ラーシャス・ポイズン


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期末テスト期間中、嫌がらせは収まった。机の落書きも、放っておいたらテスト当日には消えていた。
幸いにも期末テストが終わるとすぐに夏休みになる。期間が開くのは有り難い。私が援助交際をしていたかどうかなんて話は有耶無耶になって終わるだろう。
私はそんな楽観的な気持ちでテスト期間を乗り越えた。


英語の点数がよくて、古文の点数が悪かった。
やり直しのレポートを職員室まで提出しに行って、職員室前に置かれた長机に座っている中等部の制服を着た小柄な女の子を見つけた。


廊下はクーラーが効いていない。窓からの風のみを頼りに涼しさを得ているその少女に、話し掛けようと思ったのはただの気紛れだ。



「また赤点?」


くしゃくしゃのテスト用紙に赤で書かれた26とか29とかいう数字が見えて、そう聞いた。

桜ちゃんは私の声にハッとしてこちらを見上げ、キッと睨んでくる。
私もそこまで頭がいい方ではないけれど、この子は結構バカなのかもしれない。


「教えてあげよっか」
「……いらないです」


うお、愛想悪い。
やっぱり私のことは嫌いらしい。無理に話しかけるべきではないだろう、と思って職員室に入っていこうとした時、


「そのリップ、オペラの01ですよね」


桜ちゃんが私の唇を見て言った。01だったかどうかは覚えていないが、オペラだったのは確かだ。


「なんで」
「見れば分かります」
「……すごいね」


桜ちゃんの顔を改めて見れば、アイシャドウの色味も、リップの色味も、自分に合う化粧が分かっている女の子のチョイスだった。
相当化粧を追求したのだろうし、私の唇を見るだけで分かるってことは……コスメオタクなのだろうか?


「弐川くんに選んでもらったんですか?」
「え、」
「私の最初のリップ、選んでくれたのも弐川くんだった」


立ち上がった桜ちゃんの、苦虫を噛み潰したような顔を見て、このリップを付けていなければよかったと思った。





「あんなに優しいのに、私のこと好きじゃないの、イカれてんじゃないのって思います」




泣きそうな声で言った桜ちゃんは、くしゃくしゃのテスト用紙を持ってその場を去ってしまった。








レポートを担当の先生に提出し、柊くんからの返信を待ちながら昇降口に向かうと、そこには弐川くんが立っていた。

一瞬歩を止めてしまったけれど、一度深呼吸してから近付いた。


「あやめちゃんじゃん。一緒に帰るぅ?」
「帰らないよ。私は柊くんを待つ」
「えー。俺あやめちゃんのこと待ってたのにぃ」
「バレバレの嘘つかないで。いつもほんとは誰を待ってるの?」


さすがに、“偶然”会う頻度が高すぎる。
私と会う頻度が高いということは――私と行動パターンが同じということだ。


「弐川くん、やっぱり柊くんのこと好きでしょ。本気で」


柊くんのことが好きな私と、行動パターンが同じなのだ。

柊くんは、弐川くんは自分にただ懐いているだけと言い、桜ちゃんは、弐川くんは自分が好きだと言った。おそらくどちらも正確には違う。それを桜ちゃんは悟っていて、さっきああ言った。


ふっと嘲るように笑った弐川くんは、

「俺が柊を好きなんじゃなくてェ、柊が俺のモンなんだよ」

と言った。


「愛とか恋とか、くだらないじゃん。俺は誰も一番にはしないよぉ?」
「そうやって余裕ぶっこいてるうちに私が奪うよ?」


弐川くんの前を通って、自分の靴箱に手を掛けようとした――――その時、かなりの勢いでその手を取られ、下駄箱に押し付けられた。


「だから言ってんじゃァん、奪わせねーって」


俗に言う壁ドンをされている状態だ。誰かに見られたら誤解されると思い僅かに抵抗したが、弐川くんは意外にも力が強かった。


「柊言ってたよ。あやめちゃんより俺の方が扱いやすいって」
「……は?」
「あやめちゃんのこと、面倒臭いって。ずっと一緒には居られないって。その点俺は扱いやすくていいですね~って」
「……」
「羨ましい? でも、俺の方がお前のこと妬ましいよ」


弐川くんの長い前髪の隙間から見える、色素の薄い瞳が私を射抜く。


「あいつね、あやめちゃんのこと放っておけないんだって」


形の良い唇が皮肉めいた弧を描く。この唇と自分の唇が一度でも重なったことが嘘のように思える。


「柊の同情買って、満足? “可哀想”なあやめちゃん」


息のかかる距離に弐川くんの日本人離れした顔がある。そして――



「俺お前のそういうところが、虫唾が走るくらい大っ嫌いだよ」



彼は言葉の内容に似つかわしくない、甘ったるい声でそう囁いた。



「――放して」
「やだけどぉ?」


放してくれないことを分かっていて僅かに身動ぎしたが、予想通り失敗に終わる。
誰か通ってくれないものかと思っても、テスト終わりのこの時間帯残っている生徒は少なく、声すらも聞こえない。


「俺はお前のエンコ―のこと、最初っから知ってる」


息が苦しい。嫌いな人間と一緒にいる時のような気分の悪さを感じ始めていた。


「黙っててほしい?柊に」


弐川くんの手が、ゆっくりと制服のネクタイを紐解いていく。その下にあるボタンに指がかかった時、弐川くんの意図を察して眉根が寄った。
しまった、噛み付くんじゃなかった。どうやら私はこの人を怒らせてしまったらしい。いや、きっとこの人は元々私に対してずっと――。



「キスはしないで」
「俺がそんな甘っちょろいことしてあげると思ってんのぉ」


大人を相手にする時にいつも言うお決まりのセリフが思わず口から吐き出されたのに対し、弐川くんは薄ら笑いをして即答する。

それとほぼ同時に、半ばぶつけるような形でキスされた。



「俺、あやめちゃんのそういう顔だけはだぁいすき」



柊くんからの最高のキスを黒く上塗りするような最悪のキスだった。




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