しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
(2)

「きゃぁああぁああ信じらんなぁあい──でかしたなァ真咲!」

 太い腕に力強く肩を叩かれ、私は衝撃に噎せ返った。

「テンション……」
「あぁんなんて綺麗な顔してんのぉ? お肌ツルツルのすべすべ、スキンケアどうしてる? やだァまつ毛ながぁいのねぇ、ぱっちりのお目めに二重幅も左右のバランス完璧じゃないの。この涙袋だって描いてるわけじゃなくて?」
「ちょ、リョウちゃん、久世引いてるから」
「喧しいわ、こっちは滅多にねぇようないい男鑑賞してんだ。黙んな! えぇん、久世きゅんは毛穴ケアしてんのかしら? 鼻筋通って歯並びもいいし、この下唇ぷっくりしてるのなんて最高じゃあん。んフッ、食べちゃいたい」
「兄貴、やめて」
「兄貴って呼ぶなっていつもいってんだろうが!」

 私の兄は、都内でヘアサロンを経営する美容師だ。
 言動が独特で、いわゆるオネェのような女性的な話し方をする時もあれば、私相手には普通に男丸出しで話すこともある。昔から散々呼んできた兄貴という呼称を嫌い、涼介という名前も好きではないそうで、兄は妹の私にリョウちゃんと呼ぶことを求める。何事もステレオタイプな親と我が道を行く兄との折り合いは昔から悪く、兄は勘当同然で家を出ており、現状家族の中で兄と連絡をとれるのは私しかいなかった。
 はっきり言って、親や弟たちよりも、私はこの兄とのほうがなにかと気が合う。でも、この兄が世間的には奇異な目で見られ、結婚を通じて距離の近い義理の兄となったとき歓迎されるものではないのだということも私は身に染みて理解していた。

 ──俺、ああいうの偏見はないんだけど、結婚して親族になると思うとちょっと……お兄さんとの付き合いを控えたりできないの?

 以前わずかの期間付き合った人は、デート中に偶然兄と遭遇し、そんなことを言った。その人との結婚など考えもしていなかったのに、急に上から兄を否定されたことが思いのほかショックで、結婚にあたって兄のような存在は忌避される現実を突きつけられると、兄と恋人との邂逅は私の中である種トラウマとなっていた。
 
 加えて久世を前にした兄貴のこの尋常ではないテンション──。

「久世くん頭の形もすこぶるいいから、どんな髪型でも似合うんだけどぉ、今回は様子見ってことで髪質確認させてもらいながら整えていくでもいいかな?」
「はい、お任せしますのでよろしくお願いします」
「仕事は真咲と同じでしょ。ということは華やかさも大事だけど、清潔感や落ち着いた感じもあわせておいたほうが、魅力が増すかもね。んもう、ほんとかっこいいわねぇ。腕が鳴るわ!」
「期待してますね!」

 思いのほか普通で、久世に引いたような様子はない。

「真咲が店に彼氏連れてきたのは初めてよ。あいつ、見た目はアタシがマメに手を入れてなんとか見られるくらいにはしてあるんだけど、名前もマサキなんて音だけ聞いてりゃ男みたいなもんだし、性格がさぁ、相当気が強いでしょう? ケンカとか平気?」
「真咲さん、見た目も性格もかわいいと思いますよ。俺、一目惚れだったし」
「ヤダほんと?! アンタほどの男が?!」
「はい。真咲さん追いかけて入社決めたくらいの話で。真咲さんて、いつもきちんとしてるし、髪もサラサラのツヤツヤでいい匂いしてて、気をつけているんだなぁ、俺も釣り合うように身綺麗にしとこってずっと思ってたんですけど、お兄さんのおかげだったんですね」
「お兄さんだなんて、リョウちゃんて呼んで」
「はい、リョウちゃんさん。あ、俺ら仲良しだからケンカはしませんよ、俺は真咲さんの言うことに従順だし、真咲さん心広いし。なんでも受け止めて、甘えさせてくれるんで。でも、時々見かける喧嘩腰の真咲さんもかっこよくて好きです」

 信じられんとでもいうような顔でこちらを振り返った兄を睨んで返す。
 小一時間、彼らはそんな鏡越しのやりとりを交わし、そわそわしながら待つ私の心配を余所に時に軽快な笑い声をあげていた。
そうした結果。

 ──かぁっっっっこいぃぃいい……!

 普段とは違う額を見せるようなスタイリングで仕上がった久世の眩しさに、脳を焼かれたのは私だけではなかった。そばで仕事をしていたスタッフのみなさんも視線が釘付けになっている。

「真咲さん、どうですか」
「は、はい……はい、どうも」
「ちゃんと見て?」
「はい、みた。みました」
「おもしろいくらい目が合わない。リョウちゃんさん、真咲さんがかなり照れてます」
「ったくもー、世界最高の自分の彼氏なんだから堂々として見せびらかすくらいでいなきゃ。アンタを選んだ航ちゃんに失礼でしょ」
「久世を勝手にあだ名で呼ぶな」
「アンタこそ彼氏を苗字で呼び捨てって上司か! いや、上司だわ?」

 兄に背を押され踏み出した間近に久世の存在を感じる。顔をあげて薄い色の瞳と目が合うと、一気に頬に熱が駆け上がるのがわかった。

「くぅ、なんとなく見慣れた気がしてたのに……ポテンシャル底なし沼かよぉ」
「真咲さん?」
「……かっこいいよ。すごく素敵」
「やった。真咲さんに褒めてもらえるのが一番嬉しい。リョウちゃんさんのおかげですね」

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