ラーシャス・ポイズン



――とはいえ、私はクラスの誰にも興味がなかったし、無理をして仲良くなるほどの価値も見出していなかった。



「柊くん、一緒に帰ろう?」


昇降口でたまたま会った柊くんに話しかけると、柊くんは面倒そうに私を見た。


「どうして貴女と」
「照れちゃって」
「照れてませんよ。相変わらず脳内の広大なお花畑は枯れ果てていないようですね」


他の人には優しいくせに、私に対しては毒舌な柊くん。特別だとか浮かれるつもりはないけれど、幼馴染みだから知ってる彼の顔は愛しいなと思う。


「柊くん、選択体育何にするの?」


靴を履き替えて、前を歩く柊くんを小走りで追って隣に並ぶ。横から見ても美しい造形。横顔の綺麗な人は本当に綺麗な人だと私は思う。


「水泳です」
「水泳……!?」
「僕が泳いだらおかしいですか?」
「いや、次の授業に遅れるとかで水泳不人気だったから……」
「遅れるのは準備が悪いだけでしょう」


と、そこまで言って、柊くんが足を止めた。


その視線の先には弐川くんがいて、女の子の隣から柊くんにひらひらと手を振っている。

柊くんは鬱陶しげに目を細め、何も言わず彼から視線を外して歩き出す。
そんな態度を取るのは――無視なんてするのは、かなり仲の良い相手だけであると私は知っている。

意外だなと思った。
柊くんはどちらかと言えばかなり真面目な方で、その柊くんが圧倒的に不真面目な弐川くんと話したことがあるなんて。ああいうタイプは一番嫌いそうだというのに。


「柊くん、あの人と知り合い?」
「いいえ?」


柊くんがふっと可笑しそうに笑った。それは私の好きな笑い方だった。


「……狡い」
「はぁ?」
「私の知らない柊くんがいる」


中学の三年間離れていたのだから当たり前だが、柊くんは何だか小学生の頃と随分違って見える。
背も伸びたし、声変わりもしたみたいだし、どういう経緯だか知らないけど、良くない人と関わっちゃってるみたいだし。

ここに中等部からいる連中はその変化を間近で見たことがあるのだと思うと嫉妬せざるを得ない。


「君の知らない僕がいるように、君しか知らない僕もいるんじゃないですか?」

視線は前を向いたまま、半ば呆れたように溜め息を吐く柊くん。


「柊くん、好き」
「聞き飽きました」


言葉は冷たいけど優しいってこと、私だけが知っている。






次の朝、私は少し早く学校へ来た。

夜に【一緒に登校したい】とLINEを送ったけど、既読無視されたうえで【関係を疑われたらどうするんですか】と早朝返された。
これは待ち伏せするしかないと早めに準備して家を出たのに、柊くんはそれより早く学校へ向かったらしく会うことはできなかった。


くそ、明日こそは……と項垂れていると、やけに甘ったるい匂いが鼻を掠める。
遅れて、ガタッと私の前の席に誰かが腰をかける音がした。

私の前の席の女子はお淑やかでそんな派手な音を立てるような座り方はしないので、気になって顔を上げると、バチっと茶色の瞳と目が合う。



……何でこっち見てるんだろう、と思った。

人気のない教室。
さっきまで他にも数人いたが、他クラスの友達にでも会いに行ったのか今は私とこいつしかいない。



――弍川秋一。私のクラスでは間違いなく一番目立つ生徒。

謎に見つめ合う時間が一分ほど続いた後、弐川くんはクスリと笑った。


「なーに?そんなに見つめちゃってェ」


貴方が先に見つめてきたんでしょう、と言える程、馴れ馴れしくはなれなかった。
編入してから、同じクラスとはいえ一度も会話したことのなかった弍川くん。そんな彼が私に用事があるとは思えない。

もしかして、ただ何となく話し相手が欲しくてここへ来たんだろうか。


「……そこ、弐川くんの席じゃないよ」
「知ってる」


即答した弐川くんは、ずいっと私の顔に自分の顔を近付けて、じっとこちらを見つめてくる。

近くで見ても女ウケの良さそうな顔面で、ちょっとドキッとしてしまった。


「編入生だよねぇ?名前何だっけ?」
「高坂《こうさか》、だけど」
「違うよぉ、それは知ってる。下の名前。」


ああ、うまいこと聞き出すなって思った。


「……あやめ」
「“あやめ”ちゃん?」
「うん。平仮名で、あやめ」
「高坂あやめちゃん、ね。これ?」


LINEのクラスグループを開いた弐川くんが、そのグループのメンバーの中の【あやめ】という名前をタップしてともだちに追加した。




……これ、もしかして狙われてる?


自信過剰なのではなく、狙われている可能性は十分にあった。
だって彼が話しかける女の子は、凄く垢抜けてる美人なこともあるにはあるけど、お世辞にも美人とは言えない洒落っ気のない子のこともあったから。

おそらく――誰でもいいのだ。



「“よろしく”ね」



スマホを胸ポケットに仕舞った弐川くんは、クスリと笑って去っていった。どこかで嗅いだことのあるような、柔軟剤の香りを残して。






その後はいつも通りだった。
授業を受け、一人で教室移動をし、一人で勉強し、一人で休み時間を過ごす。

お弁当を食べ終えてお手洗いへ行こうとした時、悪い香りではないにせよ人を選びそうな香水の匂いがふわりと漂った。


「あやめちゃんってもしかしてぇ、友達いないのぉ?」


突然現れては煽るみたいに覗き込んでくる弐川くんに少しムッとしてしまったが、友達がいないのは事実なので「そうだね」と頷く。

何か用事があるようにも見えないので避けて前へ進もうとしたが、また行く手を阻まれた。


見上げれば、じっとこちらを見つめてくる瞳と目が合う。


「……なに」
「なんでもなァい」


そう言ってけらけら笑ったかと思えば、「あ、桜ちゃーん」と私の後ろに視線を向けて手を振り、私の知らない名前を呼び、そちらへ走っていく。

振り返れば、そこにいたのは小柄な可愛い女の子で、おそらく弐川くんの“トモダチ”の一人であろう人間だった。



何やら話し込みながら別の場所へと移動していく二つの後ろ姿を見ながら、「……友達いないのはそっちもじゃん」と呟いた。



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