ラーシャス・ポイズン
担当教員が別の授業で遅れ、結局柊くんを待つことは叶わなかった。再テスト用紙を鞄に仕舞い、さっさと帰ろうとしていると、昇降口に突っ立っていたある人物と目が合った。――弐川くんだ。
「……こんな時間に何してるの」
問うた後で、そういえば弐川くんは剣道部だったことを思い出し、愚問だったなと思った。
「あやめちゃんのこと待ってたァ」
「……嘘つき」
「よく言われるぅ〜」
ふふんと何故か得意げに笑った弐川くんは、ローファーを履いて傘立てから傘を出す私の後ろを付いてきた。
「ほんとは、傘貸してくれる子待ってた」
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肩がぶつかりそうな距離。男の子の存在をこんなに近くに感じるのなんて久しぶりだ。小雨の降る帰り道を、私は弐川くんと相合い傘して歩いていた。
同時に沈黙が気まずくなって、何か話さなければと話題を探す。しかし共通の話題などなく、弐川くんの趣味も知らない私は、ついさっきの出来事について話すしかなかった。
「……あのさ。昨日絡んでた後輩、いるじゃん?」
「何か言われたァ?」
思いのほかすぐに返ってきた返事。近くで聞くとやっぱり意外と男らしい声で、少しだけ緊張が増した。
「突っかかられた」
「あー、可愛いよねェ。あの子家庭環境悪いし、愛情に飢えてて病んでんのォ」
「……弐川くんのこと好きみたいだよね」
「あいつカレシいるよぉ?」
弐川くんの言葉に思考がフリーズした。
……関係性が複雑すぎてよく分からない。あの態度からしてあの子は弐川くんのことが好きなはずなのに、どうして彼氏がいるのか。
「あ、でも、俺は桜ちゃんのこと好きィ」
「……俺は、なんだ」
弐川くんと話していると、どれが本当の言葉でどれが偽物の言葉か分からなくなってくる。
「駅まででいい?」
「送ってくれるんだ?あやめちゃんは優しーねェ」
「いや、私もどうせ駅使うし……」
と。弐川くんが急に立ち止まって、私も立ち止まる。
弐川くんの視線の先には、お好み焼き屋さんの看板があった。
くるっと振り向き、私を見下ろした弐川くんは、「腹減らなーい?」と誘ってくる。
「奢ってよあやめちゃん。俺今金ねーしぃ」
「じゃあ寄らないよ。お金もないのに言い出さないでよ」
「え〜?今食べたいんだってェ。明日返すからぁ」
甘えた声で擦り寄ってくる弐川くんの態度を見ていると、言葉通り明日返すとは到底思えない。
……まぁでも、お好み焼き代くらいならいいかな。私も食べたくなってきたし。
溜め息を吐きながら傘を閉じた私は、初めて入るそのお好み焼き屋のドアを開けた。
雨だからか人はあまりおらず、一番近くのテーブルに同じ高校の制服の生徒がいるだけだ。
鉄板の上で焼かれるピザ風お好み焼きの香りに釣られてそちらに視線を向けると、――予想外の人物だった。
「な、なななな何で!?」
驚く私と、「おっ柊じゃァーん」と柊くんにひらひら手を降る隣の弐川くん。
「学校近くの店ですよ。珍しいことでもないでしょう」
「柊くん、寄り道とか絶対しないタイプだったのに……!」
ワルだ!柊くんがワルになっちまった……!と頭を抱える私の横を通り過ぎ、靴を脱いで柊くんの隣の座布団に座る弐川くん。
当たり前のように柊くんと同じテーブルにつき胡座をかくその姿に、余程気の知れた仲なのだなと再確認する。
続いて、私も靴を脱いでテーブルを挟んだ向かい側に座った。
「柊、ピザ風お好み焼きかァ。それじゃ俺もぉ〜。あやめちゃんもおんなじでいーい?」
「えっ、ちょちょちょ待って!まだメニュー見てない!」
「いいそうですよ」
「柊くん!!」
それでいいなんて一言も言っていないのに、手を挙げて店員を呼び、ピザ風お好み焼きを二つ頼む弐川くん。くそう、弐川くんめ……。いや、柊くんもだけど。
異様な光景だ。真面目そうな柊くんと、不真面目そうな弐川くんが隣に並んでいる。
「柊、最近どーよォ。」
「特筆に値する事柄はありませんね」
同じクラスだったとはいえ、結局のところ私はこの二人がどのようにして話すに至ったのかを知らないし想像もつかない。けれど二人の距離感は仲良い者同士のそれで、何だかまた柊くんを遠く感じてしまう。
弐川くんより少し座高が高く、足も長い柊くん。弐川くんは痩せ気味だけど、柊くんはがっしりしていて。
配られたおしぼりで手を拭きながら、弐川くんは女子にとても人気だけど、私が好きなタイプはやっぱり柊くんだなと再確認する。
ふと視線を感じて柊くんの隣に視線を移すと、にやにやしている弐川くんと目が合った。
「あやめちゃん、柊のこと見過ぎぃ」
「……だってかっこいいんだもん」
「だってよ、柊?よかったじゃァーん」
「からかうのはよしてください」店員によって鉄板の上に置かれたお好み焼きを分けながら、柊くんは冷たく言い放つ。
「ブスに好かれたところで何もよくありませんよ」
「そこまで言う!?」
「いつも伝えていることでしょう。あれだけ君はブスだと言い聞かせたのにまだ理解できないんですか」
「うう……私一般的に見ればそんなブスじゃないと思うんだけどな……柊くんの理想が高すぎるっていうか…………でも柊くんにブスって言われるのちょっといい……」
柊くんの蔑みの目にぞくぞくしながら、私も目の前にあるお好み焼きに手を付けていると、
「仲良いねェ」
弐川くんが頬杖をつきながら、意味ありげな視線を私に送ってくる。
さっさと食べろよ、という意味で睨むと、ケラケラ笑われてしまった。
「柊、この子の存在はどーよォ?この子が編入してきたのは“特筆に値する事柄”じゃないのぉ?」
「別に驚きもしませんでしたがね。やりそうなことです。高坂さんはストーカーですから」
「ストッ!?」
「子供の頃から僕の後ろを付いてきて離れませんでしたよ。僕の部屋で勝手に待っていたり、僕の本を勝手に読んでいたり……親同士が仲が良いというのも困りものです。ただの他人だというのに、まるで親族のように扱って……」
「柊くんが寂しいと思って傍にいてあげたんだよ」
「は?寂しい?僕が?相手には自分しかいないと勘違いして母性本能を擽られるのは結構ですが現実と妄想の区別はつけた方がいい」
相変わらずの毒舌っぷりである。
たまには素直になってくれてもいいのに、と膨れっ面をしていると、まだ一口もお好み焼きを食べていない弐川くんがぷっと吹き出した。
「っはー、おっかし。まさかあの柊が女の子相手にここまで通常運転なところが見れるとはねぇ」
「……柊くんって学校じゃどういう存在なの?」
「優しくてぇ、丁寧でぇ、紳士的で?一言で表すなら模範生だよ~」
「じゃあ小学校の時から変わってないんだ」
「へーえ。柊って昔っからこんな感じなんだァ?で、あやめちゃんはそんな柊の表裏激しいところも含めて好きだ、と」
「……そ、そうだけど」
「照れんなよ」