ミーコの願い事
 ここなら安心だ。
 そんなことを思い移動した場所は、会社の入り口でした。
 私は玄関先に飾られている絵でも眺め、心を落ち着かせようと考えました。

 その絵は入社当時から気になっていた、大きな油彩のものです。
 会社に飾るには、不釣り合いとも思える、戦争の悲惨さを描いた作品でした。

「凄いなーこの作品。レプリカでも、苦しみのような悲しみが伝わってくる、ピカソ作品ゲルニカ。……でも何で、ぴかそってサインが平仮名で書かれているんだろう?」

 そんな言葉をつぶやきながら見ていた作品は、森川さんが過去に購入費を節約するため、自ら描いたものだと後から聞きました。
 入口付近では、高木さんと杉田さんがドアノブの修理をしていました。
 高木さんは手際よくドアノブの修理を終わらせると、杉田さんは驚いたように感心している声が聞こえます。

「高木さん、流石ですねー日曜大工が得意だと聞いていましたが、こんなに上手だとは」

 高木さんは照れながらも、修理に使用したと思われる工具を見せていました。

「いやーこれだよ、これ。家から持ってきてよかったよー弘法筆を選ばずって言うけど、俺の場合は良い物に頼っちゃうよね」

 私はその声にそんなに便利なんだー? などと考えながら見ていました。
 そういえば、女性にお花を好む人が多いように、男性は工具とか道具などの機材を、好むように感じます。
 高木さんはとても嬉しそうに、工具を見つめ話します。

「ふー、や’っ’ぱ’、こ’れ’だ’の’」

 少しだけ類似する言葉を聞き、驚きました。

 なんて残念なんだろう。

 普段方言なんて話さないのに、それに高木さんは東京出身のはずなのに。
 ミーコの言葉に一番類似していませんでしたが、高木さんらしく残念で似合っていました。

 そんな残念な高木さんの言葉でしたが、今の私は何を聞いても可笑しく思える状態です。
 急いで耳を塞ぎ、顔に力をいれていました。
 給湯室からはどう言う訳か、石井さんの叫ぶような声だけが聞こえます。

「や’っ’す’い’タ’ケ’ノ’コ’。でもく’っ’さ’い’タ’ケ’ノ’コ’」

 その言葉から値段を確認し驚いた後、開封し怒っていることがうかがえます。
 私は我慢の限界だと思い振り返ると、目の前に社長が立っていました。

「どうしたの田中さん様子が変よ」

 その眼差しはとても悲しく、肉親のように心配してくれています。
 社長の表情が目に映ると、私の頭の中から一瞬にして朝の言葉が消えました。

「すみません。あの……大丈夫です。なんでもありません」

 社長と私の会話に、社員全員が注目しています。
 石井さんも給湯室から顔を出し、こちらを見ていました。
 社長のか細い指が私の手に触れると、心からの声を聞こうとしてくれています。

「本当に? 何か困っているのではないの?」

 心配していただいている内容が内容だけに、ミーコの言葉に可笑しかった自分が、恥ずかしくなっていました。
 
 沈黙した社内は静かな空間を作り上げ、大きく開けられた窓からは、空高くから聞こえる飛行機の音だけが聞こえていました。
 夏が終わりを告げる小さな日差しが、窓から私の元に届くと、みんなの見守る表情に気付かせます。
 小さくも、とても優しい温もりみたいなものを心で感じると、自然に明るい声色で答えていました。

「大丈夫です。楽しいことがあり浮かれていました。仕事に集中します」

 社長はしばらく沈黙していましたが、理解してくれたかのように目でうなづいてくれました。

「そうね、そのことを楽しめるように、今を乗り越えましょう」

 優しい言葉の後、振り返りながら二回手を叩きました。

「さあ、みなさん気持ちを切り替えて」

 あれ? 私は心の中で思いました。
 次に続く言葉はまさか、一瞬不安な気持ちが訪れましたが、それ以上に何故か期待が高まる私が居ます。
 社長はその期待を裏切らず言いました。

「仕事を、ちゃっちゃっと、や’っ’つ’け’ま’し’ょ’う’」

 私はその言葉を聞き、社員全員が見守る中、吹き出して笑ってしまいました。
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