怪物公女の母でしたが、子煩悩な竜人皇子様と契約再婚致します ~私は愛する娘に殺される運命でした
18 不穏な影
ピレーネ公国では、大公アレクシスが離婚式を神殿で行う事になり反対をする長老会の面々と臣下の貴族達の間で意見が割れていた。
「わしは反対ですぞ! 大公家の離婚問題が王都の貴族共に知れてしまう!」
「大体、初めから間違っとった! あの様に若すぎる令嬢を! 侯爵家の令嬢だからと急ぎ過ぎましたな」
「神殿でわざわざ、誓い等立てずとも紙一枚提出すれば終わりじゃろ」
――うるさい
「しかし、マリアンヌ様は不貞の子を産んだとも噂されております。あとから大公の子だなどと主張されない為にも!」
「後継者問題に発展しかねません」
「大公が再婚された後に遺恨を残さない為にも、大公家はあの赤子を実子と認めない誓約を神の前で誓うべきでしょう」
――うるさい…うるさい…うるさい!
長老会と臣下の意見の対立は何時間にも及んだ。
――バキッ!
会議の間の机を叩き割る音が聞こえる。
びくり、と一同が顔を上げると怒りに満ちたアレクシスが拳から血を流していた。
「私はやると言った。これ以上戯言を言うならこの公国から出ていってもらおうか……」
決まり悪そうな顔をした長老会と臣下の者達は慌てて会議を終了してそそくさと出て行った。
独りになったアレクシスは、ハンカチで血の付いた手を拭うとその足で地下牢に向かった。
「この前呼び寄せたカレンには逃げられてしまったからな…。遠くの人間の顔も場所も突き止められないだなんて…。まったく役立たずの女だ。気晴らしにカレンの役立たずの親に挨拶してやらないとな」
***
大公家の地下牢は囚人を閉じ込める目的もあるのだが、別の目的があった。
それは異能者の能力を引き上げる為の実験室だ。
ピレーネ公国は元々、大公家の血が一番濃いとされていて昔は血縁者同志の婚姻を推奨してきた。
(そして、その失敗作が私だ)
表向きは従妹同士の婚姻という事にはなっていたが、父である先代大公、先々代大公は母親の違う異母姉妹と婚姻している。
家系図を辿れば、更に恐ろしい血の混じり合いが明るみとなるだろう。
(――獣と変わらない。しかも、その様なおぞましい血を受け継いでいながら私に異能は現われなかった)
アレクシスは幼い頃に母を亡くしている。
心の病が酷くなり、いつもベッドで寝てばかりいた母の姿を思い出す。
その頃は何故、自分の母が出産と同時に気が変になったのか分からなかった。
母親のぬくもりが欲しくて、母の寝室を訪れた事があるのだが、母は幼いアレクシスの姿を見るなり泣き叫び、憎しみの籠った瞳で睨みつけていた。
「汚らわしい! 近づかないで! お前を産んだだけでもおぞましいのに…異能が無いだなんて! 私は何の為に……。返して…私の人生を奪ったのはお前だ!」
髪を振り乱し、身体中を痛めつける母は狂人だった。
しかし、母を狂人にしてしまった父は狂人を生み出した怪物だ。
アレクシスが5歳の冬に気が触れたまま母は死んだ。
その葬儀で見た父は安堵した顔で冷酷に笑っていた。
その後、再婚の打診があったらしいが、父は二度と誰とも再婚はしなかった。
母の死後、益々アレクシスはいない者の様に父から扱われた。
――呪われたピレーネ一族の血。
そして異能を持たない後継者。
だからこそ、アレクシスは縁談の話を持って来る長老会には警戒していた。
(父上がもしかしたら、何処か知らない所で女を作っていたかもしれないのだ)
ゾッとした。
もしも父が自分と同じ運命をアレクシスにも背負わせる積もりだったら、再婚はせずに愛人を作り、子を産ませている可能性がある。
そうなれば、対外的には赤の他人だ。
何処かに父の産ませた女の子供が居るかもしれない恐怖は何年もアレクシスを苦しめた。
――そんな時に出会ったのがマリアンヌだ。
***
菫色の瞳、この帝国でも珍しい青みがかった銀髪の美しい令嬢。
アレクシスはたちまち彼女に夢中になった。
異能が無い為に失望された私。
汚らわしい血だと憎まれた私。
まるでいない者の様に扱われた私。
愛された事の無い私。
――こんな私をまるで救いの神の様な眼差しで見つめたマリアンヌ!
なんて可愛い女なんだ!
アレクシスはマリアンヌを甘やかし、まるで女神の様に扱った。
――それなのに! 彼女は子が出来た途端何故あのような態度に?
アレクシスはマリアンヌが懐妊したという知らせを聞いた時は嬉しかった。
しかし愛しいマリアンヌをいつもの様に抱いたこの日、初めて彼女がアレクシスを拒んだのだ。
「アレクシス、まだ赤ちゃんが出来たばかりなの。これから暫く安定するまでは、別々に寝たいわ」
――この言葉にアレクシスの中の愛しいマリアンヌが…愛らしいマリアンヌが消えた。
(激高した私は気付くとマリアンヌの首を絞めていた)
ところが……。
恐怖で怯え、涙を流すマリアンヌがあまりにも美しくアレクシスは興奮した。
マリアンヌが絶望的な顔をすると、ゾクゾクしたのだ。
(私の可愛いマリアンヌ。彼女は私が優しくしてくれるのを涙を溜めて待っているのだ)
***
地下牢の秘密の部屋の鍵を開ける。
カレンの両親は、2人とも異能の持ち主だ。
――全く、なんて忌々しい連中なのだろう。
私が欲しくても手に入らなかった異能を持ちながら、その力を出し惜しみするとは!
「大公様…。ど、どうかお許し下さい。妻はもうこれ以上は異能の力は…」
実験室のカレンの両親は虚ろな目をしていた。
「――この程度で音を上げるとは…。呆れたものだな。お前達はこの私を馬鹿にしているのか……?」
カレンの父親がビクリと身体を震わせた。
「め、滅相もございません! ただ…我々は元々異能の力が弱くて…あうっ……」
カレンの父親の腹を蹴り上げる。
「貴様……っこの私に異能が無い事を分かっていてそんな事を?」
「そっ、そんな事は……」
「いいか! 貴様の異能は千里眼だった筈だ。なのに何故ピレーネ公国の中だけしか視えないのだ。それは努力が足りないからだろう。努力しても出来ないのならば実験に協力して貰おう」
「お…おやめ下さい…私達はもう…」
カレンの母親が涙を流す。
(同じ女の涙でも…私のマリアンヌと違ってなんと汚らしい……)
「おい…お前は物を自分のいる場所に引き寄せる異能があるんだよな?」
びくり、とカレンの母親が顔を強張らせる。
「で、ですから…その異能は部屋の中の物を動かせる程度でして…」
(こいつの異能がまともだったら、今頃マリアンヌはこの部屋に移動させられていたのに)
アレクシスは、実験用の薬を取り出した。
この薬は沢山の異能者達の生き血を濃縮したものだが、これまでこの薬を飲んで異能が増幅した者はいなかった。
「一度に飲む量が少な過ぎたかもしれないな。この瓶の中身を全部飲んだら少しはまともな異能者になれるかもしれないぞ?」
カレンの父親がギョッとしている。
「お、おやめ下さい! 妻が死んでしまいます! ただでさえ異能者の血を飲まされて身体が……」
――あまり効果が発揮出来ないこの薬の原因は、薬と身体の体質が合わない場合は副作用で内臓が傷つくのだ。これまでこの薬を飲んでも異常が無かった者はいない。
「うるさい! お前達が娘のカレンに、もっときつく私の言う事を聞く様にしつけなかった事が原因ではないか!」
カレンの母親の髪を引っ張ると、ガラス瓶に入った薬を飲ませる為に無理矢理口をこじ開ける。
「ううっ……!」
――その時だった。
実験室の中に眩しい光と共に突然魔法陣が現れ、美しい琥珀色の髪色の青年が姿を見せた。
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「だっ、誰だ!」
秘密の実験室に現れた無礼な青年を睨みつける。
「――へぇ…大公ともあろう者がこんな悪趣味な実験をねぇ…」
――琥珀色の髪色…そしてアイスブルーの瞳……!
「ま、まさか…フィリップ皇子殿下……!」
慌てて跪くアレクシスに、冷めた瞳のフィリップが質問をする。
「あのさぁ……私もあまり暇ではないから質問には迅速に答えてよね? 今、お前が虐めているのはもしかしてカレンの両親なの?」
「は、はい…いえ、その…虐めていたわけでは…。こ、これはしつけの一環でして」
ダラダラと冷や汗を流すアレクシスは心の中で毒づいた。
(くそっ、カレンの奴…よりにもよって皇子に告げ口など…身の程知らずめ!)
――意外にもフィリップ皇子は怒らなかった。
ただ冷たい瞳でじっとアレクシスを観察している。
「あぁ…大公の事情はカレンから聞いたよ? 可哀想だねぇ。奥さんが不貞の子を産んで家出だっけ?」
アレクシスの頬が熱くなり、口の軽いカレンにはらわたが煮えくり返った。
「う~ん…このままカレンの両親だけ貰うのも気が引けるから…私と取引しない?」
――フィリップ皇子はニヤリと冷淡に笑うと、アレクシスにある提案を持ち掛けた。