しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
(5)

「真咲さん」
「ん?」

 部屋に案内され、荷物を置いて、とりあえずお茶でもいれるかと急須を確認していた私が顔を上げると、ずっとぐるぐる部屋を歩き回っていた久世は、私の側に膝をつくとやおら畳の上に寝そべった。

「ど、どした?」
「お部屋、広いですね。すごくいいですね。俺、あんまり旅館てきたことなくて、畳のにおいってすごくいいですね」

 長い手足を広げたり閉じたり、子供のような仕草に思わず笑ってしまった。

「いいところ泊れてよかったね。私も久しぶりだな、こういうところ」
「あの。さっき、ちらっと見たんですけど、部屋に露天の内風呂がありますね。そういう部屋を奮発して予約したんですから当然あるんですよ。いつでも入っていいんですって。俺と真咲さんしかいない空間で、どうぞとしっぽりお楽しみくださいと言わんばかりに内風呂があるわけですが、これはあの、当然一緒に入るという流れと認識しております。しかしながら露天! 真咲さんの可愛い声が筒抜けは困ります!」
「……お茶飲んで、一回落ち着こうか」

 事程左様に顔はいいのに、この男にはどうにも残念なところがある。興奮を禁じ得ない久世をなだめて、一息ついてから浴衣を手に私も内風呂を覗いた。

「わぁ、すごい立派じゃん」
「でしょ? 興奮するでしょ?」
「どういう意味の興奮?」
「あらゆる意味で」

 大きな石をはめ込んで磨いた床に、湯気とヒノキの香り立つ湯船。背の低い笹の垣根で目隠しを作られているが、その奥も小さな坪庭になっておりそこに背の高い竹垣があるから、露天とはいえそれなりに区切られたプライベート空間だった。

「……入ります? お湯のおかげかそんな寒く感じませんね」
「夕食の時間までまだあるし、入ろうか。お背中流しますよ?」

 久世と一緒にお風呂に入ることも別に初めてのことではない。
 けれど、日常とは少し違う狭い脱衣所で何となくお互い背中を向け、いそいそと服を脱ぐうち堪えきれず恥じらいが込み上げてきた。セーターとインナーを脱いで、ボトムのボタンに手を掛け、それがすとんと落ちたところで私は背後から腕を取られた。

「その尻は、どういうことなんですか?」
「はえっ!?」

 抱き寄せられ、久世がうなじや背中に口づけてくる。
 大きな右手が露わになったお尻を撫でて、思わず体が震えた。

「ちょ、ちょっと」
「お尻の布が少ないし、ブラも、なんかあちこち透けててえっちですね。真咲さんのおっぱい、こぼれちゃいそう」

 下着の上からひっかかれ、過敏なほど反応してしまう。

「こ、航汰」
「真咲さんて、誘い方いじらしいよね。かわいい」
「こういうの、好き?」
「下着のことです? 真咲さんの姿なら何でも好きだけど、俺のこと考えながらこれを選んでくれたってところが何より好き。大好き。好きだよ、真咲さん」

 下半身をぐいぐい押し付けながら耳元で囁く久世に、私は身をよじって振り返り、彼に口づけた。

「好き、航汰」

 新調した下着はすぐに脱がされ、脱衣所でも浴室でも私たちは声を殺して互いを求め合った。
 お腹が空いてたくさん食べて、たくさん飲んで、たくさん笑って。部屋に敷かれた並んだ布団を見た途端、たまらなくなってまた体を重ねた。

「真咲さん、放さないから。俺も、ッ、真咲さんを絶対に放さない。俺のだ──」
「航、汰……あっ、あぁ、んッ!」
「愛してる」

 汗みずくで、わけがわからなくなりながら、なんだか私たちは必死だった。
 ひとつの布団で身を寄せ合って、気だるさに包まれながら私は眠る久世の肩口に額を擦り寄せた。
 必死だったのは、きっと、この関係を否定されそうになったからだ。心から好きな人を捨ててまで仕事に縋るほど馬鹿ではない。でもだからと言って、いままで努力してきたものを諦めるというのも癪に障る。
 放っておいてくれという気持ちが強かった。

 久世とのことを明らかにすれば、危惧する通りにやっかみや面倒事は起きるだろう。どちらかチームを外れることもきっと免れない。それを迎え撃つ気概はあれど厄介なことに変わりは無い。一方で、このまま秘密の関係を貫いても、相田さんのような存在は今後も現れるはずだ。
 だいたい、いまはよくてもこの先どこかで異動や避けようのない事態によって久世のそばにいられなくなる可能性は当然ある。
 目の前のことしか考えられていなかった。私に必要なのは、これからも久世航汰の隣に立つための、もっと磐石な──。
 そこまで思って、私はふと答えならずっと以前から、それこそ最初から提示されていたことに気がついた。

 結婚すればいい。

 夫婦であれば、妻という立場であれば、それこそやっかみなんて鼻で笑い飛ばせるし、既婚者に手を出そうとする馬鹿には制裁を下せる。異動だろうがなんだろうが、上司と部下でなくたって、夫婦ならば人生のパートナーだ。
 兄というハードルをクリアした今、少なくとも私には結婚を躊躇う理由はない。金銭感覚、価値観も問題はないし、ジャスティスリーグを追いかけて郊外の住宅展示場やショッピングモールのイベントを観に行くことにも慣れた。楽しそうに憧れに目を輝かせる久世を見るのは好きだし、なんだったらネオと握手して私も好きになって、関連する情報には自然と目がいくジャスティスメイト。
 正直な話、セックスの相性だってこれまでの私の残念な男性遍歴はなかったことにしようと思えるほど抜群にいい。
 私は一気に軽くなった心で、久世に抱きついて彼の胸元に口付けた。小さく唸る久世に頬を寄せ、

「大好きだよ」

 と囁けば、抱きしめ返す力がある。頭にすり寄せられる肌の感触に目を閉じていると、足の間に久世が割り込んできた。

「まだしたいの? まさきさん」
「しない。寝て」
「はい……」
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