想いを伝える人 ~天命に導かれる旅~ 【新編集版】
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1980年の5月5日、わたしは才高家の長男としてこの世に生を受けた。
名前は叶夢。
才高家は遥か昔から続く大工の棟梁だった。
長い間、庶民が住む長屋の建築を生業としていたが、応仁の乱を機に築城大工への道を歩むことになった。
何故なら、下剋上による乱世の時代は築城数増加の時代でもあり、腕の良い大工は引く手あまただったからだ。
その上、報酬が一般の大工と比べものにならないくらい高かった。
それは危険を伴うことへの裏返しでもあったが、先祖はそれを好機と捉えた。
最初は下請けのような役割だった。
しかし、丁寧な仕事ぶりと無駄を省くコスト管理が評価され、徐々に頭角を現していった。
そして、手掛けた出城に高い評価が集まるようになると、より大きな仕事が舞い込むようになった。
それだけでなく、城主のお抱えとなる高運にも恵まれた。
当然のように才高家の名声はいやがうえにも高まり、その地位は安泰だと誰もが思っていた。
しかし、天下統一後、江戸時代が始まると築城の需要は激減した。
当然のことながら才高家は窮地に陥り、配下の大工を食わせていくことが難しくなった。
それでも、長屋の建築に戻ることは躊躇われた。
今まで磨いてきた技を捨てるようになるからだ。
当主は悩んだ末に築城大工の誇りと技を活かせる道を選び、嫡男を宮大工の修行に送り出した。
それ以降、才高家は宮大工としての道を歩み続けている。
それだけでなく、代々の当主は技術を磨き上げ、それを比類なきレベルに高めると共にその技を門外不出にすることで才高家の存在を守り続けてきた。
わたしの父も第22代当主としてその比類なき技を守り続けながら、全国各地の神社仏閣や重要文化財の保全修理に全力を傾けている。
1980年の5月5日、わたしは才高家の長男としてこの世に生を受けた。
名前は叶夢。
才高家は遥か昔から続く大工の棟梁だった。
長い間、庶民が住む長屋の建築を生業としていたが、応仁の乱を機に築城大工への道を歩むことになった。
何故なら、下剋上による乱世の時代は築城数増加の時代でもあり、腕の良い大工は引く手あまただったからだ。
その上、報酬が一般の大工と比べものにならないくらい高かった。
それは危険を伴うことへの裏返しでもあったが、先祖はそれを好機と捉えた。
最初は下請けのような役割だった。
しかし、丁寧な仕事ぶりと無駄を省くコスト管理が評価され、徐々に頭角を現していった。
そして、手掛けた出城に高い評価が集まるようになると、より大きな仕事が舞い込むようになった。
それだけでなく、城主のお抱えとなる高運にも恵まれた。
当然のように才高家の名声はいやがうえにも高まり、その地位は安泰だと誰もが思っていた。
しかし、天下統一後、江戸時代が始まると築城の需要は激減した。
当然のことながら才高家は窮地に陥り、配下の大工を食わせていくことが難しくなった。
それでも、長屋の建築に戻ることは躊躇われた。
今まで磨いてきた技を捨てるようになるからだ。
当主は悩んだ末に築城大工の誇りと技を活かせる道を選び、嫡男を宮大工の修行に送り出した。
それ以降、才高家は宮大工としての道を歩み続けている。
それだけでなく、代々の当主は技術を磨き上げ、それを比類なきレベルに高めると共にその技を門外不出にすることで才高家の存在を守り続けてきた。
わたしの父も第22代当主としてその比類なき技を守り続けながら、全国各地の神社仏閣や重要文化財の保全修理に全力を傾けている。