ラーシャス・ポイズン
かちゃん、と柊くんが箸を皿に置く音がしてハッとする。
先に食べていただけあって既に食べ終わったらしい。
荷物を持って立ち上がる柊くんを追いかけようとして、でも弐川くんがお金を持っていないことを思い出して躊躇った。雨も、まだ止んでいない。
「ま、待って柊くん。もう帰るの?」
「そもそも僕が一人で食べようとしていたところにあなた方が乱入してきたんでしょう。待つ義理はありませんね」
ごもっともな言葉を吐いて、さっさと自分の分だけ払って、「じゃ、さよなら」とあっさり店を出ていく柊くんの背中をただ見送るしかできなかった。
……あーあ、ああいうところが柊くんだよなあ。
「やっぱり優しいね、あやめちゃんは」
「何が」
「待っててくれるんでしょー?残念だったねェ、柊と一緒に帰れなくて」
まったく申し訳なさそうにしていない弐川くん。本当にお腹すいてたのか?って疑いたくなるくらいスローペースで食事を進める弐川くんを見て、柊くんに合わせて頑張って食べようとしてた自分が馬鹿らしくなった。
座布団に座り直して、弐川くんの方に向き直る。長い睫毛と、白い肌。この儚い雰囲気に惹かれてしまう女子が多いのも分かる。
「……さっきさ、人のモノは奪いたくなるって言ったじゃん」
「あー。うん。言ったかもね」
「もしかして、あの子もそういうことなの?」
彼氏持ちだという“桜ちゃん”。
弐川くんが略奪趣味なら“桜ちゃん”が彼氏がいながら弐川くんにメロメロなのも頷ける。
「ちょおっとちげーよ?俺が奪ったんじゃなくて、あいつが俺を求めたのォ。カレシにも俺にも他の男にも好かれてたいし、全員自分のモノじゃないと気が済まねーし、全員に依存してんだよ。結局愛情が欲しいだけだから。女の子ってそういう子多くない?珍しいことでもないでしょ」
悪びれる様子もなく言い切った弐川くんを見て、きゅっと嫌な気持ちになった。
「無関係の私が口出すのも違うと思うけど、何であれ人の物に手を出すのは……」
「それ、あやめちゃんが言う~?」
「え?」
何でここで私が出てくるんだ、と目で疑問を訴えると、弐川くんは「なァんてにゃあ」と冗談めかして水のコップに手を付けた。
「つーか、俺がいけないって言いたいの?向こうから愛情を求めてくるのに?俺はそれに応じてるだけだよォ」
「……それで悪い結果になったらどうするの。本命と別れたりとか、」
「俺に本気になったりとか?」
「……」
「面白いよね、ちょっと前まで彼氏のことで泣いてたと思ったらいつの間にか俺のモノになってんのォ」
学校にいる普段の弐川くんを思い出す。色んな女の子と遊んで、気紛れに放置して、特定の相手を作らない、普段の弐川くん。
弐川くんに本気になってもきっといいことなんか一つもなくて、弐川くん自身もそれを分かっているはずなのに、彼はまるで他人事のように言う。
「ひどくない……?」
「俺が?女の子の方が勝手にバタバタもがき苦しんでるだけでしょ。俺関係ねーもん」
子供のように責任転嫁して、水を飲み干す弐川くんが悪魔のように見える。
「……私、弐川くんのこと嫌いだな」
思わず吐いてしまった本音。弐川くんはぶっと吹き出し、くっくっと肩を揺らしたかと思うと、座ったまま手招きをする。
内緒話のような仕草をするので、テーブルに手を付いて身を乗り出した、その時。
不意に顎を掴まれたかと思えば、押し付けるように唇に唇を重ねられる。急に顔が近付いてきたから、動く間もなかった。
勢いよく後ろに倒れたために、壁に頭をぶつける。
「ファーストキス……!」
何で、何で、何で。少女漫画の中の男にしか許されないであろう交際していない相手への突然のキスに戸惑いを隠せず、打った後頭部を押さえながら弐川くんを睨み付けたが、弐川くんはあっけらかんとしていて。
「へーえ。ファーストなんだァ」
「そ、そそそそそそうだよ!柊くんのために取っておいたのに!酷い!最低!」
こっちは本気で泣きそうになっているのに、弐川くんはこちらの怒りを嘲笑うかのようにゆるりと口角を上げた。