しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
番外編 その1 男同士の話
「……おまえ、魚の喰い方キレイだな」
喜田川保は、眺めるうち、皿の上で頭と骨を残してするすると見事に消えていく魚の塩焼きに思わず感心した。
会社帰りのサラリーマンでにぎわう駅前の大衆居酒屋である。腹が減っていたそうで、黙々と箸を動かしていた久世航汰は、二重瞼のはっきりとした目を上げると喜田川を見やってにこりと笑った。
「喜田川さんに褒めてもらえて嬉しいです。俺、小学校上がる頃まで祖父母に育てられて、結構厳しくしつけられたんですよ。食事の仕方は見られること多いから、その後もそれなりに気を付けてて」
「ああ」
「魚をきれいに食べるときのポイントは、皮も小骨も良く噛んで、とりあえず全部食うことですね」
「思いのほか力技だったわ……」
テーブルについていた肘が、がくんとずれた。
男の目から見ても、久世は見目も立ち振る舞いも目を惹く綺麗な男だった。二カ月ほど前に喜田川の所属する営業一課に異動してきた久世は、それまでの彼を取り巻く厄介な噂を吹き飛ばす勢いでめきめきと力をつけ、着実な成果を上げている。上について面倒を見ているのが、羽多野真咲とあっては、彼にもともと備わった能力が飛躍的に伸びるのも頷ける話だった。
喜田川の知る羽多野真咲は、そういう女であるのだから。
抱えている部下はどれも癖があり、頑固で、喜田川や他のリーダーからすれば面倒な手合いに思える。ただでさえ、性格も能力も子供の頃より落ち着いてしまって早々変えることなどできない大人を、上司というだけで会社の方針に沿うように指導することは難しい。相手にもプライドがあり、やりたくないことやできないことはあるものだし、仕事において重視する価値観もモチベーションも個人によって異なる。
それを無理に従わせようとすればパワハラと言われ、好きにすればいいと放置すれば、今度は上からマネジメントの資質を問われる始末だ。
ありがたくも現在の営業課は、個人の傾向を考慮したうえでチームを構築する方針にあり、喜田川が抱えるチームは、喜田川と気質が似て数を撃って足で稼ぐことを厭わないメンバーが多く、飲んで騒いで俺たちチームで頑張ってこーぜ! でといった体育会系のノリで士気を上げるのも楽だった。
マネージャーとして上に行くには、それだけではいけないことはわかっている。
だが、自分自身も数字責任を抱える中、方針に従わない部下を育てるということは、彼らのやり方を尊重して、会社の方針との間でリーダー自らが試行錯誤しながらバランスを調整する役を担うことになる。つまりは、リーダーにしわ寄せが行く。
──真咲はよくやってる。
喜田川の目に映る真咲は、悪戦苦闘しながらも持ち前の勝気さでずっと奮闘してきた。
彼女の功績と貢献を認める者は多いし、パンツスーツの良く似合う見目はもちろん、さっぱりした性格と面倒見のよさも相まって、後輩たちからも慕われている。なにせ若手の女性社員からの支持が高い。
それこそ、見目麗しき傾国の君とあだ名されるような、久世が部下について「羽多野さん、いまいいですか」「羽多野さん、見てください!」「羽多野さん、一緒にお願いします」と何くれとなく羽多野羽多野と後をついて回っても、嫉妬や羨望を抱く者でも、まぁ羽多野さんだし、という謎の納得感があるらしい。
久世の容姿になびかず、媚びず。
あくまでも傍目には、ふたりが上司と部下に映る。あるいは、喜田川はこう思っていた。
飼い主と犬。
真咲の周りを久世がわんわん、わんわん、尾っぽを振ってはしゃぎながら駆けまわっている。日頃は彼女の横ですました顔で出来る犬を気取っているが、気を抜くとすぐに腹を見せて、顔をべろべろと舐めまわし、べったりと抱きついて甘えている。そんな仕草など見たこともないはずなのに、喜田川には簡単に想像ができた。
──単なる俺の想像だと思っていたのに……、野郎、真咲の彼氏になっただぁ?