しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件

 喜田川はまた、目の前の綺麗な顔をした男にふつふつと怒りが湧いてきた。
 差し入れを持って訪れた真咲の自宅で、彼女の部屋から真咲のTシャツを着て出てきた久世は、真咲の彼氏になったと告げた。あろうことか、真咲自身も言った。
 引き返せないくらい久世を好きになってしまったと。
 俺の真咲が……!
 頭の中の真咲が呆れた顔で「アンタのものになった覚えはないが」と言う。腹立ちまぎれに喜田川はビールのジョッキを煽って飲み干すと、底を勢いよくテーブルに叩きつけて久世を見やった。

「で。話ってのは何だよ」
「え?」
「え、じゃねぇ。さっき、男同士で話したいことがあるって言ってただろうが」

 ああ、と言って久世は居住まいを正すと、改まった面持ちで喜田川にまっすぐ視線を向けた。瞳の色が薄い。

「真咲さんを好き同士、俺、喜田川さんとはいい関係でありたいと思って」
「……は?」
「感謝してるんです。喜田川さん、真咲さんに悪い虫つかないようにずっと見守っててくれましたし。他の女の人と付き合って気を紛らわしていたのかもしれませんけど、そういう態度だったからこそ真咲さんに手を出すこともなかったわけだし」
「おまえ、あれか? 俺のことバカにしてんの?」
「してませんよ。俺、喜田川さんのことも好きなんで、俺と真咲さんが恋人同士になったからと言って喜田川さんと険悪になるとか嫌なんです」

 にこりと笑うその表情に思わず毒気を抜かれる。

「俺もずっと好きだったから。でも遠くから見てるしかなくて、真咲さんの近くにいる喜田川さんが羨ましかった」
「つっても、近くにいただけだろ……特別な関係だったわけじゃねぇ」
「うわ、ちょっと前の俺だったら悔しくて泣いてる発言ですよ、それ。同期で同じタイミングで昇進して、チームリーダーとして切磋琢磨しあってるでしょ。真咲さんだって、喜田川さんのことは信頼してる。何かあると喜田川さんを頼るでしょ。仕事上でそれなのに、プライベートでも仲良くて。肩組むし、頭触るし、距離近いし、名前呼び捨てって……ふたりで遊んだりしてたんですか?」
「まぁそれは……時々。あいつ堅いとこあるから俺に彼女がいねぇときに限るけど、俺の買い物付き合ってもらったり、あいつの買い物とか。引っ越す時は、家電選んでやったり」

 久世は唇を噛んで耳を塞いでいた。

「もういいでず……」
「お、おお。なんか悪い」
「いいですよ。俺はこれからそれ以上のことを真咲さんとしていくんです! 初デートから何から何まで!」
「というか、おまえら、いつからなんだ?」
「……今日」
「今日!?」

 驚いて喜田川が身を乗り出すと、久世はそばにあったレモンサワーのグラスを手に取って口を付ける。

「俺は、それこそ異動して二週間後くらいに勢いで告白してしまって。そこからずっと口説いてて、さっき仮眠とる前に、真咲さんから返事もらったとこでした」
「ま……マジで……」
「こんなことを言うのもなんですが、喜田川さん、ほんとに酷いタイミングでピンポンしたんですよ。そもそも俺が電話どうぞとか言うべきじゃなかった! あのまま……」

 ちくしょう、と悔し気にグラスを煽る久世に内心どぎまぎとしながら、喜田川は「ごめんな」とつぶやいた。

「もはや過ぎたことです。俺、ほんと真咲さん家寄ることにしてよかったと思ってます。あの場にいなかったら、喜田川さんにケーキと一緒に真咲さん食われかねなかったし」
「そ、そんなことしねぇよ、俺は単に労いの気持ちで、んだよその目は!」
「疑いの眼差しですよ。生足短パンでゆるいおうちスタイルの眼鏡真咲さんを前にしても、喜田川さんは邪な心を少しも抱かなかったんですね。そんけーします」
「ッ、しょうがねぇだろうが! 俺は男だし、あいつのこと好きなんだから」
「もう俺のです。会社で真咲さんの肩抱くのやめてくださいね」
「腹立つな!」

 声を荒げた喜田川に久世は「でも、真咲さんの頼れる友達ではいてください」と続けた。

「こういうことで喜田川さんが離れること、真咲さんは望まないと思います。むしろ、喜田川さんが俺とか真咲さんにぎこちない態度とったら、あの人のことだから、私が気持ちに気付いてあげられなかったからぁとか考える」
「……わかってんじゃねぇか」
「真咲さんにはできるだけ俺のことだけ考えててほしいんです。俺も同じで、ついでに喜田川さんとも仲良くしたいです」
「ついでってなんだ」
「変に遠慮しないでください。俺も遠慮しません。真咲さんはこの先一生俺が大事にする予定なんですけど、喜田川さんも真咲さんのことよく知っている同士ですから。その同士から見て、俺が真咲さんのこと幸せに出来てないって思ったら、ぶん殴ってくれていいです」

 よろしくお願いします、と久世は頭を下げた。

「おまえ、重そうだな」
「自覚はあります」

 にぃ、と笑って見せた久世に喜田川も力を抜いて笑う。顔もよくて中身がこれでは勝てる見込みなど到底ない。
 ──まいった。

「あーぁ、もう一杯飲むか」
「いいですよ。こうなったらとことん付き合います」
「うるせぇバカ、おまえは帰って寝ろ」
「えぇ、俺まだ喜田川さんに聞きたいことあるのに」
「はぁ? おまえ、会社にいるときとなんか違わね?」
「喜田川さんと仲良しになったんで」
「よかねーだろ」
「そうですか? 俺、喜田川さんに真咲さんのどこ好きなのか聞きたいですし、俺からも語っておきたいでしょ。あと、本当に今の今まで喜田川さんと真咲さんの間に何もなかったのかだけはっきりさせておきたい」
「執着……むしろ、それが本題か?」
「どうなんですか! 正直に!」
「ねぇわ。……少なくとも、あいつにそういう覚えはない。真咲にとって俺は本当に友達って扱いだから。まぁそのぶん油断してるっつーか、無防備っつーか、隙がありすぎっつーか」
「すみません。少なくともっていう、その持って回った表現は何なんですか?」
「……だから、あいつが、その……ね、寝てるときに」
「聞きたくねぇッ! 聞いた瞬間絶交しそう!」
「おまえが言わせようとしたんだろうがよ! めんどくせぇな!」


 (おわり)
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