しっかりした期待の新人が来たと思えば、甘えたがりの犬に求婚された件

 動揺したのは運転手も同じだった。自宅のあるマンションもすぐそこだったため、タクシーを停めてもらって支払いを済ませるや、私は久世を追い立てる。

「まだだよ、頑張って。もう少しだから!」

 青白い顔で懸命にこらえる男を、鍵を開けた玄関に押し込めた。

「靴脱いで! トイレ曲がってすぐそこ、えっ何?」

 久世は仕草で懸命にネクタイを示す。これを緩めろということか。バタバタやって靴を脱ぐ間、私はとりあえずトイレのドアを開け、四苦八苦して久世のネクタイを解くとジャケットを脱がせた。

「どう? いける? 間に合──」

 便器は目の前だった。だが、あえなく堰き止められていた久世ダムは決壊した。

「……すいませ」
「いいから……ここは私が片付けるから、久世はシャワー浴びてきな」
「……え……えっち、する?」
「するかボケェ! あんたのゲロにまみれた服を洗うんだよ!」

 取り急ぎ久世のシャツの汚れを拭き取り、風呂場の給湯とシャワーをつけてから脱衣所に押し込めた。
 途方に暮れつつ床を掃除して、一応アルコールスプレーで消毒もした。ビニール手袋を外したところでふと耳に何かが呻くような音を聞き、嫌な予感に襲われながら私は脱衣所に続く引き戸に耳を澄ませる。

 シャワーの水音とともに微かに、しかし確かに、戸を爪で引っ掻くような不穏な音がした。

「……嘘でしょ」

 大丈夫かと声をかけながら恐る恐る戸を開けると、脱衣所には久世の抜け殻が残され、その横の浴室に目を移せば曇り戸の低い位置にべたりと張り付いた男の手があった。

「げぇっ! 久世!」

 慌てて戸を開けると全裸の、そりゃ当然なのだが全裸の男がシャワーの水に叩きつけられながら風呂場の床に倒れ込んでいた。

「大丈夫?!」
「……おき、あがれ、ない……」

 急ぎシャワーを止めて、脱衣所の籠の中のからバスタオルを数枚掴んでとって返す。うちにバスローブなんて洒落たものはないから久世に出来るだけ大きめのタオルをかけて、私は久世を抱き起こした。
 重い身体に背を入れて肩を貸しながら、呻くばかりの久世を引き摺りリビングのソファに寝かせる。

「ほら、クッションのほうに頭預けて、右側下にして横になって、水持ってくるから」
「すいませ……」
「いいよ、もう。こうなったらどうしようもないでしょ。大人しく介護されとけ」

 水と胃薬を飲ませ、彼の尊厳を極力目にしないように濡れた体を拭く。腹筋割れてるとか鍛えてあるとか、余計なことはできるだけ考えない。

「久世、とりあえずこれ着て。うちにあるやつでサイズ大きいのこれしかなくて」
「ああ、はい……」

 抱き起こしながら苦心してシャツを着せ、パンツを履かせることは断念してスウェットに抱えた脚を突っ込む。マジで介護だな。

「まさきさん……」

 仕方なし、久世の上に跨りズボンを引っ張り上げる私に彼は頬を染めて言う。

「すみません、おれ、いまちんちん……うまく、たたなくて」
「勃てなくていいです。どうぞご心配なく。それより頑張って少しだけ腰浮かすことできる? ズボン上げる」

背中に腕が回され、私にしがみつくような格好で久世は腰を浮かせ、あろうことか股ぐらのふにゃふにゃを押し付けてきた。

「余計なことせんでいい!」

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