幸せだよと嘘をつく
個室に通されると、そこには小林大地さんと、真奈美さんが座っていた。
康介は驚いて私を振り返る。
「初めまして、真奈美の元夫の小林大地です」
「……」
言葉が出ない康介の代わりに雪乃が挨拶する。
「わざわざお時間をいただきありがとうございました。夫の康介です。真奈美さんも来ていただけて良かったです」
「……ええ」
真奈美さんには、望みのものを与えられるから来てほしいと頼んでいた。
彼女は別れた夫がいる事に不満を隠しけれない様子だ。
「いったいどういうことなんだ?雪乃、ちゃんと説明してほしい」
「ええもちろんよ。取り敢えず、席に着きましょう。話はそれからよ」
小林さんが、僕がワインを選びましょうと言い、注文をした。
ソムリエが退出してから、雪乃は話し始めた。
「今日の集まりは、皆で思っていることを嘘偽りなく語り合い、新しい生活を歩んでいく為のものよ」
「そうです。僕と雪乃さんで企画しました」
「君たちは知り合いなのか?いったいどういうことなんだ」
「では、僕が先に説明させてもらいますね」
「お願いします」
雪乃は大地さんに進行を任せた。
「僕は真奈美と結婚してから、一度も浮気をした事はありません。単身赴任でしたが家族は仲良く、子どもたちは可愛かった。勿論妻を愛していました」
「そ、そんな事はもうどうでもいいでしょう!私たちは離婚が成立しているわ」
真奈美さんが焦ったように大地さんの話を止めようとする。
「そうだね。この度、元妻から、子どもたちの親権を取り戻し、私が引き取って育てる事になりました」
「え!そうなのか?」
康介が驚いて真奈美さんを見た。
「そうよ、私は子持ちじゃなくなった」
真奈美さんはなぜか自信に満ちたような顔でそう言った。
まるで子供がいなくなったことを喜んでいるかのようだ。
「真奈美は、育児を親任せにして、殆ど子供たちの面倒を見てこなかった。私は現在会社を退職し、家業を手伝うために東京に戻っています。今は毎日、彼女の実家に通い子供たちに会っています。来週から私の実家でやっと子供と暮らす事ができます」
「子供をよこせって煩かったし、大地さんは造り酒屋の長男よ。跡継ぎなの。子供達も贅沢に暮らせた方が幸せだと思って、私は子供を手放したの」
「お子さんは、元、ご主人に育てられた方が幸せでしょうね。ブログのためだけに子育てしているふりをしていたお母さんと生活するよりよっぽどいいと思います」
雪乃は真奈美に嫌味を言う。
「子供も産んだことないくせに!知ったような口をきかないで」
「いったいどういうことなんだ?」
初めて聞く話に説明を求める康介。
「真奈美さんはご主人が浮気をしていると言っていたけど、大地さんは浮気なんてしていなかった。彼女は康介に嘘をついていたのよ」
「なんだって!何年も旦那の浮気に苦しんできたって言ってたじゃないか」
「単身赴任なんだから、浮気してると思っただけよ。してないっていても真実は分からないでしょう」
開き直った彼女の態度は、非常に不快だ。
「真奈美の言っている意味が分からないよ。浮気をしているでしょうと疑われた事だって一度もなかったし、そんな事実はない。そもそも僕は君を裏切った事なんてなかった」
落ち着いた大地さんの声色が真奈美さんを追い詰める。
真奈美さんが大地さんに罪を着せて、悲劇のヒロインぶってると思うと反吐が出る。
「とにかく、真奈美さんの嘘をここで証明したの」
それに康介さんはまんまと騙されていた。
「わざわざ、そんな事を今更俺に知らせなくても、もう終わった事なんだからいいだろう」
「そうでもないわ」
「そうよ、まだ終わっていないわ!私は今日、康介と雪乃さんが離婚するって聞いてここまで来たのよ」
「なんだって?離婚なんてしない。俺たちはこれから新しくまた夫婦生活を始めるんだ」
「それは無理な話だわ」
雪乃はハッキリとそう告げた。
「何を言っているんだ雪乃。約束だったはずだ。半年間君の好きなように行動させたら、離婚はしないって契約だっただろう」
「康介さん。あなたは契約を破ったわ」
「どういうことだ?」
「真奈美さんが、3ヶ月前に貴方とホテルで関係を持った証拠を私に渡してくれたの」
「3ヶ月前?」
「カラオケボックスで話し合った日よ。あの日あなたは真奈美さんとホテルへ行った」
真奈美さんが雪乃と前島に突撃してきた日だ。
二人で話し合うように雪乃たちはカラオケボックスを後にした。
康介はその後、真奈美さんとホテルに行って、彼女とまた体の関係を持った。
そして、私に聞かせたボイスレコーダーの録音は肝心なところが切り取られていた。
真奈美さんは涙目でごめんなさいと謝りながら康介に説明する。
「康介、私はあの時動画を撮っていたの、それを雪乃さんに渡したわ。そうするしかなかったの」
「なんだって!君は、最後だからって、これで終わりにするからって願ったんじゃないか。動画なんて……有り得ない」
「私に残された手段はそれしかなかったのよ」
康介はみるみるうちに顔色が悪くなり、頭を抱えた。
真奈美さんは康介に抱かれた証拠を動画で残していた。
完璧な裏切りの証拠だ。
「康介さん、真奈美さんと体の関係を持つなら、離婚届けを書いてからにしてくれってお願いしたわよね?真奈美さんと別れるために話し合うのは仕方がないとしても、彼女を抱くのは流石に違反でしょう」
「やめてくれ……あれは、たった一度だけの話だ。俺は、君が他の男に抱かれている半年の間、誰とも関係を持っていない」
「私と寝たでしょう」
「黙れ!嘘つき女」
醜い争い。
見ていられない。
「真奈美が嘘をつくのは、今に始まった事ではない。彼女はそもそも自分の良いように話を作る女だ」
大地さんが真奈美さんの本性をさも当たり前の事のように話す。
「うるさいわね、あなたはもう関係ないでしょう。帰りなさいよ」
「そうだね。子供達も手に入れたし、君の顔なんて見たくもないよ」
「さっさと帰りなさいよ!」
「真奈美、離婚後3年以内であれば、元配偶者に離婚の慰謝料を請求できるって法律で決まっているの知ってるか?君に300万請求させてもらうから」
大地さんは用意していた書類を真奈美さんに渡す。
「な、何言ってるのよ!今更そんなもの払わないわよ。子供を手に入れたんだから大人しくしていてよ」
「いや、河津康介さんからは慰謝料をもらっている。けれど、君からはまだだからね」
真奈美さんは目じりを険しく吊り上げて大地さんを睨んだ。
「慰謝料と言えば、真奈美さんに請求した300万、康介さんが支払っていたのよね?私が受け取ったお金はあなたのものなのね」
「それは。真奈美の離婚の原因を作ったのは俺だったし、何より、早く決着させたかった。いつまでも真奈美とかかわりを持ちたくなかったからだ」
「康介!何を言っているのよ。私はもう子持ちじゃないわ。一人身になったの。何の障害もないのよ。雪乃さんと離婚して、私と再婚しましょう!」
「何を馬鹿なことを言ってるんだ、そんなことするはずないだろう」
「できるんじゃない?だって私、あなたと離婚するもの」
「た、頼む……雪乃。君が半年間浮気をしていても、それでも俺は我慢して、今まで耐えたんだ。全て、君との結婚生活を継続するための努力だ。分かってくれ……」
修羅場とはまさにこういう場のことを言うのねと思いながら、諦めの悪い夫を冷ややかな目で見つめる。
もう、康介さんの事を何とも思わない。
一緒に過ごした3年はこんな情けない夫とともにここに捨てていく。
「無理」
雪乃は冷たく康介に言い放った。
「証人欄には、私と、雪乃さんの職場の方がサインしています。後は河津さん。ご主人のサインがあれば終わります」
大地さんが雪乃から離婚届けを受け取り、康介さんの前に差し出した。
彼は今、証人としてこの場に立ち会ってくれた第三者だ。
「そうよ、康介、サインして離婚してよ!私は旦那も子供も失ったの。もう康介しかいないわ」
真奈美さんが康介に縋りつく。
「康介さん。約束を守れなかったのはあなたです。潔くサインして下さい。もう、終わりにしましょう」
雪乃はそう言い冷たく笑った。