転生聖職者の楽しい過ごし方
「お加減どうですか?ユーグさん。」

 声をかけられた男は椅子から立ち上がる。

「こりゃ嘘みたいだ。今まで元聖徒様に診てもらっても立ち上がる時の痛みは消えなかったのに。」

 彼はこの街に住む鍛冶職人。長年の無理な体勢での作業のせいであちこちに痛みを持っていた。

「女神様。ありがとうございます。」

 彼は両ひざをつき、王族にする敬意の姿勢をとる。

「いえ、その礼は……」
「天馬も操る女神様へはこのご挨拶が正しい。言葉遣いは許してください。学がなく上手くは話せません。しかし、このご挨拶が出来るのも膝を治して下さったお陰です。」
「あまり、無理をされてはなりません。鍛冶職人の貴方がいなければ、農夫も私兵も工具を使う職人も皆が困ってしまいます。お体を大切になさって下さい。健康があってのお仕事ですから。」

 里桜は、自分の足元に跪く男を立ち上がらせた。

「本当に痛みが消えて良かった。お大事になさって下さいね。」

 男は勢い良く返事をすると部屋を出ていった。
 次に顔を出したのは、ジョルジュだった。

「リオ様、午前はこれで終わりです。」
「わかった。ありがとう。」
「リオ様に皆様感謝してお帰りになりました。」
「なんだか、詐欺師にでもなった気分なんだけど。」

 ジョルジュは、不思議そうな顔をする。

「私は普通の人間だったのに、突然この世界へ来て最強の魔力を苦労もせず手に入れたから。努力を伴った力ならそうは思わなかったかも知れないけど。こう言うのを勿怪の幸いっていうのかな。いまいち実感がないの。」
「それでも、リオ様が人々の苦痛を取り除いているのは事実です。ご自分に自信をお持ちください。さっ、お昼にいたしましょう。午後も多くの方が待っておられます。」


∴∵


 里桜は昼食を終えて、簡易治療所のテントへ向っていた。

「女神様。」

 里桜はその声に咄嗟に振り向いた。その瞬間に何か冷たい物が顔にかかった。

「リオ様。」

 次はジョルジュの声だった。

「救世主様を陥れて、その地位を奪うなど…身の程を弁えろ。」

 里桜はもう一度胸に軽い衝撃を感じて、それを見ると白い尊者の制服に赤いシミが付いていた。

「トマト。」

 里桜はあまり慌てることもせず、ポツリと言った。気がつけば、男は騎士に取り押さえられていた。

「離せ。女神だなんて、大仰な異名を付けやがって。今まで何もしなかったくせに、救世主様が王妃に内定した途端に自分はもっと凄い力を持つ女神だなんだって言いやがって…」
「お前が、言いたいことも尤もだが、こんなことをしたらお前が罰せられてしまう。」

 トマトを投げつけた男を取り押さえている騎士の一人は、自分が何を言ったかさして気にもせず、ただ男を落ち着けようとしている。里桜は少しため息を吐いた。

「リオ様、一度お着替えに帰りましょう。今アナスタシアさんを呼んで参ります。」
「いいえ、アナスタシアは聖徒の仕事をしているから、邪魔してはだめ。直接リナの所へ行くから。さぁ、行きましょう。急がないと午後の治療が遅れてしまうから。アシル、ブリス、適切にこの場を収めて下さい。」

 二人の騎士は、短く返事をした。それを聞いて、里桜は早足でリナの元へ向う。
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