人生 ラン♪ラン♪ラン♪ ~妻と奏でるラヴソング~ 【新編集版】
「ごめんなさい」
 突然の衝撃と同時に若い女性の声が耳に届いた。
 足で漕ぐスワンボートがわたしのボートに接触していた。
「大丈夫ですか?」
 横に座る若い男性が心配そうな表情を浮かべていた。
 わたしは右手を上げて、なんでもないというシグナルを送った。
 そして、彼らから視線を外し、(かい)を漕ぎ始めた。
 
 あんな時もあったんだよな~、
 遠ざかるカップルを見つめながら、若かりし頃の妻を思い浮かべようとした。
 しかし、二人でボートに乗った記憶どころか、新婚時代の甘い生活も思い出せなかった。
 
 わたしは何をしてきたんだろう……、
 半生を振り返ってみたが、思い浮かぶのは仕事と音楽のことばかりだった。
 退職日のライヴとニューカレドニアへの旅行以外、妻との日々は水面(みなも)に浮かんでは来なかった。
 つまり、妻は空気と一緒だったということだ。
 居るのが当たり前だけど、気に留めることはなかったということだ。
 
 妻は孤独だったんだろうな……、
 だから何度も離婚を考えたんだろうな……、
 まったく気づかなかったな……、
 鈍感というかなんというか……、
 自分に呆れて嫌になってきたので、池の隅にボートを寄せて、ぼんやりと水面を見つめ続けた。
 カルガモやカイツブリが近くに寄ってきたが、誰か他の人の目を借りて見ているようで、現実感がまったくなかった。
 これからのことを考えようとしたが、どうしていけばいいのかまるで頭が回らなかった。


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