しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件
(2)
久世のアパートは、二階建てのよくあるタイプで、新しくもなく古くもない平凡なものに見えた。
「──俺、おかしな人につけられたりとか全然知らない人に家入り込まれたりとかして、引っ越し結構多くて。この前の家は、隣に住んでたおじさんが俺と一緒に住みたいからって壁に穴開けたんで、逃げたんですよねえ。ろくに話したこともないのに、俺ん家の生活音から趣味が合うと思ったんですって」
「さらっとすげぇこと言うじゃん?」
「あ、今は大丈夫ですよ。費用嵩みましたけど、諸々の対策はとったんで。俺の人生って真咲さんに出会うのに幸運全振りしてあるのか、あんまツイてないんですよ」
「今度お祓いとかいこうか……ね……」
久世の部屋は二階の奥の角部屋で、鍵を開けた彼は縦長のドアノブに手を掛けた。
「真咲さん」
「ん?」
「えーと……ですね。家に呼んだのは、その、やましい意味ではもちろんあるんですけど」
「あ、お、うん」
「そのまえに、確認させてほしいことが、あってですね」
「確認?」
「真咲さん、これといって趣味ないって言ってたじゃないですか。俺のほうは、ひとつだけ趣味っていうか、好きなものがありまして」
「うん」
「そ、それに結構入れ込んでいるというか、集めて、いるんです。グッズとかそれ関連のものを。た、棚にね、棚に入るだけにしているんですけど」
「うん」
久世はいつになく歯切れが悪い。
「お……オタクというか、かなり子供っぽい趣味なんですけど、もし真咲さんが受け入れられないようであれば、やめますので」
「見てから判断する」
「そう、真咲さんはそういう人ですよね……」
観念したように久世はドアを開いた。
玄関を入ると右手に狭いキッチン、左手に洗面や脱衣所のある造りで、短い廊下を過ぎて八畳に満たない程度の一室が広がるワンルームだ。キッチンもどこも小綺麗に片付いているように見えたが、久世は私を部屋に通すと、非常にぎこちない動きで、大型のPCモニタが乗ったデスクの脇を示した。
「こ、これ、なんですけど……」
八十センチほどの高さ、三段に分かれたキャビネットに、それはみっちみちに詰まっていた。
「──ジャスティスリーグ?」
ジャスティスリーグとは、昔からある特撮ヒーローのテレビシリーズだ。
地球にやってきては人類を脅威にさらす怪獣や異星人とシリーズごとに登場するジャスティスヒーローたちが戦う子供向けコンテンツ。昔からファンは多いと聞くが、今もまだコンスタントに新しいシリーズが放送されているのだろう。
「真咲さん、知ってるんですか!?」
「子どもの頃見てたよ。えっとね、これ、ジャスティン・マクシア。懐かしい。かっこよくて好きだったなぁ。怪獣のほうにも戦う理由があったりしてさ、子供ながらに本当に倒していいのかってマクシアと一緒に悩んだわ」
二段目の棚にあったオレンジ色のソフトビニール人形を示すと、振り返った先にいた久世は瞳を震わせて立ち尽くしていた。
「大丈夫、なんですか……?」
「何が?」
「引いたりとか」
「このめちゃくちゃ息苦しそうな押し込め方には若干引いてるね」
棚の上にはパネルに収められた四つ切サイズのポスターや、フォトスタンドにヒーローを写した写真がいくつか飾られ、棚の一段目はおそらく同じキャラクターのバージョン違いが大きさもフィギュアの形状も様々で押し込められていた。二段目はその他のジャスティスヒーローたちがぎちぎちに、三段目には彼らと戦った怪獣やら異星人やらが満ち満ちに詰まっている。
「これは、集めだすとときりがないので、この棚に収まるだけにしようと決めていて……」
収まっているのかこれは。
「久世はこのヒーローが好きなの?」
言って私はポスターや棚の一段目にいっぱいの銀と青のつり目のヒーローを示した。
「あ、はい、あの、ネオといって。マクシアみたいに単独のテレビシリーズがないんですが、映画から登場したキャラでずっと人気あるんです」
「そうなんだ。マクシアよりイケメンな雰囲気があるね」
「……真咲さん、なんでそんな普通、なんですか?」
「なんでって、なんで? 久世の好きなもの知れてよかったと思ってるけど。ていうか、映画館でも、ほんとはこっち観たかったんじゃない? ポスターに目が行ってた気がしたから。いま、映画やってるの?」
「そう……です……でも、俺もう二回観てるから、今日はどのくらい人いるのか気になっただけで観たかったわけじゃなくて」
「ガチな人だ」
「はい」
どうしてか久世は叱られるのを待つ犬のようで、今日はこの顔を何度か見たなと思いながら、私は座ってもいいかと尋ねた。クッションを勧められ、久世の横でありがたくそこに腰を下ろす。
「こんな子供っぽいオタク趣味嫌だからやめてって言われたかった?」
「……いえ、すみません。真咲さんならそんなこと言わないってわかってたのに」
「さっきまで趣味はランニングですかねとか言ってたじゃん。騙しおって」
「ほんとすみません……ランニングも嘘じゃないんですけど、それは体力作りが目的で……引かれたく、なかったから。好きなものは誰にも言ってないんです」
確かに意外ではあったが、特段引くほどのことでもない気がする。
「引かれること多かったの?」
「……学生の頃、なんですけど、同級生の女の子に無理やり家に上がり込まれたことがあって。その子、こういうグッズ勝手に見て勝手に引いて。もう大人なんだからこういうのは卒業しなきゃだよって、諭すみたいに言われたんです。あとは当時の彼女っていうか、短い付き合いだった子は関心もなければ興味もなくて、大事にしてたやつ中古屋に売られたりして……」
「あらら」
「全部同じだからダブってんだと思ったって言ってたんですけど、普通人のもの勝手に売ったりします? 俺がネオの存在にどれだけ助けれてきたか! ただ姿形が好きなわけじゃないんです、ジャスティスリーグ全体の物語っていうか、ネオの背負ってきたもの含めてちゃんと細かい設定があってネオの性格とか考え方とかそういうのが俺は……」
久世は唸るように言って、私に腕を伸ばしぺたりと抱きついた。こちらからも頭を預けると驚いたように一瞬身体が強ばったのを感じたが、久世はすぐに腕の力を強くして私の頭に頬を擦り寄せる。
「それは大変だったね」
「……はい」
「あのね。前に話したことあるかもしれないけど、私、四人兄弟の二番目で、ひとつ上の兄がいるんだよ」
「下ふたりも弟さんなんでしたっけ」
「そう。うちの親ってステレオタイプっていうか、ジェンダー意識の塊みたいな人たちで、兄貴にはジャスティスリーグのおもちゃ買ってくれるのに、私には着せ替え人形のリマちゃんしかくれなかったわけ。私はマクシアとリマちゃんを戦わせたかったし、変身するやつも欲しかったけど、それは男の子のおもちゃだからダメと」
ありがちですね、と久世は言った。
顔を上げれば、彼と目が合う。
「でね、実のところ兄貴はリマちゃんの着せ替えとか私の髪結んだりして遊ぶのが好きだったから、密かに結託してお互いに欲しいものをねだって交換してたんだ。テレビ見るのも同じで、兄貴はさほど興味なかったと思うんだけど、毎週私に付き合ってジャスティスリーグ見てくれてた。そういや兄貴とはチャンネル争いってなかったな」
「お兄さんと仲良いんですね」
「まぁね。私の今住んでる部屋も、兄貴の持ち物なんだよ。あの人、投資趣味で不動産をいくつか持ってて、そのひとつを安く貸してもらってんの」
「そうだったんですか」
「いつだったか、当時は付き合わせてごめんねみたいなこと兄貴に言ったら、楽しそうな私を見てる時間だったから気にすんなって言ってくれた。リマちゃん遊びにも私は付き合ったし。まーそんな経験がありまして、誰かの好きなことって、その人の楽しみなんだから、外野が躍起になって否定したり貶したりするもんじゃないんだなって思ってるんですよ。もちろん、趣味は合う合わないあるし、興味ないのに無理やり付き合わせる感じになるのは考えものだけど。だから、久世が好きならそれでいいと思うよ。助けられてきたって思うような存在なら、ネオのこと大事にして」
「ガチめでも大丈夫ですか?」
「ガチ加減がよく分からんけど、生活に支障なければいいです」
「ステージ見に行ったり、夏と冬は大型のイベントがあって写真撮りに行きます。あと、地方の住宅展示場いくのも付き合ってくれます?」
「なんで住宅展示場?」
「そういうところで週末にショーがあるんです。握手できたり、写真撮ったりできて」
「そんなとこでやってんだ。別にいいけど。よかったら私にも色々教えて、言ってもマクシアしか知らないから」
「……結婚してください。真咲さんは俺の運命です」
「……というか、そもそも結婚考えてる相手に趣味を隠すな」
「おっしゃる通り過ぎてぐうの音も出ねぇ」
遠慮しないでいいんだよ、と言うと久世は照れた様子で頷いた。彼が髪に鼻先をうずめると、唇が触れる感触があった。
「真咲さん」
「なーに」
「遠慮しないでいいなら、ひとつお願いがあるんです。この間の続き、──しませんか?」
「いいですよ。でも……今日、結構汗かいたからシャワー貸してほしいな、とか」
「だめ」
「じゃあせめて体拭かせて」
「だめです。俺、真咲さんの匂い好きだから」
その辺は遠慮してくれ、と思うまもなく唇を塞がれた。
「もうわかると思いますけど、俺の一番好きなものは、真咲さんですよ。趣味です」
返事をする暇すら与えられず、久世の瞳に見つめられ、絡む舌の熱や肌を撫でる手に意識を奪われるうち、すぐにうまく考えられなくなった。彼に甘えられると私は弱い。
遠慮しなくていいと私は確かに言ったけど、まさか翌日の昼過ぎまで放してもらえないとは思わなかった。
(おわり)
これをもって本作は完結といたします。
ありがとうございました。