戦略的恋煩い
 笑いかけると彼は無表情で「こなつ……」と呟く。低い声でぼそっと言葉にしただけでも、なにぶん顔がいいから心臓が高鳴った。


「俺は(つじ)律輝(りつき)です」

「ミツキ?」

「リツキ、律するに輝くで律輝」


 心臓が大暴れするものだから、自己紹介してくれたのに心音に邪魔されて聞き取れなかった。聞き返すとご丁寧に名前の漢字まで教えてくれた。

 お隣さんは辻律輝というお名前らしい。同棲していた元彼の部屋から逃げ出すようにこのマンションに越してきて約1年、ようやく隣のイケメンの名前を聞き出すことができた。

 鍵をなくした代わりに大きな収穫をした、なんて舞い上がってるけど、この人彼女居るんじゃなかったっけ。避難の名目の下、図々しく家に上がったけど、大丈夫なのだろうか。


「律輝、綺麗な響きのお名前ですね」

「どうも」


 私はまったく下心はないから、彼女さんには申し訳ないけど雨宿りだけさせてもらおう。

 それにしても律輝さんってリアクション薄いっていうか、クールだな。表情筋全然動いてなくて感情が分かりづらい。


「こなつって、小さい夏って書くんですか?」

「そうです」

「小夏さんはかわいい響きですね」


 ところが不意打ちで律輝さんの口角が上がった。“かわいい”という魔法の単語を添えて顕現した笑み。

 無表情時からは想像できないほど、あたたかい陽だまりのような笑みに、タオルをぎゅっと握りしめ後ずさりした。

 なんなのこの人。さっきからひっきりなしにときめいて呼吸が苦しい。
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