人生 ラン♪ラン♪ラン♪ ~妻と奏でるラヴソング~ 【新編集版】
「今日はわたしが片づけるから」と言った瞬間、妻が目を丸くした。
〈どうしたの?〉というような表情になっていた。
 わたしは笑みを返してホットプレートと食器を台所に運び、さっと洗い物を済ませて、食器棚からワイングラスを二つ出した。
 そして、いつものチリ産赤ワインをそれぞれに注いだ。
 
「乾杯」
 グラスを合わせて口に含むと、甘い香りが鼻に抜けた。
 味はいつもよりまろやかに感じた。
 妻をもてなしたご褒美だろうか? 
 500円ワインが1,000円ワインに変身したような気がした。
 
 上機嫌になったので、本棚に隠してあった紙袋を持ってきて妻に手渡した。
「何?」
 不思議そうな表情を浮かべながら妻が受け取った。
「開けてみて」
 妻がセロテープを剥がして、紙袋から中身を取り出した。
「あらっ」
 ぱっと顔が輝き、表紙をまじまじと見た。
 そこには『南半球の旅』と書かれていた。
 オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、モルディブ、パラオ、バヌアツ、ニューカレドニアなどへの旅が紹介された旅行誌だった。
 
「ワ~、ステキ」
 ページをめくるたびに小さな歓声が上がった。
「この中に君が行きたいところはある?」
 夢中になってページをめくっていた妻が顔を上げた。
「私?」
「そう、君」
「あるけど……」
 また昨夜のような遠慮気味な口調になった。
「言ってみてよ」
「でも……」
 視線を本に落とした。
「君が行きたいところがわたしの行きたいところ」
 妻の背中を押すように敢えて強く言った。
 すると妻は〈ん?〉というような表情を浮かべたので、もう一押し必要だと感じて言葉を継いだ。
「わたしの卒業旅行は君の卒業旅行でもあると思うんだ。結婚以来二人三脚でやってきたから、出社最終日のあの日、二人一緒に卒業したと思うんだけど違うかな」
 妻は何も言わずじっとわたしを見ていた。
「それに今までわたし優先で物事を決めてきたから、今度は君優先にしたいなって思ってね」
 妻の顔が少し歪んだ。
「無事サラリーマン生活を終えることができたのは君のお陰だからね」
 妻が視線を落とした。
「本当にありがたいと思ってる。だから」
 本の上に涙が落ちた。
 それを見てグッときた。
 それ以上言葉を継ぐことができなくなった。
 音楽に助けを求めることにした。


< 160 / 229 >

この作品をシェア

pagetop