ラーシャス・ポイズン

夏の残響




秋一くんには「ヤんなかったらいいよぉ」という条件付きで、桜ちゃんと二人で会うことを許してもらった。



学校帰りに通る坂に最近オープンしたカフェ&フラワーショップでは、三十代くらいの女性客が多く着席していた。


一番奥の窓際の二人席で、久しぶりに見るツインテールが揺れている。

私はそこへ歩いていくと、「遅れてごめん」と約束の時刻に間に合ってはいるものの、待たせてごめんの意味でそう言った。

向かいに座る桜ちゃんは、無視だ。

荷物入れに荷物を置いて、椅子を引いて座った。お冷は既に二つ用意されており、私はそれを一口だけ飲むと、勇気を出して桜ちゃんに話し掛ける。


「これ、メニュー?」


見れば分かるだろう、というような問いを投げかけるが無視されたので、その手書きのメニューの紙にざっと目を通して早々に注文を決める。


「うーん……私日替わりプレートにしようかなあ……」
「……」


花に囲まれた素敵空間に似合わず、私と桜ちゃんの間の空気は非常にギスギスしている。

徹底して無視されるので、桜ちゃんはもう頼んだのか確認しないままに店員さんを呼んだ。


「えっと、日替わりプレート一つと……」
「ハンバーグプレート」
「……ハンバーグプレート一つ」


きつい口調で名詞だけ言われて、それを店員さんに向けて反復する。


桜ちゃんはさっきからずっとこちらを見ずにスマホをいじっている。
長い爪を何度もテーブルに当て、威嚇するように音を出しながら。


かと思えばふと目線が上がり、私に向けられた。


「用件は何ですか?私この後出会い系アプリの男と会うんで手短にお願いします」
「……修学旅行、一緒に回ろうねって」
「それだけならもうLINEで聞きました」
「いや、LINEでも言ったけど返信がなかったから一応……」


桜ちゃんは私が久しぶりにメッセージを送ってからというもの、対応が冷たくなった。
秋一くんと付き合っていることを肯定したうえで、修学旅行も四人で回ろうという提案をしたメッセージだから、当たり前っちゃ当たり前だけど。

今日ここで会おうってメッセージも既読無視されたから、もう来てくれないんじゃないかとすら思っていた。


「……出会い系アプリやってるんだ?」
「前から入ってます。年齢確認いらないやつ、普通にあるんですよね。表向きは手紙交換アプリですけど」
「それって会ってどういうことするの?一緒にご飯を食べたりとか?」
「どういうことするって……やることは分かるでしょう?」


柊くんいるのに?という気持ちが高ぶって、きっとスルーすべきところを聞いてしまった。

桜ちゃんはもとより、一途に人を愛するタイプの人間ではない。


「しゃらくせえんですよ。ごはんとか。私プロフィールにヤリモクって書いてます。……ああ、あやめ先輩と弐川くんが付き合いだしたからって自暴自棄になったわけじゃないです。前からやってます、こういうこと。私にとっては日常ですよ」


桜ちゃんは一抹の責任を感じた私を否定すると、頬杖をついて窓の外を見下ろす。

坂の上にあるこの店からは、今にも雨が降り出しそうな曇天の下に住宅街が見えた。


「あの時ナンパしてきた男に付いていったのだって、いつもやってることだった」


桜ちゃんが私の方を見ずにぽつりと呟く。


「あやめ先輩、言ったじゃないですか。失ったものを埋めるみたいに誰でもいいから付いていくのはやめた方がいいって。経験しなくていい痛みを多く味わったって。それ聞いて新鮮に思ったんですよね。貞操観念が高い人間ってこう考えるんだあって。私はその感覚まっっったく理解できないですけど。勝手に私の邪魔して自分の価値観押し付けて注意なんかしてきて、この人バカで愚かでお節介で可愛いなって思いました。自分の物差しでしか人を見れないんだなって」


横顔の美しい人は、本当に美しい人だと私は思う。
桜ちゃんの横顔は小さくて整っていて睫毛がうんと長くて、少し前までこの子とキスをしていたことが信じられないほどだった。



「私こういう人間だから、弐川くんとあやめ先輩が付き合ったって聞いても、それで私と会ってくれないのも、セックスしてくれなくなるのも何で?って思いました。私とも会えばいいじゃんって」



そこでようやく、その美しい横顔がこちらを向く。


「あやめ先輩を自分の物差しでしか見れていなかったのは私でした。」
「……」
「――きっと“あやめ先輩側”の人間にとって、好きじゃない人とセックスをすることは搾取されることと同義なんでしょう?」
「……」
「だったら、もう、やめます」


桜ちゃんの声が震えていた。





桜ちゃんの手首の傷が増えていることに遅れて気付き、私と一緒にいる時はしていなかったのに、また始めたのだと焦燥を覚えた。


でも――ここで私が同情心で一言愛していると伝え抱き締めたところで、果たしてこの子は救われるだろうか。

きっと一時的な心の気休めになるだけだ。そう言ったとして、きっと私はそれだけの責任を負えない。

この子は私一人の手に負える女の子じゃない。


私はこの子の神様にはなれない。


仕掛けてきたのはこの子だけれど、私は私で、それに気付くのが遅すぎた。

安易な気持ちで言葉と時間と身体だけ与えて、またこの子に愛情を信じられなくさせて、何がしたかったんだろう。

いや――分かっている。私は自分のことしか考えていなかっただけだ。

この子よりも先輩なのに、流される生き方しか知らないから。

大事な後輩を中途半端に依存させて、急に粗末に扱っただけ。


「……ごめん」

「ま、いいんじゃないですか?」


今にも泣きそう――に見えた桜ちゃんは、私の正面で平然とお冷を飲み干した。


「あやめ先輩はそっち側の人間でも、弐川くんは違うでしょうし。適当に弐川くんをつまみ食いして、他の男も女もつまみ食いして、そうやって依存先の分散をして生きていきます。今までもそうだったし、上等ですよ。これが私の生き方です。愛情なんて不確かなもの私は端から信じてません。私は自分のこの考え方と価値観が賢くて冷めてて大好きです。あやめ先輩は私に対して勝手に庇護欲抱いてるかもしれませんけど、それすらも私の計算された魅力によるものだってこと、気付いた方がいいですよ」



桜ちゃんはそこまで言って、ぺろりと舌なめずりをするかのように、唇を舐める。



「隙があればいくら搾取と思われようとあなたのこともすぐまた食っちゃいますから、修学旅行ではよろしくお願いしますね、センパイ?」



――初めて会った時の、私に対して敵意剥き出しだった頃の桜ちゃんのような、強さを孕んだ瞳にゾクリとした。





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