小さな恋のトライアングル
「あの、このお部屋はスイートルームなのですか?」
オードブルが運ばれてきて、真美はナフキンを膝に置きながら樹に尋ねた。
「ああ。会員制フロアだから、一般には解放されていないんだ。一晩押さえてあるから、よかったらお二人で使って欲しい」
「ええ?!とんでもない。わたくし庶民ですので、このようなお部屋には泊まれません」
「そんなことないよ。気兼ねなく自由に使って。明日好きな時間に部屋をあとにしてくれれば、何も手続きはいらないから」
「そそそんな。滅相もない。ね?潤さん」
真美が同意を求めると、潤は顔を上げる。
「ん?そうだな。でしたら、三原さんが姉と一緒に使ってはいかがですか?俺と真美で岳を預かりますから」
「あ、そうですよ、それがいいです」
すると樹は驚いたように目を見開いてから、ふっと苦笑いした。
「参ったな、お二人とも本当に人が良過ぎる」
え?と、潤と真美は顔を見合わせた。
「潤くん、真美さん。私はね、今夜お二人にののしられるのを覚悟して来ました。今更彼女に近づくとは、どういうつもりだ?何年も放っておいて、散々苦労させておきながら、どのツラ下げてノコノコ現れた?岳くんに父親のいない寂しさを味わわせておきながら、4歳になった岳くんに、しれっと父親だと名乗るつもりなのか?岳くんの気持ちを考えろ!ってね」
そんな、と潤は首を振った。
「三原さんを責めるつもりは全くありません。姉のことです。あなたの言葉なんてまるで聞かずに、勝手にいなくなったんでしょう?これでもかってくらい、用意周到に」
樹は思わず笑って頷く。
「そうなんだよ。私は都と何が何でも結婚するつもりだった。別の縁談を勝手に進められそうになり、実家に行って両親に宣言したんだ。都と結婚するって。それで縁を切られても構わなかった。必死で両親と向き合っていたら、後ろに控えていた都がいきなり言ったんだ。『このお話はなかったことにさせていただきます』って。え?と振り向いた時には遅かった。都はスタスタと玄関を出て、うちのハイヤーに乗って立ち去ったんだ。すぐにあとを追ったけど、最寄りの駅で車を降りて電車に乗った都は、こつ然と姿を消したんだ。携帯も繋がらない。ひとり暮らしの部屋にも帰って来ない。勤め先も辞めてしまって、どんなに彼女のことを聞き出そうとしても、誰も何も分からなかった。そのうちに引っ越し業者が彼女の部屋を片付けに来た。もちろん、彼女の居場所も分からないと言われてね」
潤と真美は言葉を失う。
都の話も壮絶だったが、樹の立場で話を聞くのも同じくらい胸が痛んだ。
「両親と祖父は、これ見よがしに縁談を進めた。だけど私は突っぱねて、自力で会社の業績を回復させた。そうすれば、都との結婚にも文句を言われないだろう、言わせるものかって躍起になってね。一方で都を探し続けた。だけどさすがは都だ。何も手がかりなんて残しちゃいない。SNSのアカウントも綺麗に削除されてた。必ず見つけてやる、そのうち見つかるはず、そう思いながら、結局5年半かかったよ。都なら絶対にジュエリーデザイナーを続けているはずだって、時間があれば色んなジュエリーショップを覗いて回った。実際に見つけた時は、幻だとしか思えなかった。店の外からじっと見つめて、気がつけば涙が込み上げていた。駆け寄って抱きしめようとして、ハッと我に返った。都は小さな男の子と手を繋いでいたから」
戸惑う樹の様子が目に浮かんだ。
やっと都を見つけ出した喜びと、突きつけられる現実……
潤と真美はじっと樹の言葉に耳を傾ける。
「別の誰かと結婚したのか、と思った。それなら声はかけられない。都は幸せそうに笑っていて、その笑顔が見られただけでも良かったと、己に言い聞かせてその場を去った。だけどどうしても、都と男の子の姿が目に焼き付いて離れなかった。そのうちに、ふと思ったんだ。あの男の子、幼い頃の自分の面影があると。そしてまさかと思いつつ、頭の中で可能性を考えた。もしかしたら、あの子は……ってね。おそらく今4歳くらいだろう、充分可能性はある。そう考え出したら止められなかった。そのショップの問い合わせメールに、卑怯だと分かっていても『三原ホールディングス』としてメールを送った。五十嵐 都様へってね。もし都がそのジュエリーブランドで働いていなかったら、誰か別の人が返信するだろう。そんな名前の社員はおりませんって。だけどもし都がそこの社員なら?都のことだ。俺からのメールだと分かった時点で無視するだろうなってね。結果は、ご存知の通りだよ。俺は確信した。都は俺のメールを読んでいる。その上で連絡を取りたがらない。もし今、他の誰かと幸せな結婚生活を送っているのなら、そう返事をくれただろう。あなたとはとっくに終わっている、もう連絡してくるなと。だから最後の手段に出た。『あの子は俺の子だよね?』って。『あの子が俺の子じゃないというなら、弁護士を通して確かめさせて欲しい』ってね。悪いとは思ったが、それくらいしないと都には敵わない。もうなりふり構わず必死だったよ」
苦笑いを浮かべてから、ようやく樹は顔を上げた。
「でも結果として良かった。おかげでやっと都が返事をくれたんだ。俺はとにかく、会って話をさせてくれと訴えた。都は分かったと言って、待ち合わせ場所にもちゃんと来てくれた。もう絶対に離すもんかって思った。そのまま俺のマンションまで連れて帰ろうとしたら、いきなり顔面を殴られた」
えっ!と潤と真美は思わず声を上げる。
「姉貴!あれだけ手は出すなって念を押したのに」
「ほんとよ。お姉さん、足で蹴るだけにするって言ってたのに。顔面を殴ったって、まさかグーパンチ?」
二人の言葉にキョトンとしたあと、樹はお腹を抱えて笑い出した。
「おかしい!都って、やっぱり都だな。ものすごく強い。さすがは俺が惚れた女だよ」
あはは!としばらく笑ってから、樹はようやく笑いを収めて二人に笑いかける。
「殴られるくらい、どうってことないよ。むしろ殴ってくれて良かった。都は俺なんかが想像出来ないほど、たくさんの辛い思いや苦労をしながら、一人で岳くんを育ててくれたんだから」
「三原さん……」
「潤くん、真美さん。俺は君達に誓うよ。もう二度と都を離さない。必ず幸せにしてみせる。そして岳くんも、俺が必ずこの手で守っていく。父親だと認められなくてもいい。彼が都と幸せでいられるよう、俺は単なる顔見知りのおじさんだと言われようと、二人を生涯守り抜く」
決意に満ち、力のこもった瞳できっぱりと言い切る樹に、真美は目を潤ませた。
潤も樹に大きく頷いてみせる。
「分かりました。三原さん、今夜俺が聞きたかったことは、全て答えをいただきました。俺はあなたと姉と岳、3人の味方です。3人で幸せに暮らせる日がきっと来ると信じています。その為に、俺が出来ることを精いっぱいお手伝いさせていただきます」
「私もです。お姉さんもがっくんもこれまでがんばった分、きっとたくさんの幸せが待っていると思います。お姉さんは最強で最愛のがっくんのママです。がっくんもママが大好きで、パパがいない分、おれがママをまもるんだって言ってました」
え……と、樹は真美の言葉に目を見開く。
「岳くんが、そんなことを?」
「はい。私が、がっくんは将来何になりたいの?って聞いたら、『おれね、ママをまもるおとこになりたいの』って。『おれのママには、やさしいパパがいないから、おれがずっとママをまもってやるんだ』って」
「そんな、まさか……。まだ4歳の子が?」
そう呟いた樹の目は、みるみるうちに涙で潤んだ。
「ごめん、ありがとう、岳くん。都、優しい子に育ててくれて、本当に、ありがとう……」
涙を堪えながら震える声で呟く樹に、潤も真美ももらい泣きして目元を拭った。
オードブルが運ばれてきて、真美はナフキンを膝に置きながら樹に尋ねた。
「ああ。会員制フロアだから、一般には解放されていないんだ。一晩押さえてあるから、よかったらお二人で使って欲しい」
「ええ?!とんでもない。わたくし庶民ですので、このようなお部屋には泊まれません」
「そんなことないよ。気兼ねなく自由に使って。明日好きな時間に部屋をあとにしてくれれば、何も手続きはいらないから」
「そそそんな。滅相もない。ね?潤さん」
真美が同意を求めると、潤は顔を上げる。
「ん?そうだな。でしたら、三原さんが姉と一緒に使ってはいかがですか?俺と真美で岳を預かりますから」
「あ、そうですよ、それがいいです」
すると樹は驚いたように目を見開いてから、ふっと苦笑いした。
「参ったな、お二人とも本当に人が良過ぎる」
え?と、潤と真美は顔を見合わせた。
「潤くん、真美さん。私はね、今夜お二人にののしられるのを覚悟して来ました。今更彼女に近づくとは、どういうつもりだ?何年も放っておいて、散々苦労させておきながら、どのツラ下げてノコノコ現れた?岳くんに父親のいない寂しさを味わわせておきながら、4歳になった岳くんに、しれっと父親だと名乗るつもりなのか?岳くんの気持ちを考えろ!ってね」
そんな、と潤は首を振った。
「三原さんを責めるつもりは全くありません。姉のことです。あなたの言葉なんてまるで聞かずに、勝手にいなくなったんでしょう?これでもかってくらい、用意周到に」
樹は思わず笑って頷く。
「そうなんだよ。私は都と何が何でも結婚するつもりだった。別の縁談を勝手に進められそうになり、実家に行って両親に宣言したんだ。都と結婚するって。それで縁を切られても構わなかった。必死で両親と向き合っていたら、後ろに控えていた都がいきなり言ったんだ。『このお話はなかったことにさせていただきます』って。え?と振り向いた時には遅かった。都はスタスタと玄関を出て、うちのハイヤーに乗って立ち去ったんだ。すぐにあとを追ったけど、最寄りの駅で車を降りて電車に乗った都は、こつ然と姿を消したんだ。携帯も繋がらない。ひとり暮らしの部屋にも帰って来ない。勤め先も辞めてしまって、どんなに彼女のことを聞き出そうとしても、誰も何も分からなかった。そのうちに引っ越し業者が彼女の部屋を片付けに来た。もちろん、彼女の居場所も分からないと言われてね」
潤と真美は言葉を失う。
都の話も壮絶だったが、樹の立場で話を聞くのも同じくらい胸が痛んだ。
「両親と祖父は、これ見よがしに縁談を進めた。だけど私は突っぱねて、自力で会社の業績を回復させた。そうすれば、都との結婚にも文句を言われないだろう、言わせるものかって躍起になってね。一方で都を探し続けた。だけどさすがは都だ。何も手がかりなんて残しちゃいない。SNSのアカウントも綺麗に削除されてた。必ず見つけてやる、そのうち見つかるはず、そう思いながら、結局5年半かかったよ。都なら絶対にジュエリーデザイナーを続けているはずだって、時間があれば色んなジュエリーショップを覗いて回った。実際に見つけた時は、幻だとしか思えなかった。店の外からじっと見つめて、気がつけば涙が込み上げていた。駆け寄って抱きしめようとして、ハッと我に返った。都は小さな男の子と手を繋いでいたから」
戸惑う樹の様子が目に浮かんだ。
やっと都を見つけ出した喜びと、突きつけられる現実……
潤と真美はじっと樹の言葉に耳を傾ける。
「別の誰かと結婚したのか、と思った。それなら声はかけられない。都は幸せそうに笑っていて、その笑顔が見られただけでも良かったと、己に言い聞かせてその場を去った。だけどどうしても、都と男の子の姿が目に焼き付いて離れなかった。そのうちに、ふと思ったんだ。あの男の子、幼い頃の自分の面影があると。そしてまさかと思いつつ、頭の中で可能性を考えた。もしかしたら、あの子は……ってね。おそらく今4歳くらいだろう、充分可能性はある。そう考え出したら止められなかった。そのショップの問い合わせメールに、卑怯だと分かっていても『三原ホールディングス』としてメールを送った。五十嵐 都様へってね。もし都がそのジュエリーブランドで働いていなかったら、誰か別の人が返信するだろう。そんな名前の社員はおりませんって。だけどもし都がそこの社員なら?都のことだ。俺からのメールだと分かった時点で無視するだろうなってね。結果は、ご存知の通りだよ。俺は確信した。都は俺のメールを読んでいる。その上で連絡を取りたがらない。もし今、他の誰かと幸せな結婚生活を送っているのなら、そう返事をくれただろう。あなたとはとっくに終わっている、もう連絡してくるなと。だから最後の手段に出た。『あの子は俺の子だよね?』って。『あの子が俺の子じゃないというなら、弁護士を通して確かめさせて欲しい』ってね。悪いとは思ったが、それくらいしないと都には敵わない。もうなりふり構わず必死だったよ」
苦笑いを浮かべてから、ようやく樹は顔を上げた。
「でも結果として良かった。おかげでやっと都が返事をくれたんだ。俺はとにかく、会って話をさせてくれと訴えた。都は分かったと言って、待ち合わせ場所にもちゃんと来てくれた。もう絶対に離すもんかって思った。そのまま俺のマンションまで連れて帰ろうとしたら、いきなり顔面を殴られた」
えっ!と潤と真美は思わず声を上げる。
「姉貴!あれだけ手は出すなって念を押したのに」
「ほんとよ。お姉さん、足で蹴るだけにするって言ってたのに。顔面を殴ったって、まさかグーパンチ?」
二人の言葉にキョトンとしたあと、樹はお腹を抱えて笑い出した。
「おかしい!都って、やっぱり都だな。ものすごく強い。さすがは俺が惚れた女だよ」
あはは!としばらく笑ってから、樹はようやく笑いを収めて二人に笑いかける。
「殴られるくらい、どうってことないよ。むしろ殴ってくれて良かった。都は俺なんかが想像出来ないほど、たくさんの辛い思いや苦労をしながら、一人で岳くんを育ててくれたんだから」
「三原さん……」
「潤くん、真美さん。俺は君達に誓うよ。もう二度と都を離さない。必ず幸せにしてみせる。そして岳くんも、俺が必ずこの手で守っていく。父親だと認められなくてもいい。彼が都と幸せでいられるよう、俺は単なる顔見知りのおじさんだと言われようと、二人を生涯守り抜く」
決意に満ち、力のこもった瞳できっぱりと言い切る樹に、真美は目を潤ませた。
潤も樹に大きく頷いてみせる。
「分かりました。三原さん、今夜俺が聞きたかったことは、全て答えをいただきました。俺はあなたと姉と岳、3人の味方です。3人で幸せに暮らせる日がきっと来ると信じています。その為に、俺が出来ることを精いっぱいお手伝いさせていただきます」
「私もです。お姉さんもがっくんもこれまでがんばった分、きっとたくさんの幸せが待っていると思います。お姉さんは最強で最愛のがっくんのママです。がっくんもママが大好きで、パパがいない分、おれがママをまもるんだって言ってました」
え……と、樹は真美の言葉に目を見開く。
「岳くんが、そんなことを?」
「はい。私が、がっくんは将来何になりたいの?って聞いたら、『おれね、ママをまもるおとこになりたいの』って。『おれのママには、やさしいパパがいないから、おれがずっとママをまもってやるんだ』って」
「そんな、まさか……。まだ4歳の子が?」
そう呟いた樹の目は、みるみるうちに涙で潤んだ。
「ごめん、ありがとう、岳くん。都、優しい子に育ててくれて、本当に、ありがとう……」
涙を堪えながら震える声で呟く樹に、潤も真美ももらい泣きして目元を拭った。