一生分の愛情をもらいました。
隼人SIDE
隼人は、その夜も仕事を終えたあと、ふらりといつものバーに立ち寄った。
静かで穏やかなこの店は、彼にとって貴重な安らぎの場だった。救命救急の現場は常に命を巡る緊張感に満ちていて、仕事が終わっても身体から張り詰めた空気がなかなか抜けない。だからこそ、このバーの温かい照明と柔らかなジャズが、隼人にとっては心を落ち着ける場所だった。
扉を開けると、カウンターの端の席に一人の女性が座っているのが目に入った。肩に力が入った様子で、小さなグラスを握りしめている。顔を伏せているため表情はよく見えなかったが、その仕草からはどこか疲れた様子が感じられた。
隼人は彼女の二つ隣の席に座り、いつものカクテルを注文した。特に誰かと話をするつもりはなく、ただ自分の時間を楽しむつもりだった。しかし、ちらりと彼女に目を向けると、そこに漂う空気があまりにも沈んでいて、何か声をかけずにはいられなかった。
「こんな夜に、一人で飲むのは珍しいですね。」
その言葉に、女性は少し肩をすくめるように動き、伏せていた顔をほんの少しだけ上げた。
「そうですか?」
彼女の返事は短く、感情を抑え込むようなトーンだった。その声に、隼人は彼女が今心の中に何か重いものを抱えていることを確信した。医師として多くの人々と接してきた経験から、隼人は彼女のような人の表情や仕草には敏感だった。
「まあ、ここは静かに飲みたい人が来る場所ですから。でも、あなたみたいにどこか悲しそうな人は珍しいかな。」
少し踏み込みすぎたかもしれないと思いつつも、そう言葉を続けた。案の定、彼女は眉をひそめ、視線をカクテルに戻した。
「別に…悲しいわけじゃないです。ただ、飲みたくなっただけ。」
その言葉の裏にある感情を、隼人は探るように彼女の顔を見つめた。だが、彼女が無理に気丈に振る舞おうとしていることに気づき、それ以上は追及しないことにした。
「それは失礼しました。」
そう言って軽く頭を下げ、彼女を一人にしておこうと黙った。
数分後、彼女がふいに口を開いた。
「…なんでわかるんですか?」
隼人は驚いたように彼女を見たが、その瞳には少しだけ力が戻っているように感じた。
「わかる、というか…表情とか仕草とかで、なんとなく伝わってくるんです。僕の仕事柄、そういうのにはちょっと敏感なんですよ。」
仕事の内容は伏せつつも、率直に答えた。彼女は少し考えるような仕草をしながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
浮気現場を目撃したこと、その光景が頭から離れないこと、そして家を飛び出し、ここに来たこと。
彼女の話を聞きながら、隼人は決して遮らず、ただ頷きながら耳を傾けた。
話し終えた彼女は、息を吐き出すように小さく笑った。
「初めて会った人に、こんなこと話すなんて変ですよね。」
「そうですか?時には、知らない人の方が話しやすいこともあるんじゃないですか。」
隼人の言葉に、彼女は目を丸くした後、少しだけ微笑んだ。その笑顔は、彼がこの店に入ったときにはなかったものだった。
「ありがとうございました。…少し楽になった気がします。」
その言葉に、隼人もまた微笑みで返した。
「そうならよかった。少しでも落ち着いたなら、それで十分です。」
彼女がグラスの残りを飲み干したのを見て、隼人は初めて名前を尋ねた。
「そういえば、名前を伺っても?」
「神崎華です。」
彼女がそう名乗ると、隼人は軽く会釈して答えた。
「僕は南野隼人です。またどこかで」
そう言ってバーを出た。
隼人は、その夜も仕事を終えたあと、ふらりといつものバーに立ち寄った。
静かで穏やかなこの店は、彼にとって貴重な安らぎの場だった。救命救急の現場は常に命を巡る緊張感に満ちていて、仕事が終わっても身体から張り詰めた空気がなかなか抜けない。だからこそ、このバーの温かい照明と柔らかなジャズが、隼人にとっては心を落ち着ける場所だった。
扉を開けると、カウンターの端の席に一人の女性が座っているのが目に入った。肩に力が入った様子で、小さなグラスを握りしめている。顔を伏せているため表情はよく見えなかったが、その仕草からはどこか疲れた様子が感じられた。
隼人は彼女の二つ隣の席に座り、いつものカクテルを注文した。特に誰かと話をするつもりはなく、ただ自分の時間を楽しむつもりだった。しかし、ちらりと彼女に目を向けると、そこに漂う空気があまりにも沈んでいて、何か声をかけずにはいられなかった。
「こんな夜に、一人で飲むのは珍しいですね。」
その言葉に、女性は少し肩をすくめるように動き、伏せていた顔をほんの少しだけ上げた。
「そうですか?」
彼女の返事は短く、感情を抑え込むようなトーンだった。その声に、隼人は彼女が今心の中に何か重いものを抱えていることを確信した。医師として多くの人々と接してきた経験から、隼人は彼女のような人の表情や仕草には敏感だった。
「まあ、ここは静かに飲みたい人が来る場所ですから。でも、あなたみたいにどこか悲しそうな人は珍しいかな。」
少し踏み込みすぎたかもしれないと思いつつも、そう言葉を続けた。案の定、彼女は眉をひそめ、視線をカクテルに戻した。
「別に…悲しいわけじゃないです。ただ、飲みたくなっただけ。」
その言葉の裏にある感情を、隼人は探るように彼女の顔を見つめた。だが、彼女が無理に気丈に振る舞おうとしていることに気づき、それ以上は追及しないことにした。
「それは失礼しました。」
そう言って軽く頭を下げ、彼女を一人にしておこうと黙った。
数分後、彼女がふいに口を開いた。
「…なんでわかるんですか?」
隼人は驚いたように彼女を見たが、その瞳には少しだけ力が戻っているように感じた。
「わかる、というか…表情とか仕草とかで、なんとなく伝わってくるんです。僕の仕事柄、そういうのにはちょっと敏感なんですよ。」
仕事の内容は伏せつつも、率直に答えた。彼女は少し考えるような仕草をしながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
浮気現場を目撃したこと、その光景が頭から離れないこと、そして家を飛び出し、ここに来たこと。
彼女の話を聞きながら、隼人は決して遮らず、ただ頷きながら耳を傾けた。
話し終えた彼女は、息を吐き出すように小さく笑った。
「初めて会った人に、こんなこと話すなんて変ですよね。」
「そうですか?時には、知らない人の方が話しやすいこともあるんじゃないですか。」
隼人の言葉に、彼女は目を丸くした後、少しだけ微笑んだ。その笑顔は、彼がこの店に入ったときにはなかったものだった。
「ありがとうございました。…少し楽になった気がします。」
その言葉に、隼人もまた微笑みで返した。
「そうならよかった。少しでも落ち着いたなら、それで十分です。」
彼女がグラスの残りを飲み干したのを見て、隼人は初めて名前を尋ねた。
「そういえば、名前を伺っても?」
「神崎華です。」
彼女がそう名乗ると、隼人は軽く会釈して答えた。
「僕は南野隼人です。またどこかで」
そう言ってバーを出た。