幸せだよと嘘をつく




会社の慰労会が行われた。

大規模な物だったが、年末でクリスマスの時期と被ったので参加者が限られていた。
雪乃はメーカーの財務部、経理課に所属している。

「家族がいるとか、彼女持ちの人は参加してませんね」

雪乃は苦笑いしながら職場の上司である前島に話しかけた。

「まさに、寂しい者たちの集まりだ。『慰』は、なぐさめるとも読むだろう。相手の気持ちをいたわり労うための会だな。よし、君たちは俺をねぎらえ」

部署の課長の前島は36歳、バツイチで現在独身。一見チャラそうに見えるが、浮いた噂はない。
離婚してお子さんを引き取っていると噂で聞いた。
前島は仕事ができ人望も厚い、いつも冗談を言い場の空気を和ませてくれる。
雪乃にとっては尊敬できる頼もしい上司だった。

会場は島が分かれていて、このテーブルは前島と雪乃、そして綾の3人だけが座っていた。

綾ちゃんは前島課長に住まいを聞いていた。

「前島課長は、会社近くのアパートに住んでますよね」

「会社から2駅、駅近、格安、住人少なめ、緑多め。最高の賃貸物件に住んでいる」

「なんですかそれ、凄くないですか?」

「築50年の団地なんだよ」

笑いながら生ビールをぐびぐびと飲む前島。
男性特有の喉仏に雪乃は目がいく。

「50年って、なんか凄そうですね」

「壁にさ、水道とかガスとかのパイプがむき出しについてるんだ。なんていうか凄いレトロ?」

綾がレトロという表現に喰いついた。

「レトロって使い方で合ってるんですか?」

「家賃6万の3LDKなんだけど、完全にリノベーションしてあるから、キッチンとかバスルームとか最新だし、何より2階のベランダからすぐに緑が見えるんだよ。壁も漆喰でお洒落だし、賃貸だけど売っているなら買いたいレベル」

「なんですか、それ魅力しかないじゃないですか。先輩いい物件ゲットですよ」

昨日私は夫が不倫して離婚するかもしれないと綾ちゃんに話した。
綾ちゃんに「先輩!この前話したこと地で行く?」と、言われた。彼女の軽いノリは今の私にとっては励ましだった。

前向きに行きましょう!応援します!と言われ、強力な味方を得た気持ちになった。

「築50年だし、古すぎて人気がない。全部がリノベーションしている訳じゃないから、他はもし住むのなら自分でリノベする必要が出てくる」

「売りに出てないかな、リノベ済みのやつ」

「なに?河津さん引っ越しするの?」

「もし、一人になったら住む場所が必要ですから」

「え!マジで?」

前島は驚いてジョッキを置いた。

「もしもの話です。新しく自分の住むアパートなりマンションなりを探しておけば、いざという時、素早く動けますから」

「うわ、そうなんだ……バツイチ仲間が増えるかもしれないな。よろしくな」

「課長もバツイチでしたよね。もしもの時は、先輩としていろいろご教授頂ければありがたいです」

「雪乃先輩、今の時代バツイチなんて珍しくも何でもないんです。逆にモテたりしますからね。これからは合コン誘いまくりますね」

お酒も入っているせいか、綾の明るさに気分がよくなる。
落ち込んでても仕方がない。前に進んで、これからどんどん新しい出会いを求めていこうと思う雪乃。

「急いで物件探さなきゃいけないの?」

少し真面目な様子で前島は雪乃に訊ねた。

「一応半年後をめどに考えています」

「そうなんだ。不動産屋さんに聞いてみるか?良かったら俺の部屋、見学してもいいけど。セクハラ案件ではないぞ親切心でだ」

「ああ、そういう心配はしてません。課長は対象外ですから」

「それ酷いな、ちょっと落ち込むんだけど」

「確か、前の奥さんとの間にお子さんいらっしゃいましたよね」

「そうなんだよね。可愛い息子を育てているよ」

「父子家庭ですね。課長は、なんていうか優良物件ではなく、事故物件的な危うさを感じます」

「綾ちゃんそれは……課長、お気になさらず。綾ちゃんは酔っぱらってます」

「綾ちゃん、言っとくけど、ボーナスの査定ね俺が出してるからね、減っちゃうかもしれないよ」

「パワハラって言葉を知っていますか?」

綾ちゃんはお酒のペースが速かったせいか目が据わっている。

「綾ちゃん、俺も今、酔っぱらっているからね。大丈夫だ、ある程度は無礼講だ」

「課長、雪乃先輩が美人だからって狙わないで下さいね。まだ離婚してませんから、今の状態で口説いたら不倫になります。時間をかけてゆっくりモノにして下さい」

「よし、そうしよう」

ハハハと笑って、前島はウーロン茶を注文する。
綾のための物だろうと思った。

雪乃は冗談とも本気ともつかない二人の言い合いに愛想笑いで相槌を打った。


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