけれど、終わったら直ぐに起き上がれる様になりますから。」
そう話しているうちに全ての傷口は塞がった。最後に頭部の不調を探る。
「目を開けて下さい。」
シメオンは言われた通りゆっくりと目を開ける。すると、明るい笑顔を見せた。そして、上体を起こす。
「リオ聖徒、もうどこも痛くありません。ありがとうございます。」
「ううん。お礼なんて言わなくて良いです。シメオンさんこそ、皆のために戦ってくれてありがとう。治ったと言っても、今日はもうこれ以上動いたらダメですからね。」
リナが出してくれたぬるま湯でタオルを濡らしてシメオンの髪や顔の汚れを拭う。首や肩も血や泥で汚れている。それを優しく拭き取っていく。
「ありがとうございます。あとは、自分で出来ますので。」
はにかんで手を差し出したシメオンに濡れタオルを手渡す。そこへアナスタシアがやって来た。
「リオ様、一旦これで終わりです。この後他の聖徒と尊者が診療をしますので、一度お部屋へ。」
「私はもう少し大丈夫。働けます。」
「リオ様がお続けになるならば・・・それでは、私も診療に戻ります。」
里桜は踵を返すアナスタシアに“ちょっと待って”と声を掛ける。里桜にはアナスタシアの魔力の量が少なくなっていることが感じられている。
「やっぱり、疲れたので少し休むことにします。」
アナスタシアもリナもにっこりと笑って頷く。
「その代わり、お二人もきちんとお休みして下さいね。今日は私の世話はしなくてもよいので。」
∴∵
空が薄く白けてきた頃、寮の庭を里桜は一人歩いていた。昨夜は夜遅くまで寮を人が出入りする音がしていた。今もあのベルの音を思い出すと心拍数が上がる気さえする。
整えられた庭の花を見ていると、簡素な馬車が到着するのが見えた。王宮と寮は徒歩ではかなりの距離があり、みな馬車を使って移動する。きっといつもならこの時間の馬車は不審に思うだろうが、今は緊急事態なのでそう気にもせず関心は既に違う物に移っていた。
里桜は深くため息を吐いた。今日は、早く起きてしまったのではなく、一睡も出来なかったのだ。食べ物も喉を通らず、無理矢理に飲み込めばすぐにトイレへ駆け込む羽目になった。目を閉じれば血まみれで苦しそうにする兵士たちの姿が浮かぶ。傷や病は重い程、魔力の強さと量を必要とする。そのせいで、里桜の所には重傷の兵士だけが運ばれてきていた。
日本では一般企業の事務担当をしていた里桜にとって、ぎりぎり腕が繋がっている様な傷や、骨まで見えそうな程の切り傷など今日が初めてだった。
ジャスミンの香りを一吸いして、目を閉じると静かに涙が零れた。落ち着かせる様にゆっくりと呼吸をする。その度にジャスミンの香りが鼻孔をくすぐる。
「リオ?」
思いがけず名前を呼ばれ、反射的に振り向いてしまった。そこに立っていたのはレオナールだった。
見つめ合ったのは実際には数秒の出来事なのだろうが、涙を見られた気まずさが時を長く感じさせていた。里桜は袖口でくいっと涙を拭きながら何でもない事の様に努めて言った。
「・・・なんで陛下がこんな所に?」
「いや、少しこの庭が見たくなって。」
レオナールは、下手な言い訳だと、自身でも分かっていた。会議室から執務室へ向うところで里桜とすれ違った。救護所の帰りだと言っていたがレオナールが今まで見たことのないほど元気がなかった。それがどうにも気になって仕方がなかったのだ。
「あぁ陛下。お借りしていた古記録、読み終わりましたのでお返ししますね。少しだけお待ちください。」
里桜は、そっと部屋に繋がるガラス扉を開け、部屋の中に消えた。
「お待たせ致しました。お借りしていた古記録です。」
差し出したのは、紙袋だった。レオナールは不思議そうに袋を見た。
「あぁ、日に焼けてしまったらいけないと思って、紙袋に入れました。」
「さっき、泣いていた様に見えたけど?」
「まだ、薄暗いですから見間違いでは?」
「それにしても、元気がない。」
「今日は皆さんお疲れでしょう?陛下もこんな時間まで起きていらっしゃる。」
「それでは、リオもやはり眠れなかったのだな?」
黙ってしまった里桜に‘んっどうした?’とレオナールが問いかける。その口調があまりにも優しくて、
「何でそんな優しい言い方・・・」
里桜は涙を堪えようとするが、不甲斐ないほどに声が震えてしまっていた。もう涙は堰き止めるのも難しいくらいに目にたまり、レオナールの姿を滲ませる。涙が零れることを恐れて、俯くことも踵を返すことも瞬きすらも出来ない。
「多くの兵士が負傷したと聞いた。」
話しながら、一歩ずつ里桜に近づく。
「リオも治療に出ていたのだな。尊者ではないと治せない怪我もリオが治したと聞いた。ありがとう。」
まるで、野良猫を手懐けようとしているかの様にゆっくり、ゆっくりと里桜に近づき、紙袋を受け取るとそのままそっと里桜を胸に抱いた。
ジャケットを羽織らずシャツのままのレオナールの胸に里桜の涙は吸い取られていく。力強く抱きしめられるのではなく、優しく包み込む様に抱きしめられ、ゆっくりと頭を撫でられる。
「リオ。ありがとう。以前約束した通りこの国の兵士を助けてくれて。そして済まなかった。優しいお前にとって身近な者が傷つく姿を見るのは耐え難いだろう。」
「陛下。離してください。」
里桜は小さな声で訴えるが、その身体は小刻みに震えていて、まだ泣いているのが見なくても分かる。
「今、体を離したら、俺に泣き顔を見られるぞ。この出来事は終わったら全て忘れると約束する。だから思いっきり泣けば良い。泣いているリオをここに置いて帰るほど冷淡な人間にはなれない。一緒にいさせて欲しい。」