幸せだよと嘘をつく



朝日が昇っている。疲れた様子で自宅マンションのドアを開ける雪乃。

昨夜はマンションに帰る事ができなかった。
ネットカフェで時間をつぶした。
康介の顔を冷静にみる自信がなかった。
康介には『綾が酔いつぶれたのでアパートまで送る。遅くなったのでそのまま彼女の部屋に泊まる』とメッセージを入れた。
雪乃が誰かの家に泊まるなど、結婚してから一度もなかった。
夫は少しでもおかしいと思うだろうか?
それとも、妻が帰らないのなら自分もラブホテルに泊まればよかったと思っただろうか。
何とも言えない表情で雪乃はダイニングテーブルにそっと鞄を置いた。

康介が雪乃が帰って来たことに気がついたのか寝室から出てくる。
部屋着姿でも所帯じみていないかっこいい康介だった。
背が高く短髪で清潔感がある。眼鏡をかけているから端正な顔立ちは優しく見える。

壁にかかっている時計を見ると今は朝の7時30分。


「おかえり。大丈夫だった?」
「ええ。ごめんね。綾ちゃんが酔っぱらっちゃってどうしようもなかったの」
「そうか、大変だったね。綾ちゃんって同期だったっけ?」

綾ちゃんは同期ではなく職場の後輩だ。
今まで何度も話をしたはずだった。それも康介は覚えていなかったのかと思い愛想笑いを浮かべて雪乃は「ウン」と頷いた。

「シャワーを浴びてないから、先にお風呂入ってくるね」

雪乃は寝室のクローゼットに着替えを取りに行った。
康介の顔を直視できない。
まるで自分の方が悪いことをしているみたいな気分になった。

「朝食を作っておくよ」

休日は朝食を作ってくれる夫。
家事も率先してしてくれて、仕事が忙しくても疲れた表情を見せない。

「ありがとう」

いつもと変わらず、優しい夫の態度。
雪乃は涙が出そうになるのを必死に堪えた。

雪乃は洗濯機の前に立っている。
昨夜着ていた夫のシャツの匂いを嗅ぐ。

(ああ……康介の匂いじゃない)

知らない香水の香り。
グッとシャツを握りしめる。


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