しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件

四章 ”しごでき”部下と社員旅行

(1)

 九月の終わり。秋の行楽シーズンに合わせる格好で、うちの会社ではこれから年末にかけていくつかのレクレーション行事が発生する。

「えぇ! 久世さんも行かれるんですかぁ、社員旅行」

 相田さんの驚きを含んだ黄色い声に、フロアにいた幾人もの人間の耳が大きくなったような気がした。
 社員旅行とは、二年に一度のペースで、観光バスで行楽地に向かいホテルで一泊して親睦を深めようという比較的大掛かりな行事で、毎月給料からそのための積み立て金として少額の天引きがされている。参加しない場合、積立金は全額ではないもののある程度返金される制度になっているから、参加率としては六割くらいで、面倒だと捉えたり、都合がある人も多いものだ。

「はい、今年は参加してみようかなと」
「うれしいぃ! あがるぅう!」
「相田さんは元気ですねえ……」
「はぁい! あたしたち派遣も少しだけ自己負担はあるんですけど、ご招待いただけるんですよぉ。あたしぃ、この会社のレク行事だいすきなんですぅ! この機会に久世さんとの距離、ぐっとつめちゃおうかな」
「あはは。適度な距離って大事だと思いますよ」

 乾いた笑いを浮かべた久世は、相田から逃れるためかデスクを挟んで正面にいた水野くんに話を向けた。

「水野さんは参加するんですか?」
「いえ。そういうのは苦手なので」
「そっか。僕、水野さんとこういう機会にもっと話してみたかったんですけど」

 途端水野くんはぎょっとした顔で私に目を向けた。

「久世のこれは本気。社交辞令じゃないよ」
「……は、じゃあ。も、持ち帰って検討します」
「来週末まで最終の人数調整できるって言ってたから、検討のうえ行ってもいいかなと思ったら幹事に返答したらいいよ。水野くんの気持ち次第ね」
「はい」

 水野くんは曖昧な言葉や社交辞令のような真意の読みにくい話が苦手だ。
 久世もそれは徐々にわかってきたようで、僕は無害ですよというほわほわしたオーラを水野くんにまっすぐ向けた後、

「野本さんは?」

 と、水野の隣で同じくのほほんとしていた野本さんへ話を振った。

「うちはまだ子供小さいから」
「そうですか。いいですねぇ。いつもおうち、楽しそうで」
「大変だけど、本当にかわいいんだよ。また写真見る?」
「ぜひ!」

 軽快に立ち上がって野本さんの側に駆けよれば、執拗に絡んできていた相田さんとの会話は非常に自然な流れで終了を迎えた。策士である。
 その相田さんはといえば、つまらなそうな顔で野本さんのスマホを覗き込む久世を眺めていたが、不意にその大きな目を私に向けた。

「羽多野さんは当然いかれるんですよね?」
「うん。チームリーダーは、事情ない限り強制参加だからね」

 会社全体での旅行となるとかなりの大所帯となる。
 そのため行先は同じでも参加者は大きく二グループに分けられ、日程を変えて行われることになっていた。七十名前後となるように団体が構成され、今回我々営業一課および二課は、主に研修チームとシステム部門の、大阪支社の一部の面々と一緒だと聞かされた。

「──軽井沢かぁ。真咲さん、この辺結婚式場がやたらとありますけど、自由行動の時、見学いきませんか?」
「いかないですね」

 仕事を終えた金曜の夜。
 久世の家でくつろぐ中、彼は私の腿の上にごろりと頭を預け、公表になった社員旅行の詳細情報を会社から貸与されたスマホ画面で眺めていた。

「わざわざ社員旅行中なんてリスキーにもほどがあるでしょ」
「そうですか? 万が一誰かに見られたら、僕はかねてよりチャペルという建築物の構造に興味があって、羽多野さんがこういったことにお詳しいので解説いただいておりました、と言うつもりだったんですけど」
「すまんな、羽多野さんド文系で」
「あ、だったらこの文豪ゆかりのホテルは? これも結婚式場ですよ」
「まず式場から離れましょう」

了解ですと言って久世はスマホをその辺に置くと、甘えた仕草で私の腰に抱きついてきた。

「聞いたけど、水野くんも参加するんだって?」
「はい。よろしくお願いしますってすげぇ緊張した面持ちで言われました。初参加同士で仲良くするつもりです」
「そっか」
「面倒の気配しかなかったので社内行事はことごとく回避してきましたけど、今回はなんかたのしみだな」
「喜田川の話によれば、社内行事をことごとく蹴ってきた人気者の久世くんが参加するもんだから、この機に久世をなんとかできんものか、みーんな虎視眈々と狙ってるらしいですよ」
「僕、彼女いるのでそういうの間に合ってます」

 うんざりして顔をしかめる久世に思わず笑うと、久世は形のよい唇を引き上げて私を見上げた。

「真咲さんが俺の彼女だって、本当はみんなに自慢したい。恋人いるって言っちゃえば楽なんですけど、すると今度は始まるんですよ、アレが……」
「詮索?」
「そ。興信所かってくらいの調査能力ある人いるんですよ。勝手に探り入れられて真咲さんに迷惑かけるのだけは絶対イヤです」
「人の口に戸は建てられないっていうし、もはやバレたら仕方ないとは思ってるけど、その場合同じチームには居られないのは確かかな」
「絶対嫌です! バレるの断固阻止! 俺、真咲さんが上司だから仕事頑張れてるし、上手く回ってんのに」
「久世の実力ならどこでも上手くやれるよ。でも、私が久世のこと離したくないかな」
「真咲さん……」
「チーム構成上の都合というか、私も久世とはものすごく仕事しやすいから他の誰かにとられるとか癪なんだよね。あんたは絶対うちのチームの稼ぎ頭になれるはず」
「なんかちょっと思ってたのと違ったな……」
「ひとつだけ言っておくと、社員旅行中は人気者の久世くんに絡んでトラブルが起きないように、上司である羽多野さんが久世くん周辺を見張っておかなくてはならないという役目があるんですよ。だから、なるべくそばにいるね」
「そうなんですか」
「ええ。私だって虎視眈々と好きな人とふたりになれるチャンス狙ってるんです」

 久世はむくりと起き上がると、やおら両手で顔をおおった。

「どしたの」
「好きな人って言われて……いま、すごいニヤけてるからちょっと見せられない」
「ほう、レアだな。見せてもらおうか」
「だめ」
「航汰、見せて」
「いま名前呼ぶのズルでしょ!」

 白い肌を耳まで赤く染め上げた久世は悔しそうな眦を向けると、私を背後にあったベッドの縁に押し付けた。

「あれれ、もしやからかい過ぎましたね」
「俺にも男心ありますから。好きな人の前ではかっこつけたいんです」

 頭を抱え込まれて、逃げられないうちに唇が重なる。長々とした深いキスにくらくらする頃になって、久世は指の端で濡れた唇を拭いながら目を眇めた。

「今度は真咲さんがかわいい顔になっちゃいましたね」
「……そっちだって、えっちな顔じゃん」
「この顔ならたくさん見せてあげますよ。真咲さんにだけ」

 先程までの甘えた顔はなりを潜め、艶然として笑う久世から、またたくさんの口付けが降ってくる。すでに幾度となく身体を重ねたけれど、胸が高鳴るのは止まず、私は肌の上を滑る彼の視線や指先ひとつでいつまでも翻弄され続けた。

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