人生 ラン♪ラン♪ラン♪ ~妻と奏でるラヴソング~ 【新編集版】
 わたしは1週間考えて資料を作成したのち、大阪本社に提案した。
 消費者ニーズの多様化に伴う消費行動の変化を具体的に示して、ネット通販への取り組みが急務であることを訴えたのだ。
 しかし、本社はわたしの提案を一笑に付した。
 まったく取り合ってもらえなかった。
 特に東京支社を担当する常務からは厳しい言葉が飛んできた。
「なにバカなことを言っているんだ。一袋数百円の食品をネットで買う人なんかいるわけないだろう。投資に見合う売り上げが立つわけがない。それにネット通販を始めたことが取引先に知れたら大変なことになるぞ。取引停止だってあり得る。そうなったら、どうするんだ。君は責任が取れるのか!」
 取り付く島もなかった。
 誰からも賛意を得られず、わたしは四面楚歌(しめんそか)に陥った。
 
 本社だけでなく、東京支社の社員もネット通販への取り組みに懐疑的だった。
 というよりも、営業職に至っては賛同する者はゼロに近かった。
 自分たちの職が奪われると思っているからだ。
 それでも諦めなかった。
 会社の運命を左右する重要な問題だと強く思っていたからだ。
 
 しかし、熱意だけでは伝わらない。
 同じことを繰り返しても説得はできないだろう。
 ではどうする? 
 意を異にする人を説得するためには何が必要なのか? 
 考えを巡らせていると、不意に新入社員の時の店長の言葉が思い浮かんだ。
「主婦の気持ちに寄り添って売場を考えてね」というアドバイスだった。

 相手の立場になって考えろということか、ということは自分が常務になるということだから……、
 身を置き換えて考えていると、「投資に見合う売り上げが立つわけがない」と言った時の常務の苦々しい顔が思い浮かんできた。
 そうか、常務は投資対効果に疑問を持っているのか、なるほどね、
 糸口がつかめたような気がした。
 すると、大々的に始めるのではなく、小さく始めたらどうかと思いついた。
 調査という形でなら理解を得られるかもしれない。
 すぐに提案内容を練り直した。
 
『テスト・マーケティングとしてのネット通販』というのが新しい提案だった。
 あくまでも予備的な調査であることを明記して本社に提出した。
 そして、本格的な展開ではなく調査であることを本社の幹部に説いて回った。
 常務には〈またか〉というような顔をされたが、前回のように強硬な反対をされることはなかった。
 調査を前面に出したことが功を奏したようだった。
 しかし、彼は念を押すのを忘れなかった。
「例え試しだといっても取引先に気づかれないように慎重にやるんだぞ。取引先に気づかれたら即刻中止するんだぞ。わかってるな!」
 わたしは深く頷き、礼を言った。



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