ラーシャス・ポイズン
私たち高等部の次の授業は七限目。
今朝行われた席替えにより、弐川くんとはかなり離れた。窓際の三列目と、個人的には気に入っている席である。
古文の授業の用意をしながら、ふと窓の外を見る。
――柊くんのクラスがプールに集まっているのが見えた。体育の授業だろう。
そういえば、柊くんは水泳を選んだと言っていた。
そう思うと何だかドキドキしてきて、教科書とノートを机の上に重ねて目を凝らす。
もしかしたら柊くんの水着姿が見れるんじゃ――そう期待していた、その時。
視界がある人物の体で遮られた。
「……、え」
見上げると、弐川くんがニコニコと笑っている。
「なーに見てるのぉ?」
「あっ……、いや、」
昨日の今日。自分でもよく分からない恐怖心を抱いてしまい、視線を逸らすことしかできなかった。
慌てて取り繕う私を見透かすように、弐川くんが目を細める。
「このドスケベ」
――何で私がスケベ呼ばわりされなきゃいけないんだ。
「…………のくせに」
「ん~?」
「そっちこそ、柊くんに無理矢理キスした変態のくせに」
「何?怒ってんの?柊と間接キスさせてあげたのにぃ?」
ニヤニヤ笑いながら私の前の机に尻を置く弐川くん。椅子に座れ、椅子に。
「ヤキモチやくなよ。仕方ないっしょ?あいつ俺のモンだしぃ」
「勝手に自分のモノにしないでよ。柊くんの気持ちはどうなるの」
「え? っはは、柊の気持ち、ねえ」
ずいっと顔が近付いてきたかと思えば、間近で囁かれる。
「柊の今の気持ちがどうであれ、それがあやめちゃんに傾くことはないから期待しないでね?」
「……っ」
怒りで立ち上がりそうになった時、授業開始のチャイムが鳴った。
弐川くんはすっと背を伸ばして、軽やかな足取りで自分の席へ戻っていく。
その背中に向かって石でも投げてやりたい気分だった。
放課後になると、弐川くんは美人な女子グループに囲まれながら近くのタピオカ屋さんのタピオカが今安いなんていう話をしながら鞄を持って教室を出ていった。
今日はあの子たちと一緒にいる方が楽しいらしい。
私は柊くんの帰りを待とうとしたけれど、思い悩みすぎて昨日の夜から何も食べていないせいで空腹感を我慢できず、近くのイオンで夕食を食べようと一旦学校を出た。
海沿いにある駅からバスで十二分。田舎すぎてはいないが都会と言える場所からはかなり離れた場所に位置するこの一貫校の生徒にとってイオンは貴重である。
見慣れた制服をちらほら見かけながら、全国チェーンのクレープ屋でクレープを夕食代わりとして食べ、特に映えないタピオカミルクティーを啜ってスマートフォンの画面を眺める。時刻は午後7時半。柊くんの受けている自主的な補習は大抵9時頃に終わる。まだ時間はあるだろう。
クレープを包んでいた紙とタピオカの容器を別々のゴミ箱に入れ、書店にでも行こうかと歩き出した時、ふと化粧品コーナーが目に入った。
――『口紅移るの嫌いなの、俺』
……口紅か。
友達はいないが、周りの女生徒が徐々に化粧に興味を持ち始めていることは分かる。ばっちりメイクしているクラスメイトもちらほらいる。
余裕がある朝にのみ化粧下地とリップクリームを塗っているだけの私は、化粧っ気がない部類に入るだろう。
中等部所属の“桜ちゃん”の化粧映えした顔を思い出し、何だか自分が遅れた人間のように思えた。
見るだけ見てみようと化粧品コーナーに足を踏み入れたが、何も分からず立ち止まることになった。
キャンメイク……セザンヌ……何の名前…………?
アイブロウ……眉毛……?
もう何も分からない……。
余計なものを見ずに口紅だけ見ようと口紅らしきものを見回ってみたが、何が良いものなのかよく分からないうえに、値段もかなり差があって何の違いなのだろうと頭を抱えた。
化粧に詳しい友達なんかいないし、どうしたものかと考えていたその時。
「あれ?あやめちゃんだ~」
――今あまり聞きたくない甘ったるい声がした。
商品を見るために曲げていた背筋を伸ばし、そちらに目を向ける。
美人な女子グループに囲まれた弐川くんは、へらへらしながらこちらを見ている。
クラスメイトなので見たことのある美人たちの、“こいつ名前なんだっけ”という風な異質なものを見る目が痛い。
大勢でいる時にぼっちの私に話しかけてこないでほしい……と文句を言いたい気持ちを抑え、ぺこりと会釈だけしてその場を去ろうとした、が。
「俺ちょっとあっち行くわァ」
あろうことか弐川くんは美人グループを離れてこちらへ来ようとする。
「はぁ~~~?秋一最近付き合い悪くない!?これからカラオケ行くんじゃないの?」
「ごっめぇん、今日はパス。また誘って」