幸せだよと嘘をつく


「彼女とは……本気じゃない。ただの遊び……言い方は悪いかもしれないけど、ただの気まぐれで関係を持ってしまった。本当にごめん」

康介さんはソファーから降りて雪乃に土下座した。

「そうなのかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。私はあなたじゃないから分からないわ」

「彼女とは別れる。もう二度と間違いは犯さない。本当にすみません。申し訳なかった」

浮気を許すかどうか、ネットにはあらゆる人の意見が書いてあった。
もし、康介が過ちを認めてやり直したいと言ったらどうするのか。
それも考えた。

「スマホを見せてくれる?」

「スマホ……見せるのは良いけど、相手の人とのログは、その都度削除しているから残ってないんだ」

雪乃は手を差し出した。
間違いを認め許しを請うなら、スマホは渡せるはずだ。

「相手の人と揉めようとは思っていないわ。慰謝料請求したりもしない」

康介はスマホのロックを解除して雪乃に渡した。

最近のラインのやり取りが残っている。雪乃の次に表示されているこの人が浮気相手だろう。

「確かに、何も残っていないわね小林真奈美(こばやしまなみ)さんっていうのね。彼女の事を教えてもらってもいい?」

「ああ、分かった」

康介は腹をくくったのか、ゆっくり話し始めた。

「彼女は大学の時のサークルで一緒だった同級生だ。当時彼女は恋人がいて俺は彼女に片思いしていた。学生の頃彼女と体の関係はなかった。当時、こんな綺麗な子が彼女だったらいいなと憧れていた」

「そうなのね」

そんなに前から知り合いだったのかと知って驚いた。
十年以上昔だろう。もしかして、ずっと……続いていたの?

「一年前、偶然彼女を町で見かけて、その時連絡先を交換した。彼女は結婚していて、子供も二人いたし、ただ懐かしい友人という立場で話をしただけだった」

「友人ね」

「彼女は、自分の実家近くにマイホームを建てたと言った。けれど、ご主人の単身赴任が決まったらしい。寂しいと言っていた、子育ての悩みも相談する相手がいないって」

話を聞いても納得できないなと感じた。
康介さんは男性。子供もいない康介さんが、子育ての悩みに答えられるわけがない。

「そうやって何度か会ううちに、体の関係になった」

「水曜と金曜が逢瀬の日ね」

ノー残業デイなはずの水曜日、康介は必ず接待だと言って深夜に帰宅していた。
金曜も遅い日が多かった。

「いや、そんなに……水曜は会っていた。金曜はご主人が帰ってくるときは会わなかった」

「半年前から体の関係があったのね」

雪乃と康介のセックスレスが始まった時期だ。

「……ああ。そうだ」

康介は頭を垂れた。

「相手の人も結婚していたのね」

昨夜見た彼女は、ワンピース姿で、フェミニンな感じの可愛らしい女性だった。
雪乃より年上で、しかも子持ちの主婦だとは思ってもみなかった。

「彼女とは別れる。今後一切、二度と会う事はない。頼む、離婚だなんて言わないでほしい」

「彼女を愛していないの?」

「愛していない。俺が愛しているのは雪乃だ。彼女とは、ただの遊びのつもりだった。ご主人と離婚するわけでもないし、彼女もほんの出来心だった。子供がいるんだし、彼女も俺とは遊びだと割り切っている」

スマホの画像に彼女との写真は残っていない。康介さんは証拠を絶対に残していないだろう。
雪乃は康介のスマホから彼女にメッセージを送った。


ーーーーー《ラインのメッセージ》-----

雪乃『急だけど、今日の6時からエグゼホテルのディナーを予約してるんだけど行かない?』

彼女と昨日会っていたわけだから、真奈美さんのご主人は週末こっちに帰って来ていないだろう。
ならば土日、彼女は家にいる可能性が高い。

真奈美『どうしたの?今日は奥さんの誕生日ディナーだって言ってたじゃない?都合が悪くなったの?』

雪乃『妻が急に実家に帰らなくならなくなった。キャンセルするのはもったいないから、行ってきたらと言われた。時間が取れるなら君はどうかなと思って』

真奈美『そうなのね。両親に子供たちを預かってもらって、行くわ』

雪乃『良かった。ホテルの37階スカイレスト、ランシャノアールに6時。河津の名前で予約している』

真奈美『分かったわ。昨日も会ったのに、今日も会えるなんて楽しみ。泊まれるの?』

雪乃『部屋も予約してる』

真奈美『両親に、泊りで預かってもらえるか聞いてみるわね。ありがとう。好きよ、愛してる』

雪乃『じゃぁ、6時に待っている』

ーーーーーーーーーーーーーーー

雪乃は康介に成りすまして彼女にメッセージを送った。
そしてキッチンへ行って、タオルにくるみ肉叩きハンマーを持って来た。

「康介さん、真奈美さんにメッセージを送ってみたから読んでくれる」

康介は自分のスマホを見て、真奈美さんと雪乃のやり取りを読んでいく。
驚愕した表情で雪乃を見た。

「な、なんで……!」

最後まで読んだところで、康介が彼女に連絡しようとしたのでスマホを取り上げた。
そして夫のスマホをテーブルの上に置き、ハンマーで液晶を割った。

ガシャ!

「うわぁ!」

康介の肩がビクンと上がる。
壊れた自分のスマホを見てなす術もなく康介は青ざめていた。

「弁償するわ」

「……なんて、ことするんだ……」

『絶望』とはこういう時に使う言葉なのかもしれない。康介は頭を抱えて目を閉じた。

「これで、彼女とは連絡が取れないでしょう。けれど、彼女は時間がくればレストランで待っている。泊まる準備をしているかもしれないわね。お子さんを実家に預けて、あなたが来るのを楽しみにずっと待っている」

「君は……」

「離婚しましょう。きっと康介さんは私をもう愛する事はないでしょう。彼女のところへ行ってあげて。待ちぼうけは可哀そうよ」

康介は振り返って壁の時計を見た。
今は3時だ。

「こんなことをしなくても、真奈美とはちゃんと別れた」

「私は、彼女と別れてなんて言っていないわ。私と離婚してと言っているのよ。申し訳ないけど、次の住まいが見つかるまで、多分長くても2ヶ月。それまではここに住まわせてほしいの」

康介は何も言えずにただ黙っていた。

「私たちには子どもがいないし養育費の必要もないわ。私は自分で仕事をしているし、これからの生活に困るわけでもない」

「君はそれでいいの?俺を愛しているって言ってくれただろう」

康介の目に涙が潤んでいるような気がする。

「ええ。愛しているの。でも、一方通行じゃ駄目でしょう」

「……俺は、離婚したくない。時間をかけてちゃんと話し合おう」

雪乃は首を横に振った。


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