一生分の愛情をもらいました。
ふらりと入った少し薄暗くて落ち着いた雰囲気のバーの扉を開けると、柔らかなジャズが流れ、カウンター席にはぽつぽつと客が座っていた。
「お好きな席へどうぞ。」
バーテンダーの穏やかな声に促され、華は一番端の席に腰を下ろした。
バッグを足元に置き、カウンターに両肘をついて、ぼんやりと目の前のメニューを眺める。
頭の中は、さっきまでの光景が渦巻いていて、カクテルの名前を読む気力もなかった。
「何にされますか?」
バーテンダーに聞かれ、とっさに目に入ったものを指差した。ほどなくして、小さなグラスに注がれた琥珀色のカクテルが目の前に置かれる。
無言のままグラスを手に取り、一口飲むと、ほんのりとした甘さとアルコールの苦味が喉を通り抜けた。心が少しだけ軽くなった気がした。
ふいに、隣の席に人が座る気配を感じた。ちらりと目線を向けると、スーツを着た短髪の男性がカウンターに向かって身を寄せ、バーテンダーに何かを注文していた。
しばらくして、彼が声をかけてきた。
「こんな夜に、一人で飲むのは珍しいですね。」
その声は低く、穏やかで、どこか安心感を与える響きがあった。
「……そうですか?」
華はグラスを持ったまま、答える気力がないようにそっけなく返した。
「まあ、ここは賑やかなお店じゃないですから。どちらかと言えば、一人で静かに飲む人が多い。
けど、あなたみたいにどこか悲しそうな人は珍しいかな。」
その言葉に、華の心は少し揺れた。悲しそう、と言われたことが図星すぎて、思わず眉をひそめる。
「別に…悲しいわけじゃないです。ただ、飲みたくなっただけ。」
自分でもわかるほどぎこちない口調だった。
「それは失礼しました。」
男性は微笑み、軽く頭を下げた。その礼儀正しい仕草に、華は少しだけ警戒心を緩めた。
二人の間にはしばらく沈黙が流れた。華が再びグラスを傾けると、男性がぽつりと話しかけてきた。
「何か、あったんですか?」
その言葉に、華は一瞬驚き、次に腹立たしさを覚えた。
会ったばかりの人にそんなことを聞かれる筋合いはない。しかし、その問いかけに悪意がないことは、彼の表情から読み取れた。
「そんなにわかりやすいですか?」
華は自嘲気味に笑いながら答えた。
「少しだけね。でも、無理に話さなくても大丈夫。僕もただの客だから、適当に聞き流してくれていい。」
彼の言葉に、華は肩の力を抜くように小さく息をついた。
「別に隠すことじゃないし、話してもいいです。」
そう言って、華はぽつぽつと話し始めた。家に帰ると彼氏が浮気していたこと、その光景が今でも頭から離れないこと、そして家を飛び出してここに来たこと。
話しながら、気づけば涙がこぼれていた。隣の男性は一言も遮らずに聞いていたが、華が話し終えると、静かにグラスを持ち上げた。
「それは辛かったですね。お疲れ様でした。」
その言葉は、どんな同情や慰めよりも胸に響いた。
「…ありがとう。」
華は小さな声でそう答えた。
その後、二人はカクテルを飲みながら、少しだけ会話を交わした。彼は自分のことを多くは語らず、ただ仕事の合間に息抜きでこの店に来たと言っただけだった。
華がグラスの残りを飲み干したのを見て、隼人は初めて名前を尋ねた。
「そういえば、名前を伺っても?」
「神崎華です。」
彼女がそう名乗ると、隼人は軽く会釈して答えた。
「僕は南野隼人です。またどこかで」
こうして、二人は名前だけの短い自己紹介を交わした。
バーを出る頃には、華の胸の中には、ほんの少しの温かさが残っていた。それは、さっきまで感じていた孤独とはまったく違うものだった。
この夜の出会いが、彼女の人生を変えるとは、このときはまだ知らなかった。
「お好きな席へどうぞ。」
バーテンダーの穏やかな声に促され、華は一番端の席に腰を下ろした。
バッグを足元に置き、カウンターに両肘をついて、ぼんやりと目の前のメニューを眺める。
頭の中は、さっきまでの光景が渦巻いていて、カクテルの名前を読む気力もなかった。
「何にされますか?」
バーテンダーに聞かれ、とっさに目に入ったものを指差した。ほどなくして、小さなグラスに注がれた琥珀色のカクテルが目の前に置かれる。
無言のままグラスを手に取り、一口飲むと、ほんのりとした甘さとアルコールの苦味が喉を通り抜けた。心が少しだけ軽くなった気がした。
ふいに、隣の席に人が座る気配を感じた。ちらりと目線を向けると、スーツを着た短髪の男性がカウンターに向かって身を寄せ、バーテンダーに何かを注文していた。
しばらくして、彼が声をかけてきた。
「こんな夜に、一人で飲むのは珍しいですね。」
その声は低く、穏やかで、どこか安心感を与える響きがあった。
「……そうですか?」
華はグラスを持ったまま、答える気力がないようにそっけなく返した。
「まあ、ここは賑やかなお店じゃないですから。どちらかと言えば、一人で静かに飲む人が多い。
けど、あなたみたいにどこか悲しそうな人は珍しいかな。」
その言葉に、華の心は少し揺れた。悲しそう、と言われたことが図星すぎて、思わず眉をひそめる。
「別に…悲しいわけじゃないです。ただ、飲みたくなっただけ。」
自分でもわかるほどぎこちない口調だった。
「それは失礼しました。」
男性は微笑み、軽く頭を下げた。その礼儀正しい仕草に、華は少しだけ警戒心を緩めた。
二人の間にはしばらく沈黙が流れた。華が再びグラスを傾けると、男性がぽつりと話しかけてきた。
「何か、あったんですか?」
その言葉に、華は一瞬驚き、次に腹立たしさを覚えた。
会ったばかりの人にそんなことを聞かれる筋合いはない。しかし、その問いかけに悪意がないことは、彼の表情から読み取れた。
「そんなにわかりやすいですか?」
華は自嘲気味に笑いながら答えた。
「少しだけね。でも、無理に話さなくても大丈夫。僕もただの客だから、適当に聞き流してくれていい。」
彼の言葉に、華は肩の力を抜くように小さく息をついた。
「別に隠すことじゃないし、話してもいいです。」
そう言って、華はぽつぽつと話し始めた。家に帰ると彼氏が浮気していたこと、その光景が今でも頭から離れないこと、そして家を飛び出してここに来たこと。
話しながら、気づけば涙がこぼれていた。隣の男性は一言も遮らずに聞いていたが、華が話し終えると、静かにグラスを持ち上げた。
「それは辛かったですね。お疲れ様でした。」
その言葉は、どんな同情や慰めよりも胸に響いた。
「…ありがとう。」
華は小さな声でそう答えた。
その後、二人はカクテルを飲みながら、少しだけ会話を交わした。彼は自分のことを多くは語らず、ただ仕事の合間に息抜きでこの店に来たと言っただけだった。
華がグラスの残りを飲み干したのを見て、隼人は初めて名前を尋ねた。
「そういえば、名前を伺っても?」
「神崎華です。」
彼女がそう名乗ると、隼人は軽く会釈して答えた。
「僕は南野隼人です。またどこかで」
こうして、二人は名前だけの短い自己紹介を交わした。
バーを出る頃には、華の胸の中には、ほんの少しの温かさが残っていた。それは、さっきまで感じていた孤独とはまったく違うものだった。
この夜の出会いが、彼女の人生を変えるとは、このときはまだ知らなかった。