ラーシャス・ポイズン
柊くんに渡された肉じゃがを持って、リビングへ向かう。
これ以上ないほど満たされた気持ちだった。
リビングに戻って、肉じゃがの袋を置き、ローテーブルに開いていたテキストを鞄にしまう。
まだゴロゴロしていたい様子の秋一くんが、寝転んだまま「どこ行くのぉ」と聞いてきた。
「ねえ、もう私、何言われてもいいよ」
鞄を持って立ち上がった私を見上げる秋一くんはまだ眠そうだ。
「私が処女じゃないこととか、柊くんに言ってもいいよ。それで柊くんに引かれてもいい。私柊くんのこと好きだもん。大好きだから。会うの我慢とかできない」
何を考えているか分からない秋一くんと見つめ合う。
ややつり上がった目、長い下睫毛。鼻筋が通っていて彫りの深い顔立ち。色素が薄くベージュ色の髪。日本人離れしているという第一印象だったこの人を、こんなに何度も見ることになるとは、編入した当時は思ってもいなかった。
この人と関わっていくうちに、放っておけないという感情が芽生えることも。
予想していなかった。
「秋一くん、私たち、」
「――俺が言わなくても、柊は知ってるよ」
友達になろう。
その言葉を遮ったのは秋一くんだった。
「あやめちゃんが援助交際してるって話、俺にしてきたの柊だしねぇ」
ぐらりと視界が揺れる。
動揺したのは一瞬だった。
「……そっか。知ってたんだ、やっぱり」
柊くんが私に構うのは、私を心配するのは、私のことを気にかけるのは――秋一くんが言う通り、“可哀想”だからだ。
急に見せなくなったスマホ。稼ぐ手段を持たない中学生なのに増えるお小遣い。街中で二人でいる時に偶然会ったオジサンと話す時の私の声音と仕草。頭の良い柊くんが、これらを結論に結び付けられないわけがない。
中等部の頃から、私のことは勘づいていたんだ。
柊くんは優しい。やっぱり私のかみさまだ。
私は自分を可哀想だなんて思ったこと人生で一度もないけれど、柊くんにとって私はきっと、足りない人間なのだろう。
「ならもう、秋一くんと一緒にいる理由は、本当に一つもないね」
先程出しかけた提案が、喉を通って、胃へと運ばれてゆく。
「私友達いないから、初めて夏休みの大部分を他人と過ごせて嬉しかったよ。さようなら」
全ては気まぐれ。
意味の無い脅しで言うことを聞かせて、体を好きなように扱って、内心はバカにしていたのかな。
秋一くん、あなたは好きで体を売って柊くんの同情心を煽る私がとっても気に入らないだけなんだね。
「ひとついいことを教えてあげる」
私がリビングを出ていく直前、しばらくの間眠そうに黙っていた秋一くんがようやく口を開いた。
「あやめちゃんは自分ばっかり純白じゃないって思って恥じてるのかもしれないけどぉ。心配しなくても柊だって童貞じゃないし、俺よりえっちうまいよぉ?」
顔を見なくても、こちらを嘲っていることが分かる言い方だった。
柊くんが誰かを抱いたことがあることにさっきよりもずっと動揺したけれど、その素振りを見せたら負けな気がして、動揺していることがバレないように顔を見せなかった。
「……あぁそう。教えてくれてありがとう」
甘い声と言葉と脅しで惹きつけて、鋭利な刃物で突き刺してくる――弐川秋一という人間は、私が思っている以上に人を傷付ける人間だった。
秋一くんの家を出た後、気が狂いそうな、この夏の一切を溶かすような熟れた熱気が襲ってきた。
じりじりした日差しの下でしばらく立ち止まっていたせいで、汗が顎から垂れていく。
……ああ、こんなに暑かったっけ。
教室にいる秋一くんの、ふとした瞬間に消え入りそうなあの雰囲気を思い出す。
気分屋で、ふらふら色んな人と遊んで、きっと極度の寂しがり屋で。――柊くんに気持ち悪いくらい執着してる、同類。
あの瞳に惹かれるのは、似ているからだ。