しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件

 何があったか知らないが、久世の義理の母という人から私に向けられた視線はこれから息子の妻になる相手を見るものでないことは確かだった。
 私をこの女と呼び、悪意が滴るような暗い目で嫌悪を告げられた。
 最寄りの駅で電車を降りるまで久世は何かをずっと考えているのかほとんど黙り込んだままで、マンションが見えるころになってようやく口を開いた。

「父と会ったの、大学卒業した時以来です」
「そうだったんだ」
「入社するとき、一応緊急連絡先書かないといけないじゃないですか。俺、あれを叔父の名前で提出しようとしてたんですけど、叔父から父に連絡がいったみたいで書き直すようにって言われて会ったんです。卒業したんだなとか、どんな会社なんだとかそういう会話一切なくて、新生活に必要だろうからって金だけ渡されました。……そういう人です」
「……ごめんね、私、できれば挨拶したいとか余計なこと言った」
「いえ。結婚の報告は、どのみちちゃんとするつもりでした。父に真咲さんのこと自慢したかったから。俺の奥さんになる人、こんな素敵な人なんだって。だから今日は緊張してたのはありますけど、楽しみにもしてたんです。ドヤ顔準備してました。──でも、あの人が来るのは、予想してなくて」
「あの人っていうのは、お義母さんのこと?」
「はい……。関係が拗れて家を出たって言ったじゃないですか。当時、俺中学だったのに、あの人、俺への執着が尋常じゃなくて、マジで気持ち悪くて。襲われかけたこと……何回も、あって」

 見れば久世の拳が震え固く握られている。

「父も向こうがおかしいのはわかってて、俺と会わせないようにしてました。一応父の言う事は聞くみたいなんです。俺が関わらなかったら普通の人らしいから」
「航汰、家入ろう?」

 暖かいところで話そうと言っても久世は首を振った。

「真咲さん、俺が家族と疎遠でいたいって言っても好きにしたらって感じだったから、俺も父に挨拶と報告だけして、結婚後は連絡手段をひとつ残すくらいの繋がりでいいと思ってました。父は俺に関心がないし、あの人とはずっと、本当にずっと会ってなかったからこれからも会うことはないって──でも、甘かった。前に真咲さんがリョウちゃんさんのこと紹介してくれたとき、言ってましたよね。結婚すれば縁が続く、遠くから見るのと身内になるのは違う、だから躊躇ってたって。会わなくても、没交渉でも、結局生きてる限り可能性がある。俺……あの人と縁が続くこと、ちゃんと考えられていませんでした」

 すみません、と久世は頭を下げた。

「あの人に真咲さんのこと何か言われたりするの、嫌です。傷つけられでもしたら、耐えられない」
「航汰」
「ほんとすみません。今日は帰ります。ちょっと独りで冷静になって考えますね」
「航汰! 待って!」
「ごめん。いま、誰とも話したくない」

 目も合わせずに向けられた背中は拒絶を示し、追いかけることを許さなかった。

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