ラーシャス・ポイズン
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別に、血迷ったわけではなかった。
無理に笑うあやめを行先も分からないバスに乗せて、最終的には思いを告げて抱いた。
親の恋人の話をするあやめの表情が過去のあやめと重なって、あの時傍に居た僕にしかあやめを理解できないし救えないと思った。
悲しい顔をするあやめを一時でも楽にしてやりたかったのだ。
全てを終えた後、むしろ僕だけがあやめを救えないことを思い出した。
自分ではあくまで冷静にあやめを抱いた気だったが、結局は一時の欲に負けたに過ぎない。
激しい自己嫌悪に陥りながら、あやめの前でどう振る舞っていいのか分からないまま時間が過ぎた。
……また振り出しだ。それどころか状況は悪化した。
僕は何がしたいのだろう。
あやめのことになると頭がおかしくなる。
冷静な問題解決ができない。
自分の中に生まれる感情が鬱陶しくなり考えること自体をやめた頃、――あやめが弐川くんと付き合い始めた。
本当に意味が分からなかった。
あやめは以前から僕を好きだと言い続けていて、あのホテルで僕もあやめを好きだと言ったのだから、僕たちが交際をしているのだと思っていた。
だがどうやら違ったらしい。
……頭が痛くなる。
弐川くんが特定の相手を作ったことで桜もメンタルが不安定になっているようで、それも放っておけず、ついに普通科のクラスに足を運んだ。
クソ、手に余る駄犬どもが。いっそ纏めて躾けてやろうか。
何を考えているのか分からない、二つの憎たらしい顔が頭に浮かび、イライラして歩くのが速くなった。
首根っこを掴み、久しぶりに見たあやめの身体は華奢だった。
桜のことを注意すれば泣きそうな顔をするし、弐川くんがいいだのと言い出すし、どうやら本当に僕の告白は忘れているようで、手の打ちようがなかった。
やはりあれは僕の知らない人間だ。
僕の理解の範疇を超えた動きをする。
そんなに弐川くんがいいのなら、弐川くんと一緒にいればいい。
その数日後の放課後、弐川くんが僕の下校を待って昇降口に立っていた。
「やっほぉ柊ィ」
弐川くんがこうして僕を待っているのは随分久しぶりに感じられた。
中学生の頃はよく一緒に帰っていたが、特進に進むと普通科とは時間割がかなり違ううえ補習もあるため帰る時間帯が全く被らない。
それでも僕を待っていたあの華奢な体つきの女を思い出し、弐川くんから視線を外した。
「どうしたんですか?」
「柊のこと待ってたぁ」
「何か用事でも?」
「用事ないと待ってちゃダメ~?冷てぇの。俺寂し~」
「高坂さんがいるでしょう」
「あいつも今浮気してんだもん」
「は?」
「今、桜ちゃんと会ってんの。なら俺が既セクの男と会っても許されるっしょお?」
どうやら弐川くんにとっては、あやめが桜と会うことも自分が僕と会うことも等しく“浮気”らしい。
ただセックスしただけだろう、と呆れながら靴を履き替えた。
まだ蒸し暑い帰り道を二人で歩いたのはいつぶりだろう。
少し前を歩く、以前より日焼けした弐川くんの後ろ髪が揺れるのをぼんやりと見ていた。
「あやめちゃんはマジで柊と自分を比べすぎて自己肯定できてないんだねぇ」
僕が呼べない“あやめ”という名前を容易く口にする弐川くんが、ずっと前から羨ましかった。
「援助交際やめてたよぉ」
「……は?」
「だってぇ~結局自分に価値を与えてもらうためにやってんだもん、あやめちゃん。最近ずっと柊じゃなくて桜ちゃんと一緒にいたっしょ?柊と自分を比べることもない、自分の価値は桜ちゃんに教えてもらえる。その両方が揃ったら、そりゃする必要なくなるよねぇ。桜ちゃん愛重いしぃ」
そこまで言ってこちらを振り向いた弐川くんは――珍しく笑っていなかった。
「あやめちゃんは俺が放っておかないから、柊はもういいよ。分かってんだろ?自分じゃあやめちゃんのどうしようもない部分を、どうにもできないってこと」
弐川くんの言葉は事実を的確に指摘していた。
なんだかんだ理由を付けてあやめを手放さないのが僕のエゴであることを、その時点で僕は誰よりも自覚していた。