あのね、わたし、まっていたの  ~親愛の物語~ 【新編集版】
 やばい!
 
 大きな声を出した選挙参謀の顔が歪んだ。
投票率が大きく跳ね上がり、浮動票の多くが桜田に流れるとの予測が全国紙の地方版に載ったのだ。
枯田陣営に衝撃が走った。

「どうなっているんだ!」

 枯田の怒鳴り声が選挙事務所に響き渡った。

「固定票は完全に固めたのですが……」

 票読み責任者の声が消え入りそうになった。

「だったら、なんで?」

 枯田が彼の胸ぐらを掴んだ。

「そう言われましても……」

 自分の責任ではないと、枯田の手を振り解こうとした。

「間抜けが!」

 責任者を突き飛ばすと、彼が腰から落ちた。
ドスンという感じで尻もちをついて顔を歪めた。
その途端、冗談じゃない、というふうに大きく首を横に振った。
やってられない、という意思が顔全体に広がり、立ち上がって枯田を睨みつけた。
物凄い形相だった。
興奮して目は血走り、鼻水が出ていた。

「バカ野郎!」

 声にならない声を残して事務所を出て行った。
 
「くそっ!」

 後姿を目で追いかけていた枯田の貧乏ゆすりが激しくなった。
 タバコに火を点けようとしたが、百円ライターを持つ手がブルブル震えて、タバコの周りをさ迷っているだけだった。
 それをなだめるかのように選挙参謀が彼の肩に手をかけ、外国製ライターの火を差し出した。
 枯田は一口吸ったが、すぐに床に捨てた。
 そして、これでもかというくらい大げさにその煙草を踏み潰した。
 枯田の目には、煙草が桜田に見えていた。
 
 一方、選挙参謀は顔色一つ変えず、近くにいた腹心を呼んだ。
 そして、二枚の紙を渡して耳打ちをした。
 腹心は頷き、紙を大きな封筒に入れて足早に立ち去った。
 その後姿を見送った選挙参謀が意味ありげに呟いた。
「明日の朝が楽しみじゃの~」

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