ラーシャス・ポイズン


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荷物を置くために一度寄ったホテル。

全体の集合時刻は夕方五時で、まだ生徒らしき人たちは見当たらない。

男子の泊まる部屋の階と女子が泊まる部屋の階は異なるが、エレベーターで当然のように男子の泊まる階のボタンを押した柊くんは、こちらを一度も見なかった。


廊下を歩き、部屋に着くと、柊くんはカードキーを翳してドアを開けた。

男子の部屋も女子の部屋も階は違えど内装は変わらない。

二つ並んだベッドの隣に、柊くんと秋一くんの物らしき鞄が二つ並んでいた。


「お茶とコーヒー、どちらがいいですか」


部屋に置いてあったケトルでお湯を沸かしながら、柊くんが聞いてくる。


「お、お茶かなあ……」

と緊張して突っ立ったまま答えると、

「座ったらどうですか?」

とベッドの上に座ることを促される。



そしてすぐ、

「ああ、僕のベッドではなく弐川くんのベッドでお願いします。服のまま座られるの嫌なので」

と付け足されたので慌てて移動した。


こぽこぽ……とコップにお湯を注ぐ音がする。

何だか実感がわかなくて、これから何を言われるのか予想もつかなくて、頭がずっとぼんやりしている。


柊くんに、話したいことがあったのだ。

この修学旅行中か、それが無理ならば一週間以内に。できるだけ早く。

でもあんなこと言われるなんて……。まるで先手を打たれたみたいだ。どうすればいいのか分からない。

私はいつもそうだ。小さい頃テレビゲームをしていた時もそう。予測できない物事が起こると処理ができずに固まってしまう。




コトン、とベッドサイドテーブルに二つコップを置かれた。

コップからはゆらゆらと湯気が出ている。


「……ありがと」と軽くお礼を言うが、柊くんの顔は見れなかった。


「まず二つ、聞きたいことがあるんですが」


私の隣に腰をかけた柊くんが話を切り出す。


「何故僕が桜と付き合っているなんていう発想になったんですか?」
「一緒に歩いてるところ見たの。腕組みながら家に入っていくとこ」
「ああ……。それで。本当に馬鹿ですね」
「わ、私だって一応確認したよ!秋一くんに!そしたら付き合ってるって言われたんだもん」
「何故僕に確認しないんです?あの男がいい加減なことくらい分かるでしょう」


ぐっと押し黙ってしまった。

あの夏秋一くんと一緒にいた時間が長すぎて、すっかり私は秋一くんのことを身近に感じていて、信用に値する人間だと錯覚していた。


何も言えずに頭を抱える私をじっと見ていた柊くんは、私から答えが返ってこないのを察したのか、カップを置いて話を変更する。


「もう一つは、彼に関連する質問です。何故弐川くんと交際を始めたんですか?」


――なぜ。

今となっては色々分からない部分があるけれど、弐川秋一の言動の意味など考えても無駄だろう。分からないのは最初っからだ。


でも名目上言われたのは。


「……私が成長するため」


秋一くんは完全にゲーム感覚で、私を落とすことを楽しんでいるだけ。でもそのために提示されたメリットは私を納得させるには十分なものだった。


「成長?」
「私、柊くんがいないと駄目だったから。柊くんに求めすぎてたから。依存せず一人で立ってられるようにしようって」


私がうまく説明できないせいで、論理が飛躍した話になってしまう。

けれど察しのいい柊くんには私の言っていることが理解できたようで、私の頬を抓って俯く顔を上げさせる。


「何かを拠り所にして生きている人間、そんなに異常ですか?他者に寄りかかって、その他者自身がそれを苦痛だと思わないなら、それは駄目なことではないでしょう」


その顔面があまりに整いすぎていて綺麗で美しくて、こんな人の口から私が好きだという言葉が出たことが信じられなかった。
見た目で言うならきっと柊くんがドタイプなのだ。なのにその顔が至近距離に迫っても脳裏にチラつくのは、全然タイプじゃないはずの他の男の顔だ。


「……何洗脳されてるんですか、弐川くんに」


耳元で柊くんの掠れた声がする。

頭にあの男の顔が浮かぶせいで動けずにいるうちに、いつの間にか抱き締められていた。



「嫌だったら逃げてください」


ぐらりと視界が反転する。白い天井をぼんやり眺めながら、押し倒されているのをまるで他人事のように感じていた。


……洗脳? そうかもしれない。

あいつと過ごした時間も感じた匂いも温もりも衝動も安堵も徐々に惹かれ始めた今抱くこの気持ちも、それこそ嘘で塗り固められた甘い毒が魅せた幻想だったのかもしれない。


あいつは今も他の女といるのだ。絶対に好きになるべきじゃない。


頑張ってそう思おうとしてずっと焦がれていたはずの人からの深いキスを受け入れていると、

遠くで雨音が聞こえた。


雨なんて降っていないはずなのに、その雨音はどんどん大きくなり、ざあざあ、ざあざあ、と私の意識を持っていく。







夕暮れの中庭、人気のないその場所で、

柊くんに触れられながら、

昼間人で賑わう噴水の向こう、

見せつけるみたいに柊くんの首に腕を回して、

思惑通りみたいにその視界に私を捕らえ、

私にキスした時みたいに口元に緩く弧を描き、

まるで女みたいな表情(かお)をして、




笑った、妖艶なあの顔。





どれだけ憧れていた人と触れ合っても、目を瞑れば浮かぶしてやったりというその憎たらしい表情に、私が負けたのだと改めて自覚する。




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