しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
(5)

 観光会館のような会場で揃って昼食を食べ、満腹になったところで行きと同じようにバスに乗って帰路に就く。うとうとと眠っているうちにバスは都内に入り、大きな駐車場で解散となった。

「疲れた……明日から普通に仕事かと思うとなお疲れる」

 荷物を抱えて薄暗い空に目を向ければ、自然と重たい息がこぼれた。

「ですねぇ……水野さん、楽しかったですか? はじめての社員旅行」
「はい。いろいろとありましたが、総合的に考えますと楽しかったです」
「僕もです」

 穏やかなふたりの雰囲気に目じりを和ませたところで、喜田川がチームメンバーに明日からの予定を伝えている様子が見えた。

「えーと、羽多野チームのみなさんにおかれましては、おうちに帰るまでが社員旅行です。気を付けて帰ってね。相田さんは明日休みでしたっけ」
「そうでぇす。ねぇ久世さん、この後ご飯いきませんかぁ?」
「すみませんが、僕、明日は朝から訪問予定があるのでまっすぐ帰ります」
「えぇでもまだ五時前ですしぃ。お茶だけでも」

 なおも食い下がる相田さんに久世はほんの一瞬うんざりした顔をしてから、「相田さん、あっちで相田さんのこと待ってる方がいるみたいですよ」と持てる限りの爽やかさを搭載して告げた。示す先には散策を共にしていたらしい戸田チームの彼が小さく手を振っている。

「……はぁ? マジ無理。しつこい」

 どの口が言う。

「あたし、久世さんがいいです。ねぇどうですかぁ? あたしと付き合ってみません?」
「いい加減、困ります。相田さんのことは仕事上のチームメンバーとして信頼していますが、プライベートでの期待には応えられません」
「羽多野さんと付き合ってるから?」
「……そういうふうに羽多野さんに迷惑が掛かるのが、僕は心底嫌です」
「ふぅん。あっそ。あたし、見ましたよ。今日の自由行動の時、ベンチでふたりがキスしてるところ」

 ぎょっとした瞬間、相田さんの瞳がきつく私を睨みつけた。

「それでも付き合ってないんだとしたら、あれは強要ですか? セクハラ? パワハラ?」

 体が一瞬で熱くなるのがわかった。言い返そうとする久世を止めなくてはならないのに、不思議と足が竦んで動けない。それ以上に、どうしてそこまで言われなくてはならないのかという怒りが私の中で確かにあった。

「相田さ──」
「あの、すみませんが」

 右手を上げて、相田さんと久世の横に割って入ったのは水野くんだった。

「みなさんのプライベートな問題に口を出すのもどうかとは思ったのですが、一言よろしいでしょうか。相田さんの認識が誤っていることが気になって仕方ないので、訂正させてください」
「は? な、なに?」
「相田さんは、あの東屋で羽多野さんと久世さんの姿をどこから確認されたのでしょうか」

 ずいと踏み込んだ水野くんに圧倒されつつも相田さんは「どこって、ベンチにいる久世さんの後ろ姿見えて」と答える。

「声かけようと思ったら、久世さんが手を伸ばして奥にいた羽多野さんにキスした。羽多野さんはアイスを食べていました。他にあんな距離感になることある? ほら、ちゃんと見てたでしょ」
「その後、相田さんはおふたりに声をかけなかったんですか?」
「なんなのさっきから、だったら乗り込んでいけばよかった? 恋人いるだの秘密にしたいだのお高く留まったこと言って、素敵な部下をどうこうできるんだからほーんと羨ましい。羨ましくて泣いちゃったからメイク直すのにすぐ引き返しました。えぇ、久世さんなんでそんな怖い顔するんですかぁ?」
「今の発言からして適当な嘘をついているわけではないことは理解しました。ただそうするとやはり、事実の誤認があります」
「はあ?」
「ぼくもあの場にいました。今日、ぼくは羽多野さんと久世さんと自由行動を共にして、買い物のために五分ほど独りで行動しましたが、相田さんが目撃されたのはその時のことです」
「だから! 水野さんがいないとき狙ってキスしたんでしょうが!」
「ですから、ぼくもあの場にいたと言っています。座っているおふたりが正面から見える位置にいて、声をかけようとしたところで、久世さんが羽多野さんの顔についていた何かを軽く払いました。ゴミだと思われます。羽多野さんはアイスを持っていたので手がふさがってましたから、代わりに払って差し上げた。ぼくにはそれが久世さんが自発的にとった行動に見えたので、個人の受け止め方次第となりますが、パワハラでもセクハラでもないと思います」
「アンタ何言ってんの!」
「ぼくも同じ言葉を返します。何言ってんですか? 相田さんにとってぼくは空気にも等しく、依頼も後に回される程度の優先順位の低い存在だということは理解しています。でも、あそこにいたぼくの存在自体を無視するのはやめてください。ぼく、今日おふたりと一緒にいて本当に楽しかったので、相田さんの認識の中とはいえ存在を消されるのは不愉快です」

 淡々と、しかしはっきりと言い切った水野くんを前に、相田さんは取り繕うことも忘れ忌々し気に歯を食いしばると腹立たし気な足取りで踵を返した。
 戸田チームの彼に掛けられた声も無視してどんどん小さくなる相田さんの背中を眺めながら、私も久世もただ茫然としていた。

「……すみません。黙っているという約束でしたが、口を挟んでしまいました」
「水野さん……ありがとうございます。かっこいい……」
「ほんと……まさか水野くんがあんなふうに言い返してくれるなんて」
「今日は、おふたりとたくさんジャスティスリーグの話をしたので、日頃より口が回りました。あ、というか近くにいたのは本当のことですが、おふたりがキッスされている現場は見ていませんので安心してください。雰囲気からして、まぁ察するのは下手なのですが、ぼくが到着したのはおそらくその直後だったと思います。恋人同士であればキッスしたくなるのも当然のことかと」

 キッス言うな。
 なんとなく恥ずかしい気持ちになる中、水野くんは私に笑いかけた。

「羽多野さんのことは、もう裏切れませんので」
「ありがとう、水野くん」

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