ミーコの願い事
翌日になり職場では、私の名前を呼びながら森川さんが近づいて来ました。
「田中さん、台公園の花壇どうだった? 時期的に夏の花も咲き始めたでしょ?」
 森川さんは四十代の、とても明るい性格です。
 中肉中背の体型ですが、小柄な私からは大きく見えます。
「はい。夏すみれが特に綺麗でした」
「そう、よかった」
「……」
「でも知らなかった、お花が好きだったなんて、そうだ。この町には特別なお花の話があるから、今度話してあげるね」
「……」
 森川さんは、私の左肩に手をそえます。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
「……はい」
 返事と同時にその場所に意識しながらも、気に留めていないそぶりを演じていました。
 私が勤める会社は、企業ポスターや広告、会社のロゴやイラスト。なんでもデザインする小さな会社です。
 閑静な住宅街の中に有り、建物全体が植物のツタで覆われ会社らしくないたたずまいをしています。
 子供の頃から絵を描くことが好きだった私は、大学を卒業後は何かしら絵を描くことが出来ると思い、現在のデザイン会社に就職しました。
 この会社デザイン橘に入社し一年と数ヶ月が経つのですが、好きな絵が描けると考え入社したものの、普段は事務や資材の管理などの作業をしています。
 森川さんの後を追うように歩き向かった先は、建物内の奥にある、普段行くことのなかった資材置き場です。
 今日の作業は、何年も行っていなかった資材整理の日のようです。
 そこは不自然に、小さな入り口が設置されていました。
 森川さんがドアノブを掴むと、顔を向け話します。
「これから中に入るけど、もし黒いペンを見かけたら教えてくれる? 使えなくても、壊れていても声をかけてね」
 変わった内容の指示に、無言のまま頷くと、森川さんは意を決したように、かがみながら中に入って行きました。
 後から室内に入ると、何故だかそこは、ジャスミンに似た香りがしました。
 中には大きな棚一つ設置され、書類の入ったダンボールや、筆記用具などの資材が置かれています。
 それらを区別し廃棄という内容は、決して華やかではなく地味な作業でした。
「……あの、これは捨てても、よろしいですか?」
「田中さんちょっと待って、その段ボール重いから一緒に持とうか」
一つの荷物を対面でつかむと、森川さんは合図をかけます。
「よし、行くよ。いっせーの、せっ……って言ってから持とうか」
 森川さんはひょうきんな人で、時折このような悪ふざけをします。
 わざとタイミングをずらし、私だけ荷物を持ち上げると、その場の雰囲気を明るくするため笑いながら話します。
「フッフッフッフッ、引っかかったなー」
 今まで冗談を言い合った経験の無い私は、どんな対応をしていいかわからず、目も合わせないまま微笑みました。
 資材が入っているダンボール以外にも、様々なものが置かれています。
 使われなくなったソロバンや、大きな三角定規、中には動いていない置き時計なども出てきました。
 この時計何かの記念品かな? 祝十周年昭和四十七年って書いてある、今から十年位前の品物だ。
 確認をするため森川さんを見ると、何やら探し物をしているようでした。
 何か落としたのかな? 先ほどのペンのことかな? 
 床に手をつき、棚の下を覗き込んでいます。
 そのことが視界に入ると、声がかけられなくなってしまい、時計はそっと棚の上に置いとくことにしました。
 すべての確認が終了した頃でしょうか、先ほどの置時計のことを思い出し戻りました。
 その隣には寄りかかるように一冊のノートが立てかけてあります。
 見落とすのには、不自然なぐらい存在感があります。
 そのノートは、全体が黒く厚みがあり、やや大きめのノート。
 その外観から、当初は書物だと思ったのですが、中を開くと何も記載されていませんでした。
 表紙にも記載なく、ただ背表紙の下部分に、星型で白色のお花の絵が描いてあります。
 描かれたお花は、挨拶をしたような錯覚を見せます。
「あっ昨日見たお花に似てる。偶然? それともあなたも逃げてきたのかな?」
一瞬そんな冗談を呟き、微笑んでいました。
 妙なデザインで、印の位置がおかしいとも思いましたが、しっかりした作りと持ち運ぶのにちょうど良い大きさに、心惹かれていました。
 このノートで出掛け先をスケッチする、そんな妄想すらしてしまうほどです。
「田中さんどうしたの?」
 手にとり見とれていると、森川さんが近づいてきます。
 私は我に帰るように先ほどの微笑みをかくすと、無言のままノートを差し出しました。
「へー何の本」
 受け取った森川さんも、興味を示しながらページをめくります。
 中に何も書かれていないことに気付くと、そのノートらしからぬ外観に、面白がって笑っています。
「やだ、これノートなの?」
 森川さんはノートを閉じ、考えています。
「そう言えば、外国に厚手で大きなノートもあったみたいだけど、これは外見だけ本の様に作った見本品かなー? それとも冗談グッズだったりして」
 ノートを棚に置くと、ポケットに手を入れ何かを取り出しました。
「じゃーん、これ見つけちゃった」
 見せたものは、竹とんぼです。
「この会社はもともと、社長の旦那さんが経営していてね、その頃から製品のサンプルだの、おもちゃなども出てくるのよ、後で事務所にもどったら飛ばして遊びましょうよ」
 弾む声で話した後、再びノートを見ると気付いたかのように手にしました。
 そして背表紙に描かれた花を見て、表情が変わります。
「このノートにも……ペンタスの印がある」
 ノートを見つめる眼差しは、どこか悲しそうにも見えます。
 私はペンタスと言う名のお花が、存在することを初めて知りました。
 そして、森川さんがそのペンタスを見て、なぜそのような表情をしたのか少し疑問にも思いました。
「田中さんが見つけたんだよね……これ会社では使わないと思うからもらっていく? 見た目も素敵だし、ひょっとしたら不思議なノートかもよ」
 私はそのノートを頂けたことに嬉しく感じると、喜びのあまり、森川さんの悲しい表情、そして不思議なノートと言う言葉への疑問は、心に残ることは有りませんでした。
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