転生聖職者の楽しい過ごし方
「リオ様、そろそろお時間が。リナさんが心配されてしまいますので。」

 里桜が本から顔を上げると、外はすっかり暗くなっていた。リナは夕食や諸々の準備のため、先に寮へ帰っていた。

「エシタリシテソージャは比較的新しい国なのね。」
「そうですね。近隣国では唯一国名が変わった国でございますね。」
「陛下が貴賤意識が強く、伝統を重んじる国だと仰って。勝手に古い国だと思い込んでたみたい。」

 里桜は読んでいた本を書架に戻しに行く。

「いつも思うけど、アナスタシアは本当に博識ね。私が聞いて答えられなかった事がないくらい。」
「いいえ。私など、それほどでも。ただ、父は先王の兄、祖母も王女。そう言う家系ですから。国内外のことに幼い頃から興味がありました。」

 里桜は振り向いて、

「本当に単純な疑問なのだけど、陛下の結婚相手…王妃にアナスタシアの名前は挙がらなかったの?知識の豊富さも家格も魔力の強さもアナスタシアなら申し分ないでしょう?」
「先ほども申しましたが、祖母が王女、父が先王の兄では血が近すぎますので。私は逆に初めから外されておりました。ただ、王妃が定まった際には侍女になる道もあるのではと、勉強していただけでございます。」
「あ・・・。うん。そうね。私が生きていた時代には近親婚は道義的にも遺伝子学的にも禁止されていたけど、昔にはそう言う婚姻関係もあった様だったから。少し意外。」
「数百年前までは我が国も、魔力の強さを維持するために近親婚をしておりました。が、エパナスターシに渡ってきた救世主が近親婚の危険性について語り、近隣諸国にもその考えを広めました。今この大陸で近親婚をする国はありません。」
「それも、救世主の国に対しての貢献の仕方なのね。そう考えると、いつも思うのが私は何も出来ないって事。学があるわけでもないし、食料を自給自足出来る様な逞しさもない。何も出来ないことを痛感するな。」
「いいえ。リオ様。そんなことはございません。救世主が男性であった場合、私が救世主と婚姻を結ぶことになっておりました。しかも二人の間に出来た男子は陛下の元に養子に出す様に言われていたのです。」
「そんな…。」

 アナスタシアは微笑んだ。

「そもそも、私の存在自体が、王家に何かがあったときの代替品のようなもので。それも、私の役割だと覚悟を決めておりました。でも、私にはそうして夫を支える事よりも、こうしてリオ様の侍女として自分の知識や経験や魔力を使えることの方が合っております。初めは虹の女神だなどと思いも致しませんでしたが、渡ってきて下さったのがリオ様で、少なくとも私は本当に救われました。」
「ありがとう。アナスタシア。私もあの日教育係として来てくれたのがあなたで本当に良かった。さぁ、話し込んでしまったけど、早く帰らなきゃ。」
「そうですね。」
「どうでした?言葉遣い、及第点頂けますか?」
「リオ様、お言葉が。」
「…はい。」


∴∵


「いよいよ、日程が決まったよ。」

 神殿の里桜の執務室でクロヴィスがさっと寄越した紙には、大きく四十泊四十一日と書いてある。

「四十泊?」
「馬車での行動だし、途中女神祭と治療所があるからね。」
「お醤油食べるのも楽ではないか…。」
「そんなに魅惑的な調味料なの?」
「宰相は醤油味召し上がったことないですか?」
「エシタリシテソージャには行ったことあるから勿論食べたことはあるけどね。君に女神としての御披露目をさせるほどだとは……」
「カラヴィさんに伺ったら、」

 ジョルジュが'コホン'と咳払いをする。

「カラヴィに聞いたところ、国内にいくつかの醤油蔵があると。王都にも一件あるそうなので、それを是非とも拝見したいと……存じます。」
「そうか、エシタリシテソージャへ行くから淑女教育をやり直してるのか。……うん。確かに。君はこの国では誰にも勝る魔力を持っているけど、見た目や言動は侮られ易いだろうから。高位の振る舞いは身に付けた方が良いだろうな。」
「別に、侮られるくらいの事なら勝手に思わせとけって思いますけど……国の威信?」
「そんなんじゃないさ。ただ…レオナールは君が他国に侮られる事を許容できないだろうね。」

 クロヴィスは、何かを言いたそうに里桜を見る。

「許容できないって。相手国に何かすることもあるって事ですか?」
「さすがにそんな事はしないと思うけど、そうならないためにも君には、振る舞いに気をつけてと。それか、レオナールの婚約者だとか。確固たる地位があればね。」

 クロヴィスは笑った。

「陛下からは婚約者としてエシタリシテソージャへ行けと言われましたが、丁重にお断りしました。」
「レオナールとしてはそれが一番手っ取り早いと思ったんだろうね。爵位を与えるって事も考えたと思うけど。」
「お断りいたします。」
「ブレないね。せめて君が爵位を受けてくれれば、あちらもそう対応するしかないんだけど…。」
「それじゃ、何の意味もありませんよね。侯爵だから、伯爵だから、陛下の婚約者だから私に傅く。でも、私が平民ならば傅かない。それは、私に対して尊敬をしているからではなく、私の地位に傅いているだけですから。それなら心の赴くままに見下した態度を取られていた方が気持ちが良い。」
「君ならそう言うと思ってはいたけど。まぁとにかく、外遊に必要なものの用意は侍女や他の者たちに任せて、君は向こうに付け入る様な隙を与えないために勉強を。」
「はい。」
「返事は良いんだけどな、言葉遣いはまだ慣れが必要だな。」
「はい。」

 ジョルジュは、里桜の後ろでクスリと笑った。


∴∵


 里桜は、クロヴィスからの書類に目を通していた。

「こんなに大事になってしまって何だか申し訳ない気持ちだな。」
「リオ様、そこは気兼ねなさる事はないと存じます。リオ様が五月の虹の女神祭りで祝詞を捧げて下さる事は国としてもとても価値があることなのです。加えて、国外へも渡り人召喚を宣布出来るのです。リオ様の外遊は陛下にとっても国にとっても有益な事です。ですから、お気になさいません様に。」
「わかりました。ところで、ちょっと気に掛かることが。」
「はい。何でしょう?」
「護衛として今回は国軍ではなく騎士団が付くのは良いのだけど、第二団隊は王族護衛の団隊でしょう?」
「それは広義の王族であって、陛下の妹君の王女も降嫁致しましたが今も第二団隊が護衛しております。」
「でも、この第二中隊は…」
「はい。陛下の妃様を護衛する隊でございます。」
「私の身分だと、要人警護担当の第三団隊の方に護衛を受けるのが…」
「今回随行するフレデリック・オードラン、アルフォンス・レオタール、コンスタン・ファロの家は三大伯爵家と呼ばれており、国外でも大変有名な名門の伯爵家でございます。その中のファロ家は大変武芸に優れたお家で、コンスタン殿のお父上は第二団隊長を経験した後、現在は国防大臣をされており、コンスタン殿も第二団隊の第二中隊に所属しております。今回、そのコンスタン殿が随行する関係でこの度の護衛は第二中隊の方がされる事になりました。」
「そう言う事…ありがとう。」
「いいえ。あとは疑問に思うことはございませんか?」
「日程がきつそうだとは思うけど…今のところ大丈夫。」
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