クールな身代わり王女は、騎士の熱愛に気づけない

プロローグ

 その日、カーラウト領地は業火に包まれた。
 荒れ狂う炎が夜の闇を裂き、冷たい風が灰を巻き上げる。
 魔法協会の兵士たちが容赦なく迫り、その中心には、禍々しい光を放つ杖を掲げた魔導士が立っていた。彼の号令と共に、カーラウト伯爵家の領地に向けて攻撃が始まった。
 
 カーラウト伯爵とその夫人は、最後の力を振り絞って家臣と共に抵抗した。しかし、敵の数は圧倒的だった。魔導士が口元を歪ませて呪文を唱えるたびに、彼らの周囲の空間が歪み、火や氷の魔法が無慈悲に降り注ぐ。

「伯爵様! このままでは……!」

 側近が叫ぶが、伯爵は一歩も引かなかった。だが、魔法による無差別の攻撃が迫り来るなか、遂に力尽き、倒れてしまった。夫人もまた、愛する夫の最期を見届けるようにその場に跪き、血に染まる地面に崩れ落ちる。

「なぜだ……。魔法、協会め……。ノキ……ア……」

 カーラウト伯爵は、娘の名を呼びながら、息絶えた。
 
 その頃、領地内の訓練場では、ミタの剣士たちが応戦していた。
 その中には、カーラウト伯爵家の長女ノキアと騎士デュランの姿もあった。

「デュラン、これは一体!?」
「魔法協会が攻めてきたのです!」

 ノキアはカーラウトの屋敷の方へ目を向けると、すでに炎で真っ赤に染まっていた。
 両親は無事だろうか、もしかしたらすでに……。そんな考えがよぎった。
 剣士たちも剣を抜き、魔法協会の兵士たちに立ち向かう。しかし、彼らも次々と倒され、絶望的な状況に陥っていた。
 その中にいた一人の剣士が、魔法教会の攻撃に抵抗しながら血に染まった顔をデュランに向け、決死の表情で言った。

「デュラン! ノキアお嬢様を頼む! 彼女だけは、ここから……!」

 デュランはその言葉に頷き、震えるノキアの腕を掴んだ。

「お嬢様、急ぎましょう。ここはもう……」
「ダメだ! 私も戦う……!」
「お嬢様!」

 デュランの鋭い声が、ノキアの混乱を断ち切る。

「今は逃げるしかありません! ご両親は、お嬢様が生き延びることを望んでいるはずです!」

 ノキアの顔が悲しみで歪む。その目に決意を宿し一度だけ振り返り、炎に包まれた屋敷を見つめた後、デュランに引かれるまま領地を後にした。
 二人は夜明け前の暗闇の中を駆ける。背後で聞こえる断末魔の叫びと炎の爆ぜる音が、遠くなるにつれて静寂に飲み込まれていく。ノキアの心には故郷の最期の光景が鮮明に焼き付いていた。

 カーラウト伯爵家の領地を後にし、命からがら逃げ延びた二人。そうして始まった逃亡の旅路の果てには、リザンブルグという未知の国が待っていた。

 ノキア・ミタ・カーラウト、十七歳の春のことだった。
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