裏切りの宰相と白いさらわれ妻~結婚してから始まったふたりの恋~

9 彼の嫉妬

 星見会の翌日、ロシェとジェイドの間にちょっとした出来事があった。
 二人が共にサロンへ出かけることは多くなったが、その日訪れたのは降嫁された王妹ディアナのサロンだった。
 ロシェは降嫁されたとはいえ王族のサロンに出入りするのは初めてで、いつも以上に心構えやマナーを事前に学んできた。けれどいくつも独特の決まりごとがあり、訪れる客人も身分高く気位も高かったので、委縮しそうになるのを必死で耐えていた。
 けれどジェイドはいつも通り堂々としていて、ロシェは彼にエスコートされてどうにか来客との受け答えをこなしていた。
 来客との話の合間に、ジェイドはふとロシェに耳打ちする。
「ロシェはずいぶんサロンに馴染んだと思います」
「そう……でしょうか。ジェイドが一緒でないと、とても一人で出歩けるとは思えないのに?」
 ロシェがそっと答えると、ジェイドは苦笑して言う。
「それを喜んでしまう私がいるのですが……失礼。ロシェ、今日一番の賓客がお見えです」
 ジェイドは言葉の途中で何かに気づいて、ロシェにそれを伝えた。
 サロンの主である王妹ディアナは三十歳で、ブロンドの長い髪に青い瞳、のんびりとした人柄をしている。けれど今の彼女は困った様子で、オルガンの前に座る少年に何か声をかけていた。
 ジェイドは少年に目を細めて、ロシェにそれが誰かを教える。
「あちらがカイル王子殿下です」
 オルガンを弾いている少年は、まぶしい金髪と青い瞳、勝気な表情をしていた。彼は今年十四でまだ成人していないが、非公式に叔母のサロンに来ているのだろう。
 既に管弦楽が奏でられて、ダンスの時間になっている。けれど王子はつんと顎を上げてオルガンを弾いていて、ダンスを始めようとしない。
 この場で一番身分の高い王子が踊らないと、周りは踊ることができない。ディアナはそわそわと王子を急かしているが、わがままと噂の王子は叔母の言うことを聞こうとしない。
 周りの客人たちも困り果てて、ジェイドとロシェも顔を見合わせたときだった。
 カイル王子はふとロシェを見て、ロシェはとっさにジェイドの袖を強く握ってしまった。
 カイル王子はくすっと笑うと、オルガンから離れてロシェの前に来る。
「なんだ、お前もダンスが苦手なのか。僕と同じだな」
 病弱なロシェは年よりも幼く見えて背も低く、カイル王子は同い年くらいに思ったのだろう。少し傲慢だが気安く声をかけるその様子が、兄のハリーを思い出させた。
 カイル王子はさすがは王子らしく、優雅に一礼してロシェに手を差し出す。
「え?」
「一曲だけ。そうしたら帰してやるから」
 カイル王子は答えを待たずにロシェの手を掠め取った。次の瞬間、ロシェは彼によって踊らされていた。
 彼はダンスが苦手だと言っていたが、少し癖が強いもののロシェから見たら十分に上手だった。ロシェはホール中の注目を浴びて赤くなりながら、ジェイドに恥をかかせてはいけないと懸命に音楽に乗る。
 幸い、王子が踊り出したことで周りもダンスを始めることができた。そんな中で、ロシェをじっとみつめるジェイドの視線が、思いのほか鋭かった。
 ジェイドの目は、父侯爵の屋敷に来た頃の彼のまなざしに戻ったようで、ロシェは王子と踊っていることよりジェイドのまなざしに動揺していた。
 王子はそんなロシェの動揺に構わず、踊りながら上機嫌に言う。
「慣れてないけど、筋は悪くなさそうだ。王宮に来て一緒に学ぶか?」
「い、いえ……とんでもないことです」
 ロシェは上擦った声でお断りして、一曲終わった途端に慌てて一礼した。
 逃げるように御前を去ろうとしたロシェに、王子は声をかける。
「お前、名前は……」
「ロシェ・ヴィッテル。私の妻です」
 ロシェの手をいつもより強い力で取ったのはジェイドで、ジェイドは王子に言葉を放った。その言葉も、彼らしくなく強張った調子だった。
 カイル王子はきょとんとして、意外そうに言う。
「宰相の? まだ子どもではないか」
「妻はあどけない面もありますが、社交界にも出ております。これ以上はご容赦を」
 ジェイドは王子相手に有無を言わせない様子で答えると、慇懃無礼にあいさつをして御前を去った。
 ロシェはジェイドに手を取られて歩きながら、先を歩く彼の顔を不安そうに見上げる。
 そんなロシェの視線に気づいたのか、ジェイドは苦笑して足を止めた。
「……大人げないことをしました。許してください」
「いいえ、私が子どもっぽいから誤解されたのでしょう……」
 ジェイドは首を横に振って、苦い口調で言う。
「王子は気に入らない者には、たとえ年が近くとも決して声をかけない御方ですよ。……あなたはもう十分に、魅力的なのでしょう」
 ジェイドはもう一度ロシェの手を取り直すと、今度はゆっくりと歩みを進めた。
 ロシェは、初めて彼が苛立つところを見た気がした。ロシェはうろたえてばかりだったが、そういう小さないさかいも夫婦には必要なのだろう。
 ……気が付けば自分は、彼と本当の夫婦になりたいと思っている。
 広間から離れても、管弦の音色はここまで聞こえてくる。天から降り注ぐように清らかな音楽は、きっと夜中響くのだろう。
 ロシェはジェイドの袖をまた握りしめて、この夜がもう少しだけ続いてくれることを祈っていた。 
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