ラーシャス・ポイズン
小さな女の子が不思議そうな目でこちらを見ている。
その馬鹿そうな間抜け面が僕は昔から嫌いだった。
僕と同い年の、近所に引っ越してきた女の子。名前は高坂あやめ。
あやめには父親がいない。仕事で家にいないだけの僕の父親とは違って、本当にもう家に戻ってくることのない父親という意味らしい。
僕の母親があやめとあやめの母親の境遇にいらぬ同情をして、あやめをやたらと家に誘うようになるまでそう時間はかからなかった。
あやめは素直で単純な扱いやすい子供だった。あまり頭が良くない分、悪い考えなど大してできないのだろう。
本を読んで世の中の仕組みや思惑、人が損得勘定で動くことを何となく理解するようになってきていた僕にとって、純粋無垢なあやめはとても神聖な女の子だった。
僕はあやめが可愛かった。
あやめはいつも僕の後ろに付いてきて、僕のしていることを全て真似する。
意味など分かっていないくせに僕の読んでいる本を読み、辛い物が嫌いなくせに僕の食べている物を食べ、僕が笑うと満足そうに笑う。
ずっとそうして犬のように僕の後ろを付いてくればいいと思った。僕はそれを好意故の真似っこだと思っていたから。
違和感を覚え始めたのは、小学校低学年も終わる頃。
あやめは自分と僕との間の乖離に激しい嫌悪感を覚えているようだった。
違う人間なのだから得意分野に差が出てくるのは当たり前なのに、あやめはどうしてもそれが許せないらしく、僕との違いを感じるたびに傍から見ても分かるくらいに不安定になった。
あやめの自己肯定感は著しく欠如しており、ありのままの自分を受け入れられず、他人の真似をすることで自信を保とうとしている。
あやめの僕を見る目が健全なものとは程遠いことを知った時、
僕はあやめを拒絶した。
「高坂さん」
初めてそう呼んだ時、彼女が僅かに目を見開いたのを覚えている。
“高坂さん”は案の定僕の真似をした。
「柊くん」とその唇が僕の苗字を紡いだ時、ぼんやりと、確かな予感がした。
僕と彼女は平行線であり、交わり得ることは永遠にないと。