裏切りの宰相と白いさらわれ妻~結婚してから始まったふたりの恋~
4 初めての一夜
重々しい鐘が鳴って儀式の終了を告げると、ロシェは密かに安堵の息をついた。
ロシェとジェイドの結婚式は、侯爵の捕縛に配慮してひっそりと行われた。ロシェは結婚式に心が躍るどころか貴族の儀式に委縮していたし、これからどうなるのだろうという不安の方が大きかった。
ふいにロシェは労わるように声をかけられた。
「ロシェ様、疲れたでしょう。屋敷にご案内します」
儀式が終わってようやく、ロシェは夫となった人を見上げた。
銀細工の紋章があしらわれた真っ白な長衣をまとったジェイドは、その禁欲的な雰囲気もあって聖職者のようだった。物腰も優雅で、ロシェには兄のハリーが叫んだ「裏切り」に実感がわかない。
儀式の間も、ジェイドは緊張してほとんど顔が上げられないロシェの手を終始取って、導いてくれた。その優しさは、侯爵の屋敷でたびたびロシェに向けられた労わりと何も変わりがない。
ロシェはたぶん不安そうな顔をしていただろう。ジェイドに問いかける声も震えていた。
「屋敷……ジェイド様の、ですか?」
「はい。私たちは夫婦になるのですから」
ジェイドはそう言って、ロシェの手を少し持ち上げてみせた。
馬車に乗り、ロシェが連れてこられたのは、王都の翼と呼ばれる貴族の邸宅街だった。王宮から伸びる中央通りを柱に、意匠を凝らした石造りの建物が並ぶ。
ジェイドの邸宅は比較的新しかったが、その邸宅街に元からあったように堂々と構えていた。青い空に映える新緑色の屋根に、落ち着きのあるセピア色の石造りで、凛とした鳥が羽を広げているのに似ていた。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥方様」
中に入ってからも、ロシェには驚きだった。使用人たちは侯爵家とはまるで違って、物腰の穏やかな、柔らかい雰囲気の人たちだった。ロシェを見る目も、新しい主人に対する緊張はあったが、決して愛妾の子と蔑む様子はなかった。
ジェイドはロシェを振り向いて、優しく告げる。
「夕餉まで少し時間がある。休んでいらしてください。……安心してください。この屋敷の中であなたを侮る者はおりません」
「は、はい」
ロシェはずっとつながれていたジェイドの手を離すのが、少し惜しいと思った。ジェイドは政略結婚の自分に配慮をしてくれているだけなのに、まるで愛されているような錯覚さえ抱いてしまう。
ロシェに与えられた私室は、花や鳥の彫刻で彩られた調度で満ちていた。窓が広く、南向きの温かなところで、眼下には庭の花々がうかがえた。
侍女は母親ほどの年齢のおおらかな女性で、名前をメルと言った。
「まぁ素敵。白い肌によく映えて。素敵なご衣装姿をずっと見ていたいですけれど、お疲れでしょう? すぐにお召替えをいたしましょうね」
緊張して何も言えないでいるロシェを、彼女は煩う素振りなく温かく接してくれた。ロシェの衣装を手早く解くと、ハーブティーを給仕してロシェが落ち着けるようにはからってくれた。
「あの……ありがとうございます」
もったいないほどの気配りをしてもらっている。ロシェが少しだけはにかんでメルに礼を言うと、彼女は相好を崩してうなずいた。
「あらあら、私どもに礼を言う必要はないのですよ。淑やかな方ですのね。女の私も照れてしまいますわ」
「いいえ。私、街の食堂で働いていた庶民ですから」
メルは微笑んで、いいえと言葉を返す。
「今日からはヴィッテル家の奥方様です。国王陛下も信頼を置かれる宰相家の女主人でございますよ。もちろん不安なことはおありでしょうが、ジェイド様がついておられます」
ロシェは自分にその大役が務まるのか、まだ不安な心のままうなずいた。
ハリーはジェイドが侯爵家の名を利用するためにロシェを娶ったと言っていたが、それは愛妾の子の自分で足りるものなのか。ロシェには貴族社会のことがまだよくわからない。
晴れた空が茜色に染まる頃、メルはロシェの衣装を整えて晩餐へと導いた。
裾に薔薇のレースがあしらわれた青いサテンドレスをまとったロシェを、ジェイドは立って出迎えた。
ジェイドはゆったりとした紺の長衣をまとっていたが、裾さばきも慣れていて堂々としていた。そっと手を取られたときも、ロシェはジェイドに見惚れていた。
「晩餐をご一緒するのは初めてですね。……そういった衣装は初めて拝見します。よくお似合いです」
ジェイドはロシェにそう告げたが、ロシェはジェイドの方こそ貴族然としていて、憧れるように見上げるしかできなかった。
初めてジェイドと取る食事は、緊張して言葉もおぼつかなかった。けれどずっと一人で食事を取っていたロシェには、側にいる人がいることに安心を覚えたのも事実だった。
ジェイドはロシェから無理に言葉を引き出そうとはしなかったが、時折労わるように声をかけてくれた。
「お口に合いますか?」
「とてもおいしいです」
「それはよかった」
ロシェは胃が弱く、食べられないものもたくさんある。けれどジェイドはそれを知っているようで、給仕されるものはロシェの体に優しいものばかりだった。
ロシェは彼がそんな気配りをしてくれることが不思議で、あるとき少し首を傾げてジェイドを見上げた。
ジェイドも食べてはいるが、優しい眼差しでロシェをみつめていることが多かった。ジェイドはロシェの視線に気づいて、そっと問い返す。
「どうされました?」
ロシェはどう答えていいかわからず、とっさに目を逸らしてしまった。
優しい目をしたジェイドと向き合うと、母と食事をした時間を思い出す。普段大人しいロシェは母の前でだけはにぎやかな子どもで、はしゃぐように話すロシェを母は穏やかな目で見てくれていた。
今のロシェは政略結婚で嫁いだ身で、たとえ母が食堂に戻ってきたとしてももう母と暮らすことは叶わない。
その憂いを思ったロシェは、たぶん気落ちして見えたのだろう。ジェイドはやがてロシェに言葉をかける。
「二人になったら、お話ししたいことがあります。それを聞いたら、ロシェ様の憂いも少し晴れると思いますよ」
ロシェは首を傾げてジェイドを見上げた。うなずいたジェイドは、少し寂しそうに見えた。
食事の後、ロシェはメルに湯あみを勧められて体を清めた。食堂にいた頃は湯はぜいたく品で、惜しみなく使われた湯に緊張のし通しだった。
春先とはいえ夜は冷え込む。夜着の上にローブを羽織って、ロシェは居室に入ってようやく落ち着いた。侍女のメルだけはまだ隣室に控えていてくれるが、ロシェはここ数日のことを思って、気持ちを整理しようとしていた。
嫁いだ自覚はまだあまりないが、夫となったジェイドは優しく、屋敷の人たちもロシェを温かく迎えてくれた。
……ただ、自分はこれからどうしたらいいのだろう。その不安だけは、まだ消えない。
夜の帳が落ちた頃、ノックの音が響いた。
メルが扉を開けに行って、彼女はまもなく来訪者と共にロシェの居室に入ってきた。
「ロシェ様、ふたりだけで話したいことがあります。よろしいですか」
現れたジェイドは白い夜着にローブを羽織った姿で、ロシェは体を緊張させた。
メルは静かに退室していって、ロシェはジェイドと部屋にふたりきりになる。
二人の格好も、辺りに漂う静けさも、夕餉のときとは違う空気があった。ロシェはその雰囲気に気圧されながら、ジェイドの話を待つ。
ジェイドはロシェとテーブルを挟んで向き合って座ると、ロシェが思いもよらない言葉を切り出す。
「ロシェ様は、「白い結婚」をご存じですか?」
ロシェが顔を上げると、ジェイドは淡々と言葉を続ける。
「この国では、一年間床を共にしなかった夫婦は、結婚の無効を主張できるのです」
「結婚の無効……」
「今回の結婚は私が一方的に進めたものですが、ロシェ様が解放される方法があります。それが「白い結婚」の主張です」
ジェイドはふいに真摯な目でロシェをみつめて言う。
「約束をしませんか。ロシェ様が一年経っても私との結婚を受け入れがたいときは、「白い結婚」としましょう」
ロシェは息を呑んでジェイドを見返した。ロシェは驚きのまま、言葉を告げる。
「ジェイド様は、それでよろしいのですか?」
「……ロシェ様は私に、怯えていらっしゃるでしょう」
ジェイドはそこで、眉を寄せて寂しそうに言う。
「同じ屋敷の中で過ごしていたのも、ほんの数か月です。私の方からはその以前からロシェ様のことを知っていますが、ロシェ様はほとんど私のことを知らない。結婚式は挙げたものの、私たちが本当の夫婦になれるかはわからない。……だから」
ジェイドは席を立って、一歩ロシェに歩み寄った。
ロシェはジェイドに手を掴まれた。そのまま手を引かれて、寝台に導かれる。
「あ……」
ロシェは反射的に体を緊張させた。けれど恐れていたことは起こらなかった。
ジェイドはロシェと共に寝台に横になると、そっとロシェに言葉をかける。
「安心してください。隣で眠るだけです」
ジェイドはロシェを眠りに促すように、そっとロシェの髪を梳いた。
ロシェはその優しい仕草に目を細めて、少しだけ体の緊張を解く。
二人で横たわりながら、ジェイドは意を決したように言った。
「ロシェ様、眠る前に一つ」
ロシェがうなずくと、ジェイドはそっと告げた。
「私のことは、ジェイドと呼んでください」
ロシェは瞳をまばたかせて、少し口ごもりながら言った。
「……は、はい。では私のことも、ロシェとお呼びください。……ジェイド」
ジェイドはそれに、くすぐったそうに微笑んだ。
ロシェにはこれが政略結婚だとわかっていて、ジェイドのその優しさに愛はないのかもしれない。
けれどジェイドの隣で眠った初めてのその夜は、静かで穏やかな一夜だった。
ロシェとジェイドの結婚式は、侯爵の捕縛に配慮してひっそりと行われた。ロシェは結婚式に心が躍るどころか貴族の儀式に委縮していたし、これからどうなるのだろうという不安の方が大きかった。
ふいにロシェは労わるように声をかけられた。
「ロシェ様、疲れたでしょう。屋敷にご案内します」
儀式が終わってようやく、ロシェは夫となった人を見上げた。
銀細工の紋章があしらわれた真っ白な長衣をまとったジェイドは、その禁欲的な雰囲気もあって聖職者のようだった。物腰も優雅で、ロシェには兄のハリーが叫んだ「裏切り」に実感がわかない。
儀式の間も、ジェイドは緊張してほとんど顔が上げられないロシェの手を終始取って、導いてくれた。その優しさは、侯爵の屋敷でたびたびロシェに向けられた労わりと何も変わりがない。
ロシェはたぶん不安そうな顔をしていただろう。ジェイドに問いかける声も震えていた。
「屋敷……ジェイド様の、ですか?」
「はい。私たちは夫婦になるのですから」
ジェイドはそう言って、ロシェの手を少し持ち上げてみせた。
馬車に乗り、ロシェが連れてこられたのは、王都の翼と呼ばれる貴族の邸宅街だった。王宮から伸びる中央通りを柱に、意匠を凝らした石造りの建物が並ぶ。
ジェイドの邸宅は比較的新しかったが、その邸宅街に元からあったように堂々と構えていた。青い空に映える新緑色の屋根に、落ち着きのあるセピア色の石造りで、凛とした鳥が羽を広げているのに似ていた。
「おかえりなさいませ、旦那様、奥方様」
中に入ってからも、ロシェには驚きだった。使用人たちは侯爵家とはまるで違って、物腰の穏やかな、柔らかい雰囲気の人たちだった。ロシェを見る目も、新しい主人に対する緊張はあったが、決して愛妾の子と蔑む様子はなかった。
ジェイドはロシェを振り向いて、優しく告げる。
「夕餉まで少し時間がある。休んでいらしてください。……安心してください。この屋敷の中であなたを侮る者はおりません」
「は、はい」
ロシェはずっとつながれていたジェイドの手を離すのが、少し惜しいと思った。ジェイドは政略結婚の自分に配慮をしてくれているだけなのに、まるで愛されているような錯覚さえ抱いてしまう。
ロシェに与えられた私室は、花や鳥の彫刻で彩られた調度で満ちていた。窓が広く、南向きの温かなところで、眼下には庭の花々がうかがえた。
侍女は母親ほどの年齢のおおらかな女性で、名前をメルと言った。
「まぁ素敵。白い肌によく映えて。素敵なご衣装姿をずっと見ていたいですけれど、お疲れでしょう? すぐにお召替えをいたしましょうね」
緊張して何も言えないでいるロシェを、彼女は煩う素振りなく温かく接してくれた。ロシェの衣装を手早く解くと、ハーブティーを給仕してロシェが落ち着けるようにはからってくれた。
「あの……ありがとうございます」
もったいないほどの気配りをしてもらっている。ロシェが少しだけはにかんでメルに礼を言うと、彼女は相好を崩してうなずいた。
「あらあら、私どもに礼を言う必要はないのですよ。淑やかな方ですのね。女の私も照れてしまいますわ」
「いいえ。私、街の食堂で働いていた庶民ですから」
メルは微笑んで、いいえと言葉を返す。
「今日からはヴィッテル家の奥方様です。国王陛下も信頼を置かれる宰相家の女主人でございますよ。もちろん不安なことはおありでしょうが、ジェイド様がついておられます」
ロシェは自分にその大役が務まるのか、まだ不安な心のままうなずいた。
ハリーはジェイドが侯爵家の名を利用するためにロシェを娶ったと言っていたが、それは愛妾の子の自分で足りるものなのか。ロシェには貴族社会のことがまだよくわからない。
晴れた空が茜色に染まる頃、メルはロシェの衣装を整えて晩餐へと導いた。
裾に薔薇のレースがあしらわれた青いサテンドレスをまとったロシェを、ジェイドは立って出迎えた。
ジェイドはゆったりとした紺の長衣をまとっていたが、裾さばきも慣れていて堂々としていた。そっと手を取られたときも、ロシェはジェイドに見惚れていた。
「晩餐をご一緒するのは初めてですね。……そういった衣装は初めて拝見します。よくお似合いです」
ジェイドはロシェにそう告げたが、ロシェはジェイドの方こそ貴族然としていて、憧れるように見上げるしかできなかった。
初めてジェイドと取る食事は、緊張して言葉もおぼつかなかった。けれどずっと一人で食事を取っていたロシェには、側にいる人がいることに安心を覚えたのも事実だった。
ジェイドはロシェから無理に言葉を引き出そうとはしなかったが、時折労わるように声をかけてくれた。
「お口に合いますか?」
「とてもおいしいです」
「それはよかった」
ロシェは胃が弱く、食べられないものもたくさんある。けれどジェイドはそれを知っているようで、給仕されるものはロシェの体に優しいものばかりだった。
ロシェは彼がそんな気配りをしてくれることが不思議で、あるとき少し首を傾げてジェイドを見上げた。
ジェイドも食べてはいるが、優しい眼差しでロシェをみつめていることが多かった。ジェイドはロシェの視線に気づいて、そっと問い返す。
「どうされました?」
ロシェはどう答えていいかわからず、とっさに目を逸らしてしまった。
優しい目をしたジェイドと向き合うと、母と食事をした時間を思い出す。普段大人しいロシェは母の前でだけはにぎやかな子どもで、はしゃぐように話すロシェを母は穏やかな目で見てくれていた。
今のロシェは政略結婚で嫁いだ身で、たとえ母が食堂に戻ってきたとしてももう母と暮らすことは叶わない。
その憂いを思ったロシェは、たぶん気落ちして見えたのだろう。ジェイドはやがてロシェに言葉をかける。
「二人になったら、お話ししたいことがあります。それを聞いたら、ロシェ様の憂いも少し晴れると思いますよ」
ロシェは首を傾げてジェイドを見上げた。うなずいたジェイドは、少し寂しそうに見えた。
食事の後、ロシェはメルに湯あみを勧められて体を清めた。食堂にいた頃は湯はぜいたく品で、惜しみなく使われた湯に緊張のし通しだった。
春先とはいえ夜は冷え込む。夜着の上にローブを羽織って、ロシェは居室に入ってようやく落ち着いた。侍女のメルだけはまだ隣室に控えていてくれるが、ロシェはここ数日のことを思って、気持ちを整理しようとしていた。
嫁いだ自覚はまだあまりないが、夫となったジェイドは優しく、屋敷の人たちもロシェを温かく迎えてくれた。
……ただ、自分はこれからどうしたらいいのだろう。その不安だけは、まだ消えない。
夜の帳が落ちた頃、ノックの音が響いた。
メルが扉を開けに行って、彼女はまもなく来訪者と共にロシェの居室に入ってきた。
「ロシェ様、ふたりだけで話したいことがあります。よろしいですか」
現れたジェイドは白い夜着にローブを羽織った姿で、ロシェは体を緊張させた。
メルは静かに退室していって、ロシェはジェイドと部屋にふたりきりになる。
二人の格好も、辺りに漂う静けさも、夕餉のときとは違う空気があった。ロシェはその雰囲気に気圧されながら、ジェイドの話を待つ。
ジェイドはロシェとテーブルを挟んで向き合って座ると、ロシェが思いもよらない言葉を切り出す。
「ロシェ様は、「白い結婚」をご存じですか?」
ロシェが顔を上げると、ジェイドは淡々と言葉を続ける。
「この国では、一年間床を共にしなかった夫婦は、結婚の無効を主張できるのです」
「結婚の無効……」
「今回の結婚は私が一方的に進めたものですが、ロシェ様が解放される方法があります。それが「白い結婚」の主張です」
ジェイドはふいに真摯な目でロシェをみつめて言う。
「約束をしませんか。ロシェ様が一年経っても私との結婚を受け入れがたいときは、「白い結婚」としましょう」
ロシェは息を呑んでジェイドを見返した。ロシェは驚きのまま、言葉を告げる。
「ジェイド様は、それでよろしいのですか?」
「……ロシェ様は私に、怯えていらっしゃるでしょう」
ジェイドはそこで、眉を寄せて寂しそうに言う。
「同じ屋敷の中で過ごしていたのも、ほんの数か月です。私の方からはその以前からロシェ様のことを知っていますが、ロシェ様はほとんど私のことを知らない。結婚式は挙げたものの、私たちが本当の夫婦になれるかはわからない。……だから」
ジェイドは席を立って、一歩ロシェに歩み寄った。
ロシェはジェイドに手を掴まれた。そのまま手を引かれて、寝台に導かれる。
「あ……」
ロシェは反射的に体を緊張させた。けれど恐れていたことは起こらなかった。
ジェイドはロシェと共に寝台に横になると、そっとロシェに言葉をかける。
「安心してください。隣で眠るだけです」
ジェイドはロシェを眠りに促すように、そっとロシェの髪を梳いた。
ロシェはその優しい仕草に目を細めて、少しだけ体の緊張を解く。
二人で横たわりながら、ジェイドは意を決したように言った。
「ロシェ様、眠る前に一つ」
ロシェがうなずくと、ジェイドはそっと告げた。
「私のことは、ジェイドと呼んでください」
ロシェは瞳をまばたかせて、少し口ごもりながら言った。
「……は、はい。では私のことも、ロシェとお呼びください。……ジェイド」
ジェイドはそれに、くすぐったそうに微笑んだ。
ロシェにはこれが政略結婚だとわかっていて、ジェイドのその優しさに愛はないのかもしれない。
けれどジェイドの隣で眠った初めてのその夜は、静かで穏やかな一夜だった。