しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
(3)

 結局──、私は久世と喜田川と会社近くの居酒屋にいた。
 言いようのない居心地の悪さの出処がいったい何なのか自分でもよくわからないが、とにかく気まずから早く帰りたかった。久世と喜田川はと言えば、気軽な雑談を交わし、グラスを傾けながら笑いあっている。

 ──こいつら、人の気も知らないで。
 ふと目があった久世に、「羽目外さないでね」と告げると、彼はいたずらっぽい笑みで、

「喜田川さんの前なのに甘えたくなったら困りますもんね」

 と私にだけ聞こえるよう声を潜めた。

「真咲さんはガンガン呑んでもいいですよ。俺がちゃんと送り届けます」
「自力で帰るのでご心配なく」
「そこ、ヒソヒソしてイチャつくのやめろ」

 ムスッとした顔で喜田川は言う。

「イチャついてなどおりません。今日は喜田川先輩に奢ってもらうつもりだから、値段気にすんなって言ってあげただけです」
「はー? 久世は後輩だからともかく真咲は金出せよ」
「愚痴聞いてくれって頼んできたのあんたでしょ」

 そのタイミングで注文していた焼き鳥の盛り合わせが届いて、とりあえずは腹ごなしとばかり全員が手を伸ばした。

「愚痴って仕事のですか?」

 久世が尋ねれば、喜田川はもごもごと口を動かしながら、まるで何でもないことのように、

「いや。女と別れた」

 と言った。いつものことだったが、あっさりし過ぎで愚痴を聞いてほしそうな未練を感じない奴だ。

「んで、なんでまた別れたの? 付き合ってどのくらい」
「四ヶ月と少し? 遠回しに結婚したいって言われて、ダイレクトに無理って言ったら振られた」
「相手いくつだっけ」
「二十四」
「若ッ」
「働くの大変だから会社辞めてぇんだって。振れれたあと、転職相談乗るって言ったら平手くらった」
「あんれまぁ。専業主婦に永久転職したかったってことか」
「そ。俺だって叶うことなら左うちわの生活してぇわ」
「夢だわなぁ。でも、その子顔かわいかったんでしょ? 他に言い方いくらでもあっただろうに、なんで直球でデッドボールぶつけにいくかな」
「いくら顔が可愛かろうが、初めっから俺の人生にたかる気満々の奴は結婚相手ではねえの。事情があるとか、話し合った結果そうならざるを得ないって至るなら全然いいんだよ。経済的な問題じゃなくて、俺としては相手のほうにもこっちを幸せにしてやるくらいの気概がほしいっつーか、パートナーとしてお互いを支え合える相手のほうが歳とっても一緒にいたいと思えるだろ」
「わかります! ま、でも価値観は人それぞれですからねえ。羽多野さんて、結婚後の仕事どうしたいとかありますか?」
 と久世は焼き鳥片手に私に尋ねた。

「続けるよ。別にこの仕事じゃなくても、何かしらの形で社会と繋がってたほうが気持ち楽だし」
「染みついてんだよなぁ、社畜の精神が」
「違うわ」
「子供できたら?」
 と再び久世が問う。

「それはまぁ状況によるだろうから、その時考える。営業でも何人か産休育休とって復帰した人いるけど、結局みんな辞めてんだよねえ」
「この仕事ハードだしな。その分それなりの給料もらってはいるが、キャリアか家庭かどっちを取るかとなれば、わからんではない」
「旦那さんのサポート次第なんじゃないですかね、そういうの。僕は奥さんのやりたいこと応援するし、野本さんみたいに育休しっかり取得するの賛成です。働き方も色々出てきましたし。ちなみに結婚式したい派ですか?」

 ふと気がついて私は久世を掴んで声を潜めた。

「……隙あらば情報を得ようとするな」
「バレました?」

 油断ならない。

「話逸れたけど、喜田川はほんと彼女と続かないね。このところますますって感じじゃない?」
「まぁな。誰か特定の相手いたほうが色々困んねぇかなぁくらいの気持ちだから、このくらいの年になると相手には真剣さが足りねぇって映るんじゃねぇの? 知らんけど」
「知らんのかい」
「真咲は? 相変わらずなしか? そろそろどうよ、結婚もちょっとは考えだすだろ?」
「考えますよね?」
「親戚か?」

 ふたりして私に話を振らないでほしい。

「私のことより今日は喜田川の話だよ。また合コン生活すんの?」
「どーすっかなぁ……行けばどうにかなること多いけど、あれ割と金かかるし」
「モテるんですね、喜田川さんて」

 久世の一言に喜田川はドヤ顔を披露した。

「この人、チャンスあると踏むとガツガツ畳み掛けるの。営業スタイルと同じ」
「久世みたいに腕を広げれば寄ってくるような顔してねぇから、ガツガツしねぇとご成約に至らねぇの」
「うちの部下を誘蛾灯のように言うのやめてもらっていいですか」

 首を竦めた喜田川に久世は軽く笑う。

「喜田川さんはかっこいいですよ。ガタイいいし、頼りがいあって、気さくな感じで。物知りですし」
「筋トレ好きの家電オタクだよ。洗濯機に異様に詳しい」
「うるせえな。その通りだよ」
「顔だってイケメンじゃないですか」と久世が言えば、喜田川は「お気遣いマジで痛み入りますぅ」と眉をしかめた。
「僕、さすがに自覚ないわけじゃないんで言うんですけど、喜田川さん僕のこれまでの状況見ても、羨ましいと思います?」
「……すまんかった」
「何事も善し悪しあって、現状、僕は面倒だなと思ってます。勘違いされないように挨拶ひとつとっても気を遣う。恋愛にろくな思い出なくて、何だったら女の人には怖い記憶が多いからぶっちゃけ苦手です。本命へのアプローチも慎重にならざるを得なくて、厄介だなぁって」

 久世の視線を感じた気がして、私はできるだけグラスに目を落としてぐびぐび飲み込んだ。

「本命なら自慢の武器使って速攻で落とせばいいだろ」
「やってるつもりなんですけど、効きが今ひとつなんですよねえ」
「へぇ……って、おまえ、本命いんのか!」
「いますよ。長年の片思いですけどね」
「久世が長年? 相手、女神かなんか?」
「僕からすると女神です。綺麗でかわいくてかっこよくて、優しくて頭良くて尊敬できるかわいい人。僕の情けなくてダメなところ見ても、普通で安心したって言ってくれました」
「はぁーすげえこと聞いた気分。その感じだと高飛車ってわけでも無さそうだし、おまえの面が効かねえんじゃ好みのタイプが違うんじゃね?」
「あぁタイプか……」

 見るな見るな。こっちを見るな。

「聞いてみよ。ありがとうございます、喜田川さん」
「なんだろな、この敵に塩を送った感……」
「僕は頂いたものはありがたく有効活用させてもらいますよ。というか、喜田川さんこそ本命に慎重になり過ぎてるんじゃないですか?」
 
 ──お?

「喜田川も本命がいるの?」
「えっ……あぁ、まぁ……ずっと」
「ずっと?! こっちはずっと愚痴聞かされてきたのに初耳なんですが?」
「愚痴なだけでアドバイスはいらねぇんだよ」
「めんどくさ! だったら他漁ってないで本命行け」

 私が声を上げると、喜田川は気づまりな様子で唇を噛んだ。

「簡単に言うな。……脈ねぇって端からわかってんのに、わざわざ玉砕しにいって良好だった関係終わらすことねぇだろ。嫌なんだよ、そうなるのが」
「それは……まぁ」

 理解できる。臆病になると、現状維持に甘んじてしまうものだ。

「でもさ、そういう本命が他にいるっていうのが、彼女にも伝わちゃってるから振られるんじゃないの?」
「……真咲にだけは言われたくねぇ」
「はあ? なんでよ! 正論だろうが」

 まぁまぁと横から久世が割り込んできた。

「どっちの言うこともわかります。ひとつ言えるのは、こういうのって、横から搔っ攫われた後で後悔しても遅いってことですよ」

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