ミーコの願い事
「だ、駄目。早まらないで」

 飛び出していった私を見て、桜井さんは冷静な表情で言葉をかけます。

「おう、美代子どうした?」

「駄目ですよ桜井さん、木槌なんか持ってなにを考えていたのですか」

 桜井さんは、なにくわぬ表情で、手に持っていた木槌を見ています。

「あっあ、これ? はいヨネさん、欲しがっていたゲートボールのスティック」

「ゲートボール?」

 私はその時点では、そんな名前のスポーツがあることを知りませんでした。

「まあ、ありがとう」

「うちの社長と約束していたそうで、ついでに持ってきました。それと、食べたがっていた佐々木屋のメンチカツと、紅葉屋のどら焼き」

「あら、ありがとう専務も喜ぶわー」

 桜井さんは、想像とは真逆のご奉仕をしている?

「聞いた話ですと、ゴルフのようにフルスイングしたそうで」

「オッホッホッホッホッ、始めて一週間で二本ほどスティク折っちゃってねー」

 二人の会話を聞きながら、うっすらと今日は敬老の日で有ることを思い出してきました。
 しかも二人は、仕事の関係以上に仲良しです。

「ところで美代子、何しにきたんだ?」

 私は桜井さんがスケ番時代を思い出したなどと言えず、返答に困り苦しい言い訳をしていました。

「えーっと、あのー 安い洋服が売っていないかっと思いまして」

 二人が沈黙し辺りが静かになる中、先ほどまでカーカーと泣いていたカラスの声が、今はアホーアホーっと聞こえます。

「バカだなー、ここは高級呉服店だぜー安いものもなければ、洋服は売ってないぞー」

「田中さんごめんなさい、内では洋服は取り扱っていないのよー」

「そうですよねー、私バカでした」

 私はその日、自分にではなく、人に対し嘘を付きました。

 後日会社には、駅で倒れていた男性が、桜井さんにお礼を言いに訪れていました。
 その男性は、駅の階段から足を滑らせ、十段ぐらいの高さから倒れ落ちてしまったみたいです。
 意識が朦朧とする中、駆け寄り介抱してくれた人物が、櫻井さんだったそうです。


 近くには新米と思われる駅員さんが居たそうですが、驚きのあまり足がすくみ、何も出来ない状態だったそうです。
 桜井さんは怒鳴るように、救急車に連絡するよう指示をすると、その迅速な指示と行動に、後から来たベテラン駅員さんに感謝され、ほめられていたと話しています。


 恥ずかしそうにしていた桜井さんは、帽子を深々被ると、その場を逃げるように去っていったそうです。
 その話を聞き思いました。
 喧嘩だと誤解した人がいたのは、口の悪い桜井さんの言葉を聞き、勘違いしたのでは無いでしょうか?
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