戦略的恋煩い
「あっ、え……今なんて?」


 どもりながら慌てて拾って聞き返すと、彼は表情ひとつ変えずに、「俺の部屋に来ませんかと聞きました」そう言葉を発した。


「こんな悪天候で宿探すのも大変でしょうし」

「いいんですか?助かります!」


 四の五の言っていられない私は藁にもすがる思いで深く頭を下げた。こうして私は、見知らぬ隣人男性の部屋で雨風を凌ぐことが決定した。

 エレベーターに乗り、505号室の自分の部屋を通り過ぎ、隣人の506号室に足を踏み入れる。同じ間取りの1Kだけど角部屋で窓が私の部屋より多く、晴れていれば明るい印象の部屋だろう。

 わずか数十センチの壁を隔てた隣人同士。今朝まで壁の向こう側に自分がいるなんて思ってもなかった。

 隣人の部屋はインテリアが少なく整頓されていて、一人暮らしの男の部屋らしいという印象を受けた。インテリアを置きすぎてごちゃついている私の部屋より断然掃除がしやすそうだ。


「災難でしたね」

「すみません、ご迷惑おかけします」


 部屋の隅に突っ立っていると、洗面所に向かった彼が戻ってきて私にタオルを差し出してくれた。ありがたく平身低頭で受け取り、顔に押し当てる。くどくない柔軟剤のいい匂いがして落ち着いた。

 部屋を濡らしてはいけないと、水滴をまとった肌を拭いていく。一通り拭いて顔を上げると、じっと見られていることに気がついた。

 綺麗な顔の人間は大抵目に鋭さがあるから、無言で見つめられると困る。私なんてびしょ濡れでメイクもよれよれ、髪もボサボサなのに。


「助けていただきありがとうございます。今さらすぎる自己紹介なんですが、私は青山小夏と申します。よろしくお願いします」


 気まずさを感じた私は、自己紹介して会話を広げることにした。
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