麗しい婚約者様。私を捨ててくださってありがとう!
4 妊娠したセリーナ
アリッサの心は一瞬で冷え込んだ。確かに、その晩餐会に彼女は急な体調不良で出席できなかったが、まさかサミーがセリーナと共に過ごしていたとは聞いていない。
「サミー卿は本当に気配りが素晴らしいのよね。彼のような完璧な男性が、あなたに釣り合っているかどうか、私には少し疑問だわ。もしかしたら、サミー卿もアリッサ様と婚約したことを後悔しているかもね」
セリーナは微笑みを崩さず、続けた。その瞬間、アリッサは胸に鋭い痛みを感じたが何も言えず、ただ微笑むしかなかった。サミーと合流したあともセリーナは一緒にいたのだが、サミーのいる前でのセリーナは極めてアリッサに友好的で終始朗らかな笑みを浮かべていた。サミーもセリーナに対して婚約者の友人という節度ある接し方をしているように見える。
だが、セリーナの言葉を聞いた後のアリッサには、些細なことが気になってくるのである。サミーがアリッサよりもセリーナに視線を向ける時間が長く感じられ、その瞳には愛おしさが宿っているようにも見える。サミーがセリーナと踊る際に、手を重ね合わせたり肩が触れあう瞬間に浮かべる笑顔が、自分と踊る時よりも輝いて見える。
アリッサは混乱し涙が滲みそうになったけれど、必死に我慢し耐えたのだった。
数日後、バーネット公爵家の邸宅で開かれた夜会に出席したアリッサは、サミーと共に豪華な広間を歩いていた。壁一面に飾られた絵画や金箔で装飾された天井は、まさに貴族の贅沢の象徴だった。だが、アリッサの心は重く、またセリーナと出会ってしまう不安でいっぱいだった。
案の定、セリーナは華やかなドレスを纏い、他の貴族たちと談笑している。その場面を目にしたアリッサは、彼女がこちらに来るのではないかと警戒していた。やがて、サミーが他の貴族たちと話し込み、少し離れた場所にいるグループと合流したところで、またしてもセリーナがアリッサの前に現れた。
セリーナがサミーのいないところで、アリッサに近づこうとしていることは明らかだった。
「アリッサ様、また、お会いしましたわね」
セリーナは意地悪な微笑みを浮かべ、アリッサのドレスを一瞥して続けた。
「そのドレス・・・・・・とても素敵ですわ。レースがたくさんあって、とても華やかですもの。でも、アリッサ様には可愛らしいドレスは似合いませんわね。そのようにロマンチックなドレスは、私のような金髪碧眼の女性向きだと思いますのよ。サミー卿もお可哀想に・・・・・・婚約者が贈りがいのない女性だと恥をかきますものね」
アリッサはその言葉に息を呑んだが、何とか平静を保とうとした。
「サミー様は似合うと言ってくださいました」
「ええ、サミー卿は本当にお優しい方ですものね。彼、私にも先日このように言ってくださいました。『セリーナ嬢、君は他の誰よりも一番美しい』って。アリッサ様がいなかったときのことですけどね」
セリーナはその言葉をまるで勝利のように誇示し、優雅に笑った。アリッサはその瞬間、胸が締め付けられるような思いを感じた。
(サミー様はそんなことを本当に言ったのかしら? )
アリッサはセリーナの挑発に対して反論することはせず、ただ微笑みを保っていた。その時、サミーが少し離れてしまった場所から、微笑みながらこちらに戻ってきた。
「セリーナ嬢、君は本当に今日も美しいね」
ちらりとセリーナに視線を送り、何気なく感想を漏らしたサミーの言葉に、アリッサは心に刺さる痛みを感じた。彼の無神経な発言に不安が増し、暗い表情を隠すことができない。そんなアリッサを、セリーナは満足そうに見つめ、唇の端を美しく引き上げて笑みを浮かべる。
夜会の帰り道、アリッサはとうとう我慢できず、サミーに問いかけた。
「サミー様、セルザム侯爵家の晩餐会でセリーナ様とご一緒だったと聞きましたが、それは本当ですか? セリーナ様と親しくなりすぎてはいませんか? あなたは私の婚約者ですのに」
サミーは驚いた様子で肩をすくめ、笑いながら答えた。
「え? まさか、結婚する前から嫉妬するのかい? セリーナ嬢とはたまたま席が近くなっただけで、楽しく話しながら食事をしただけさ。晩餐会ではセリーナ嬢以外の女性とも話したし、やましいことなんて何もないよ」
「でも、最近セリーナ様の私に対する態度が少し挑戦的すぎるように感じるのです。私の気のせいでしょうか?」
「挑戦的だって? アリッサ、君は変なことを言うね。セリーナ嬢はいつも君のことを褒めているし、君が彼女を嫌っているだけのように聞こえるよ。セリーナ嬢は明るくて優しい人だし、君のことを大事な友人だと思っているんだ。そんな友人の悪口を言うなんて、君の価値を下げることになるよ」
サミーは、巧妙にアリッサの罪悪感を呼び起こす術に長けていた。彼はまるで、アリッサ自身が間違っていると感じさせるように仕向けるのが得意だったのだ。
「……ごめんなさい。セリーナ様が嫌いなわけではありません。ただ、時々、私が傷つくようなことをわざと言ってくるように思えて……」
「そんなのは君の思い違いだよ、アリッサ。君は少し神経質になりすぎているんだ。セリーナ嬢は君の友人だから、私も親しく接しているだけなんだよ。余計な妄想はやめた方がいい。何か不安なことがあったら、私に直接聞いてくれればいいんだ。セリーナ嬢とは何もない。安心していいよ」
サミーはアリッサの背中を優しく労るように撫でて、気持ちを落ち着かせようとした。しかし、妄想と決めつけられたアリッサの気持ちは、悲しみとやるせなさでいっぱいだ。だが、サミーに恋をしているアリッサにとって、サミーの言葉は絶対だった。
(セリーナ様とサミー様はなんの関係もないのよ。すべては私が過剰に反応しているだけだわ。サミー様は正しいし本当のことを言っている)
アリッサにとって、愛するサミーが嘘をついていることなどあってはならないのだ。アリッサは自分の心が壊れないように自分に静かに言い聞かせる。
(サミー様のおっしゃることだけを信じればいい。きっと、私が神経質すぎるのよ。お母様やお父様のおっしゃることにも疑問を持ってはだめよ。そうすれば、きっとなにもかもうまくいくのだから・・・・・・)
しかし、その結果は……。
朗らかな陽気のある日、サミーがギャロウェイ伯爵家を訪れた。手には大きな花束を持ち、王都で流行っているお菓子を持参しての訪問だった。アリッサとは婚約者同士、いきなりの訪問はよくあることで、ギャロウェイ伯爵夫人は歓迎の笑みを浮かべてサミーに声をかける。
「ようこそ、いらっしゃいました、サミー卿。今日はとても良いお天気ですわね。柔らかな日差しで風も爽やかです。せっかくですから、アリッサと湖のほうまでピクニックにでも行ったらいかがですか? 今からコックに軽食を作らせますわ。まずはソファに座って、紅茶を飲んでいてくださいね。今、アリッサを呼びに行かせます」
ギャロウェイ伯爵家の人々が寛ぐ居間では、ギャロウェイ伯爵夫妻が優雅に紅茶を嗜み、アリッサの兄ニッキーは新聞を読んでいた。ゴドルフィン王国では印刷技術が発展しており、大商人や貴族が読むべきとされているロイヤル・タイムズと平民が読む街角新聞がある。
ロイヤル・タイムズには王家や貴族の動向・国政に関する報告・経済動向・市場の情報・貴族の文化・芸術情報・影響力のある貴族や有力者のインタビューなど、貴族が知っておかねばならない記事が掲載されていた。
「あぁ、素晴らしい案だな。サミー卿、どうぞ楽しんできてください。半年後には結婚が控えている恋人同士、今が一番楽しい時期でしょう」
ギャロウェイ伯爵はにこにこと上機嫌だった。
「母上や父上のおっしゃる通りですよ、サミー卿。結婚してすぐに子供でもできたら、二人だけで楽しむ時間はなかなかできなくなるでしょうからね」
ニッキーもサミーにピクニックを勧めた。しかし、この時のサミーはいつもと違った。
「実は、アリッサとピクニックどころではなくなってしまったのですよ。とても大事な話をしなければなりません。私は決してアリッサを裏切るつもりはありませんでした」
アリッサが侍女を伴って自室から居間に現れたところで、『アリッサを裏切る』という言葉が耳に入る。
「裏切る? いったい、なにをしたというのですか?」
アリッサは嫌な予感で胸が張り裂けそうだ。
「セリーナ嬢が妊娠したのさ・・・・・・あぁ、アリッサを裏切る気はなかったのだよ」
サミーは自慢の麗しい顔に涙を浮かべ、芝居かがった仕草で床に膝をついた。
「冗談ですよね? 本当のはずがないです。だって、サミー様はセリーナ様とはなんの関係もない、とおっしゃいました。私の妄想だと、そうおっしゃったではないですか?」
「これが冗談だったら、どんなに良かったか。もちろん、私が愛しているのはアリッサだけだし、セリーナ嬢を妻に迎える気はさらさらなかった。しかし、セリーナ嬢に子供ができたとあっては、それを無視するわけにもいかないのだよ。私は嵌められたんだ」
「えっ? 妊娠……」
アリッサは呆然とつぶやいたのだった。
「サミー卿は本当に気配りが素晴らしいのよね。彼のような完璧な男性が、あなたに釣り合っているかどうか、私には少し疑問だわ。もしかしたら、サミー卿もアリッサ様と婚約したことを後悔しているかもね」
セリーナは微笑みを崩さず、続けた。その瞬間、アリッサは胸に鋭い痛みを感じたが何も言えず、ただ微笑むしかなかった。サミーと合流したあともセリーナは一緒にいたのだが、サミーのいる前でのセリーナは極めてアリッサに友好的で終始朗らかな笑みを浮かべていた。サミーもセリーナに対して婚約者の友人という節度ある接し方をしているように見える。
だが、セリーナの言葉を聞いた後のアリッサには、些細なことが気になってくるのである。サミーがアリッサよりもセリーナに視線を向ける時間が長く感じられ、その瞳には愛おしさが宿っているようにも見える。サミーがセリーナと踊る際に、手を重ね合わせたり肩が触れあう瞬間に浮かべる笑顔が、自分と踊る時よりも輝いて見える。
アリッサは混乱し涙が滲みそうになったけれど、必死に我慢し耐えたのだった。
数日後、バーネット公爵家の邸宅で開かれた夜会に出席したアリッサは、サミーと共に豪華な広間を歩いていた。壁一面に飾られた絵画や金箔で装飾された天井は、まさに貴族の贅沢の象徴だった。だが、アリッサの心は重く、またセリーナと出会ってしまう不安でいっぱいだった。
案の定、セリーナは華やかなドレスを纏い、他の貴族たちと談笑している。その場面を目にしたアリッサは、彼女がこちらに来るのではないかと警戒していた。やがて、サミーが他の貴族たちと話し込み、少し離れた場所にいるグループと合流したところで、またしてもセリーナがアリッサの前に現れた。
セリーナがサミーのいないところで、アリッサに近づこうとしていることは明らかだった。
「アリッサ様、また、お会いしましたわね」
セリーナは意地悪な微笑みを浮かべ、アリッサのドレスを一瞥して続けた。
「そのドレス・・・・・・とても素敵ですわ。レースがたくさんあって、とても華やかですもの。でも、アリッサ様には可愛らしいドレスは似合いませんわね。そのようにロマンチックなドレスは、私のような金髪碧眼の女性向きだと思いますのよ。サミー卿もお可哀想に・・・・・・婚約者が贈りがいのない女性だと恥をかきますものね」
アリッサはその言葉に息を呑んだが、何とか平静を保とうとした。
「サミー様は似合うと言ってくださいました」
「ええ、サミー卿は本当にお優しい方ですものね。彼、私にも先日このように言ってくださいました。『セリーナ嬢、君は他の誰よりも一番美しい』って。アリッサ様がいなかったときのことですけどね」
セリーナはその言葉をまるで勝利のように誇示し、優雅に笑った。アリッサはその瞬間、胸が締め付けられるような思いを感じた。
(サミー様はそんなことを本当に言ったのかしら? )
アリッサはセリーナの挑発に対して反論することはせず、ただ微笑みを保っていた。その時、サミーが少し離れてしまった場所から、微笑みながらこちらに戻ってきた。
「セリーナ嬢、君は本当に今日も美しいね」
ちらりとセリーナに視線を送り、何気なく感想を漏らしたサミーの言葉に、アリッサは心に刺さる痛みを感じた。彼の無神経な発言に不安が増し、暗い表情を隠すことができない。そんなアリッサを、セリーナは満足そうに見つめ、唇の端を美しく引き上げて笑みを浮かべる。
夜会の帰り道、アリッサはとうとう我慢できず、サミーに問いかけた。
「サミー様、セルザム侯爵家の晩餐会でセリーナ様とご一緒だったと聞きましたが、それは本当ですか? セリーナ様と親しくなりすぎてはいませんか? あなたは私の婚約者ですのに」
サミーは驚いた様子で肩をすくめ、笑いながら答えた。
「え? まさか、結婚する前から嫉妬するのかい? セリーナ嬢とはたまたま席が近くなっただけで、楽しく話しながら食事をしただけさ。晩餐会ではセリーナ嬢以外の女性とも話したし、やましいことなんて何もないよ」
「でも、最近セリーナ様の私に対する態度が少し挑戦的すぎるように感じるのです。私の気のせいでしょうか?」
「挑戦的だって? アリッサ、君は変なことを言うね。セリーナ嬢はいつも君のことを褒めているし、君が彼女を嫌っているだけのように聞こえるよ。セリーナ嬢は明るくて優しい人だし、君のことを大事な友人だと思っているんだ。そんな友人の悪口を言うなんて、君の価値を下げることになるよ」
サミーは、巧妙にアリッサの罪悪感を呼び起こす術に長けていた。彼はまるで、アリッサ自身が間違っていると感じさせるように仕向けるのが得意だったのだ。
「……ごめんなさい。セリーナ様が嫌いなわけではありません。ただ、時々、私が傷つくようなことをわざと言ってくるように思えて……」
「そんなのは君の思い違いだよ、アリッサ。君は少し神経質になりすぎているんだ。セリーナ嬢は君の友人だから、私も親しく接しているだけなんだよ。余計な妄想はやめた方がいい。何か不安なことがあったら、私に直接聞いてくれればいいんだ。セリーナ嬢とは何もない。安心していいよ」
サミーはアリッサの背中を優しく労るように撫でて、気持ちを落ち着かせようとした。しかし、妄想と決めつけられたアリッサの気持ちは、悲しみとやるせなさでいっぱいだ。だが、サミーに恋をしているアリッサにとって、サミーの言葉は絶対だった。
(セリーナ様とサミー様はなんの関係もないのよ。すべては私が過剰に反応しているだけだわ。サミー様は正しいし本当のことを言っている)
アリッサにとって、愛するサミーが嘘をついていることなどあってはならないのだ。アリッサは自分の心が壊れないように自分に静かに言い聞かせる。
(サミー様のおっしゃることだけを信じればいい。きっと、私が神経質すぎるのよ。お母様やお父様のおっしゃることにも疑問を持ってはだめよ。そうすれば、きっとなにもかもうまくいくのだから・・・・・・)
しかし、その結果は……。
朗らかな陽気のある日、サミーがギャロウェイ伯爵家を訪れた。手には大きな花束を持ち、王都で流行っているお菓子を持参しての訪問だった。アリッサとは婚約者同士、いきなりの訪問はよくあることで、ギャロウェイ伯爵夫人は歓迎の笑みを浮かべてサミーに声をかける。
「ようこそ、いらっしゃいました、サミー卿。今日はとても良いお天気ですわね。柔らかな日差しで風も爽やかです。せっかくですから、アリッサと湖のほうまでピクニックにでも行ったらいかがですか? 今からコックに軽食を作らせますわ。まずはソファに座って、紅茶を飲んでいてくださいね。今、アリッサを呼びに行かせます」
ギャロウェイ伯爵家の人々が寛ぐ居間では、ギャロウェイ伯爵夫妻が優雅に紅茶を嗜み、アリッサの兄ニッキーは新聞を読んでいた。ゴドルフィン王国では印刷技術が発展しており、大商人や貴族が読むべきとされているロイヤル・タイムズと平民が読む街角新聞がある。
ロイヤル・タイムズには王家や貴族の動向・国政に関する報告・経済動向・市場の情報・貴族の文化・芸術情報・影響力のある貴族や有力者のインタビューなど、貴族が知っておかねばならない記事が掲載されていた。
「あぁ、素晴らしい案だな。サミー卿、どうぞ楽しんできてください。半年後には結婚が控えている恋人同士、今が一番楽しい時期でしょう」
ギャロウェイ伯爵はにこにこと上機嫌だった。
「母上や父上のおっしゃる通りですよ、サミー卿。結婚してすぐに子供でもできたら、二人だけで楽しむ時間はなかなかできなくなるでしょうからね」
ニッキーもサミーにピクニックを勧めた。しかし、この時のサミーはいつもと違った。
「実は、アリッサとピクニックどころではなくなってしまったのですよ。とても大事な話をしなければなりません。私は決してアリッサを裏切るつもりはありませんでした」
アリッサが侍女を伴って自室から居間に現れたところで、『アリッサを裏切る』という言葉が耳に入る。
「裏切る? いったい、なにをしたというのですか?」
アリッサは嫌な予感で胸が張り裂けそうだ。
「セリーナ嬢が妊娠したのさ・・・・・・あぁ、アリッサを裏切る気はなかったのだよ」
サミーは自慢の麗しい顔に涙を浮かべ、芝居かがった仕草で床に膝をついた。
「冗談ですよね? 本当のはずがないです。だって、サミー様はセリーナ様とはなんの関係もない、とおっしゃいました。私の妄想だと、そうおっしゃったではないですか?」
「これが冗談だったら、どんなに良かったか。もちろん、私が愛しているのはアリッサだけだし、セリーナ嬢を妻に迎える気はさらさらなかった。しかし、セリーナ嬢に子供ができたとあっては、それを無視するわけにもいかないのだよ。私は嵌められたんだ」
「えっ? 妊娠……」
アリッサは呆然とつぶやいたのだった。
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