人生 ラン♪ラン♪ラン♪ ~妻と奏でるラヴソング~ 【新編集版】
 翌朝、妻はいつものように起きてこなかった。
 たまらなくなって朝ご飯を催促すると、「冷蔵庫におかずを作り置きしてあるからチンして」と布団を頭まで被って横を向いた。
 
 弁当は今日もなかった。
 妻が弁当を作ってくれたのはいつの頃だったか思い出すことはできなかった。
 仕方なくレンジでチンしたおかずを食べたあと、コーヒーを飲んで、トイレに向かった。
 いつもの習慣、個室で新聞を読むためだ。
 しかし、便座に座った瞬間、ドアを激しく叩かれた。
「早く出て」という長女からの催促だった。
 まだ用を足していなかったが、しぶしぶ出ると、長女が睨んでいた。
 それだけでなく、妻の口癖を真似て「トイレで新聞読まないでって言ってるでしょ!」と一瞥された。
 それが余りにも似ていたので呆然としていると、すぐに次女がやって来て叫んだ。
「お姉ちゃん早く!」
「そんなこと言ったって……」
 ドアの向こうからくぐもった声が聞こえた。
「なんで家にはトイレが一つしかないのよ。支社長だったらトイレが二つある家を建ててよ」
 次女の怒りの矛先が蔭木に向かった。
「なんで俺が責められなきゃいけないんだ」
 便意を我慢するために肛門をぐっと締めた蔭木が、青白い顔で呻いた。
 
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『蔭木侮太夫の惨めな日常』とタイトルを付けて目を開けた。
 その瞬間、笑いが込み上げてきたが、それをぐっと堪えてパソコンを覗き込んでいる奴の横顔をちらりと見た。
 すると、「はっくしょん」といきなり大きなクシャミをして、キョロキョロと辺りを見回した。
 それを見てまた可笑しくなったが、口に手を当てて我慢した。
 人の噂とクシャミは関連がありそうだと改めて納得しながら。


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